126 / 152

夜光 2 ヴァンテル視点

 夜の闇の中で、ふと目を覚ます。  小さな小さな羽音が聞こえる。  耳の奥で何かを伝えるような、細かい音が。  瞬きをした瞬間に音は消え、目を開ければただ静かな闇が広がっている。  手を伸ばしても、隣にいたはずの温もりがどこにもない。  背中を冷たい何かが吹き抜けて、息を止めるようにして身を起こす。  傍らにあった丈の長い上衣を羽織り、室内をそっと歩き出す。  しんと冷たい空気は、夜明けに向かっていることを知らせていた。  部屋の中に人の気配はなかった。  続き部屋に入ると、窓掛けが少し開けられ、外の景色が見えている。  硝子越しに白い月の光だけが静かに降りそそぐ。  窓の側にある椅子を覗き込めば、体を丸めて眠っている姿があった。  貴方は、寝台を抜け出して一人きりで眠っていたのか。  もしかして、これまでに⋯⋯何度も?  不意にどこかに消えてしまいそうな予感がして、ぎゅっと胸が痛んだ。  この痛みには覚えがある。  王宮の居室から連れ去られた日々。探しても探しても見つからない絶望が、ふとしたきっかけで顔を出す。  床に座りこんで、白く小さな顔を眺めた。  月明かりに照らされる繊細な美貌は、この世のものとも思えない。  銀に近い金の髪は月の光にきらめき、白い肌が人形のように冷たく映る。  まるで息をしていないかのようだ。  突然、あってはならない想像が走り抜けた。 「⋯⋯アルベルト様!」  顔を近づければ、小さな寝息が聞こえて体温が伝わってきた。  急速に肩の力が抜け、涙が出そうなほど安心する。  細い指先に口づければ、柔らかな唇が開く。 「クリス⋯⋯?」 「⋯⋯アルベルト様、どうしてこんなところに? 隣にいないので驚きました」 「兄様が呼んだ」  ──兄様?  全身が総毛だった。  胸の中の動揺を押し殺して、そっと言葉を吐きだす。 「⋯⋯兄君が?」 「うん。アル、おいで、と」  (うつ)ろな瞳は私を捉えてはいない。  長い睫毛を震わせて、ほっそりした体を自分で抱え込む。  今はもういない者への言葉を紡ぐ姿は、幼い子どもよりも頼りない。 「『約束の遠乗りに行こう、ブラオンも待っている』兄様が、そう言うんだ」 「⋯⋯アルベルト様」 「兄様に会いたい」  小さな声だった。かすれるような声は、闇の中に溶けていく。  青白い頬に一筋の真珠のような涙が流れた。  光の無い瞳が窓の外を見ている。  闇が人の形をとり、亡き者が微笑んで手を差し出す。そんな幻を振り払うように首を振った。  私は細い体を抱き上げて、椅子に座り直した。  いつもの穏やかな姿はなく、幼い子どものように心細げに泣いている。目の端に口づけ、涙を塞ぐ。 「兄君は亡くなられたのです、アルベルト様。貴方様には、私がおります」 「⋯⋯クリス、兄様は寂しくないか? お前のように側にいてくれる者もいない。一人きりで寂しいから、私を呼んでいるのではないのか?」 「今は、父君や母君もご一緒におられるでしょう。天の花園で安らいでおられるはずです。何もご心配なさることはありません」  ゆっくりと柔らかな髪を()いていると、だんだん体から力が抜けていく。  の蜜を得ようとも、いまだに細い体だ。知らぬ間にこんな哀しみを抱いていたことに胸が痛む。  アルベルト様は、悲しみを内に抱え込む方だ。それは、私が与えた罪に違いない。  一人で耐えることはないと、貴方の悲しみを私にも分けてほしいと、時間をかけて伝えてきた。それでもまだ足りはしない。  亡き王太子が煉獄にいようが地獄の底にいようが構わない。  この世に悪魔がいるとしたら、あの男だと思っていた。弟王子を手の内に閉じ込め、手段を選ばずに一つの村を滅ぼす。  だが、トベルクに貴方を(さら)われて気がついた。  私のとった行動は、何が変わるというのか。食糧庫を焼くのも、トベルクに危害を加えるのも、少しもためらいはしなかった。  偏愛か執着だと人は言うだろう。  私もあの男も、同じなのだ。  ──欲しいものは、ただ一つだけ。

ともだちにシェアしよう!