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第58話 決意 3

   後ろから、ぐいと体を引かれた。  逞しい胸の中に、すっぽりと体がおさまってしまい、びっくりして見上げる。 「エーリヒ!」 「お待たせしました、殿下」  にっこり微笑む男と目が合うと、前から冷えた声が聞こえた。 「⋯⋯その手を離せ、ライエン。無礼だろう!」  ヴァンテルの言葉を、ライエンは鼻で笑った。  私を腕の中に抱きしめたまま、ヴァンテルにとげとげしい言葉を放つ。 「何を考えて、俺とトベルク様を()(もの)にしたのか聞かせてほしいな、筆頭殿」  ヴァンテルとライエンの間には、見えない火花が散っているかのようだった。  何も知らなかった私同様、ライエンもまた知らない間に様々な事が進められていた。 「庭園を巡って戻ってくれば、筆頭殿がここにいる。耳に入ったのは、殿下の廃嫡に関わる話だ。俺はこれまでに一言も聞いていない。これでも宮中伯の一人だってのに、あんまりだと思うんだが」  一見柔らかな口調に聞こえるが、敵意が丸出しだった。 「⋯⋯真っ直ぐすぎるからだ」 「は!?」 「他の宮中伯に比べて、情勢や権力に左右されず、迎合することもない。しかも、それを通すことができる力と財産を持っている。殿下の廃嫡に納得するとは、とても思えなかった。下手に話して反対を表明されれば、今度は他の宮中伯を丸め込めなくなるかもしれない。私は、一刻も早くフロイデンから殿下を移動させたかった。隣国との騒ぎが起きたのは、まさに天の助け。時期的にも丁度良かった」 「⋯⋯だから、隣国との折衝に俺たちを送り込んだのか。全てが、お前の手の平の上だったというわけか」 「トベルク殿は完全に巻き添えだ。あの方は、たぶん話せばわかってくださっただろう」  ライエンが、ヴァンテルに殴りかかろうとしたのがわかった。  腕の中にいた私を離そうとした瞬間、私は向きを変えて、ライエンにしがみついた。  がっしりした体に縋りついて叫ぶ。 「⋯⋯待って、待って! エーリヒ!!」 「殿下!?」 「私も、私も知らないことばかりだった。だから、わかるんだ。エーリヒが口惜しいことも、悲しいことも。でも、ヴァンテルだけが悪いわけじゃない⋯⋯」  ライエンの服を両手でぎゅっと掴めば、逞しい体からは、少しずつ力が抜ける。   「エーリヒは⋯⋯一緒に考えようとしてほしかったんだろう? 話し合って、共に少しでも状況をよくしていきたかったんだろう?」  ライエンは、唇を噛み締めた。   「⋯⋯自分の周りだけで話が決まっていく苦しさは、よくわかる。でも、決める方も苦しくないわけじゃないんだ」  ライエンは、少しの間、黙っていた。そして、大きく息を吐き、体を屈めた。私に小声で話しかけてくる。   「殿下はいつでもお優しい。殿下のお言葉は、この耳にすんなりと入ります。しかし、目の前の男には、そうもいきません。腹に据えかねておりますので、正直、殴り倒したくて仕方がありません」  私は、慌てて首を振った。二人の殴り合いなど見たくない。それに、どちらも鍛えた身体なのはわかるけれど、ライエンの方が実戦には強そうに見える。 「だめだ、エーリヒ!」 「⋯⋯そうですね。では、殿下、少々目をつぶっていただけませんか」 「目を?」 「はい。しばらく目を開けないでください。あいつを殴ったりはしませんから」  私は、素直に目をつぶった。  ライエンの腕が、肩から背中に回る。力強い腕の中にすっぽりと包みこまれて、優しく抱きしめられた。  ⋯⋯いつまで、こうしていればいいんだ?  そう思った途端、額に柔らかい感触があった。  唐突に、ものすごい力で、腕の中から引きはがされた。  目を開けると、ライエンが両手を広げたまま、にっこりと笑っている。 「ありがとうございました、殿下」  晴れ晴れとした微笑みだった。何故、礼を言われたのだろう? 「⋯⋯クリス?」  私の肩に手を置いたヴァンテルは黙ったまま、ライエンを激しく睨みつけている。

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