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第66話 紅痕 3

 ヴァンテルは約束通り、夕食時に誘いに来てくれた。  しかし、私は起き上がることが出来なかった。  寒気がして、体中が痛む。  関節だけではなく、骨が軋む。喉の奥が腫れあがり、唾を飲みこむのも辛い。乾いた口の中に、細い吸い呑みの口があてがわれた。ほんの少しずつ与えられる水を無理やり飲みこむ。冷やされた布が額に当てられ、何度も替えられる。  誰かが耳元で名を呼んだ。答えているつもりだったが、返事はできたのだろうか。  眠り続けた後に、ふっと目を覚ませば、傍らに人の気配がした。  寝台の脇に座っていたのはヴァンテルだ。  手を伸ばそうとしても、体が重くて動かせない。指先だけがピクリと動いた時、そっと手を握ってくれた。  大きな手が冷たくて気持ちが良かった。隣にいてくれると思うだけで、どうしてこんなに安心するのだろう。  名を呼びたいのに、口の中が渇いて声が出ない。 「アルベルト様⋯⋯。水を」  吸い飲みからの水は、飲みこむ力が足りずに、口の端からこぼれ落ちる。  はあ、と息を零せば、頬に手が添えられた。ヴァンテルはそっと口移しで水を与えてくれた。  水を得た身体は、一瞬、楽になる。それでも燃えるような体の熱は引くことがない。  暫く、こんな状態になることはなかったのに。  心配気な表情にごめんと返して、再び眠りに落ちていく。  上か下かもわからぬ状態で、体だけがふわふわと浮いている。  ⋯⋯ああ、そうだ。  体が千切れるかと思うほどの熱と痛みを感じた時に、いつも与えられるものがあった。 『これをお飲み。すぐに楽になる。さあ、アル。口を開けて』  優しい声と共に口の中を満たしてきた蜜。 『俺の一族に伝わる薬だ。⋯⋯少しずつ飲むんだ。体が渇けば命に関わるからな』  差し出される椀の中には、黄金色の液体が揺らめいている。  ⋯⋯だめだ。近づけないで。  それは、人々の嘆きと涙の上にある。  ──貴方がいらっしゃらなければ、私の村は滅びなかった。  燃えるような瞳。絶望と憎しみが支配する瞳。  場面が変わるようにして、落馬する兄の姿が見える。暴れるブラオンの周りに次々に群がる蜂たち。  兄と馬の姿が、見る間に無数の蜂の中に埋もれて見えなくなる。  やめろ! と言いたいのに声が出ない。  これは夢だ。わかっているのに、こんなにも胸が苦しい。  何をすればいい。  何をしたら、償える。  この命を差し出しても、何も、誰も戻っては来ない。  こんな壊れかけた体に出来ることなど、何もありはしないのに⋯⋯。 「殿下! アルベルト様!!」 「クリス⋯⋯」  目を開ければ、蒼白なクリスの顔があった。しっかりと手が握られている。  クリスの隣にいるのは、王族付きの侍医だった。何か月ぶりに顔を見たのだろう。 「お目覚めになって、よろしゅうございました。まだ安心はできませんが、ひとまず山は越えたと思ってよろしいかと存じます」  部屋の中に、安堵の吐息が幾つも漏れる。  視線を動かすと、涙ぐむレビンや、屋敷の執事の姿が見えた。 「アルベルト様⋯⋯。よかった」 「クリ⋯⋯ス⋯⋯」 「ここにおります。喋らないで⋯⋯。水をお飲みになりますか?」  頷くと、体を支えてくれる。抱きかかえられるようにして、少しずつ口元に玻璃の盃があてがわれた。喉の腫れが幾分治まって、水を飲み込むことが出来る。喉を通って体内に入る水が、まるで甘露のように思えた。 「私は、どれほど⋯⋯」 「あれから、三日が経っております」 「そんなに経ったなんて⋯⋯」  ヴァンテルの顔には疲労が見えた。宮中伯たちの仕事は多忙を極める。仕事もあるのに、見舞ってくれたのか。  侍医たちが部屋を退がった後、部屋に残されたのは私たちだけだった。

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