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番外編:春 春の来訪者 1

   どこまでも青く美しい空が広がっている。  地表を覆う雪がすっかり解けた頃、北の大地は息を吹き返す。  一斉に花が咲き、鳥は歓びを歌い、動物たちは恋する相手を求める。  長く厳しい冬の辛さを、春から夏の素晴らしさが全て吹き飛ばしてしまう。  初めてレーフェルトの春をこの目で見た時、ただただ圧倒された。  これは、生だ。  全てが目覚め、命が始まる。  死に絶えたかと思うほどの厳しい冬を越えて、ある日突然に知るのだ。  ──大地はただ、眠っていただけなのだと。  見事な隊列が北の大地に広がる。  第一騎士団長ホーデンの指揮の元、騎士たちは一糸も乱れず、王都からの客を迎え入れようとしていた。 「⋯⋯北領騎士団を、わざわざ勢揃いさせなくてもよさそうなものだが」  ぽろりと呟けば、傍らの男は睨むように私を見る。 「殿下は、男心をわかっておられない」  来客用の正装を身に着け、銀色の髪を短く整えた姿は惚れ惚れする美しさだ。 「どんな心なんだ? それを言うなら、私だって男だ」  こちらの言葉は全く耳に止める気もないようで、ヴァンテルはまだ何も見えない大地を凝視している。  深い湖のような美しい瞳がわずかに細められ、街道のはるか先に小さな点が現れた。  地平線から湧くように影が増えていく。先頭を切るのが誰なのかは、すぐにわかった。 「あれは、エーリヒ! 自ら先頭に立つとは全く彼らしいな」  思わず感心して叫んだ。傍らで小さく舌打ちが聞こえる。  ⋯⋯ヴァンテルは時々、ひどく子どもっぽい態度をとる。笑いだしたくなるのを堪えて冷静な顔を作るのは、なかなか大変だった。 「お久しゅうございます! アルベルト殿下!!」  精悍な顔立ちに引き締まった体。私の名を呼ぶ声は、辺りによく通る。引き連れてきた自慢の騎士団の長にふさわしい。 「エーリヒ、変わりないようで何よりだ。遠路ご苦労だった。先ずは皆、旅の疲れをゆるりと癒すがよい」 「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます。殿下からのお言葉に旅の疲れも吹き飛びます」  変わらぬ太陽のような笑顔に、こちらまで笑顔を誘われる。  よくぞここまで来てくれたと騎士たちを見渡して(ねぎら)いの言葉をかければ、皆が一心にこちらを見つめてくる。ライエンは、なぜか私の顔を熱心に見ていたが、返礼の言葉を急かされて慌てていた。  ライエンの背後から、すっと背の高い男が現れた。整った顔立ちには知性と色香が拮抗している。深みのある声が静かに流れた。 「殿下にはご機嫌麗しく、再び御目にかかれた僥倖に胸が震えます」 「⋯⋯トベルク」  あれから何年たったのだろう。思わず首元に手をやりそうになった。不意に訪れる記憶は忘れていた痛みを連れてくる。 「息災で何よりだ。そなたとライエンの働きで王都は落ち着いていると聞く。感謝する」 「⋯⋯もったいないお言葉にございます」  碧の瞳は穏やかに輝いて、在りし日の狂気は欠片(かけら)も見つけられない。  洗練された動作に周囲から羨望のため息が漏れた。

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