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夜光 3 ヴァンテル視点

   私は窓の外の暗闇を見つめる。  闇がゆらりと一人の男の姿を取る。  ⋯⋯死んでもなお、この美しい魂を諦めきれないのか。  夢と(うつつ)の狭間に、死者の妄執が愛しい者へと手を伸ばす。  ⋯⋯ノカ。 「⋯⋯何?」  マ⋯⋯レル⋯⋯ノカ  ──守れるのか?  オウニ⋯⋯テ⋯⋯モ  ──王に、なっても⋯⋯  闇の(おぼろ)げな思念が伝わってくる。  人の形をとった闇が生き物のように濃度を増して、部屋に入ってきた。  (いびつ)な笑いを浮かべながら、お前に出来るのか、と尋ねてくる。  闇は緩やかに長く手を伸ばし、私の首に巻きついた。力を持たぬはずの手が、少しずつ首を締め上げていく。 「⋯⋯ぐッ!」  小さな羽音が聞こえた。だんだん激しくなり、耳の奥で危険を知らせている。  息が、出来ない。  目の前が真っ赤に染めあがる。指一本ですら、自分の意志で動かすことが出来なかった。 「⋯⋯だめ」  その時、小さな声が聞こえた。 「にいさま、クリスは、だめ。⋯⋯さびしいなら、ぼくがいるから」  腕の中から起き上がった殿下が、涙をこぼす。まるで子どものような口調で、闇を見つめる。  細い手が、私の首に巻きついた闇を撫でた。何度も、何度も。 「にいさま。ぼくに、いっしょにいてほしいんでしょう?」  あどけなく微笑む顔は、幼子に戻ったかのようだった。  闇は力を緩め、一気に空気が肺に流れ込んできた。体中から汗が噴き出す。  ゆらゆらと揺れる闇は、アルベルト様の髪に触れ、頬に触れる。  そして、抱きしめるように細い体を包んだ。  たまらず私は、アルベルト様の体を自分の腕の中に引き寄せた。  ぐにゃりと曲がった闇が私たちを覆ったかと思うと、するりと離れていく。 「兄様?」  すぐ目の前に、濃縮された闇の塊があった。 「⋯⋯この命に代えてでも、アルベルト様をお守りする。どうか在るべき場所に戻られよ。ここは貴方のいる場所ではない」  主を抱きしめながら必死で言葉を紡げば、闇がどろりと揺れ、部屋の中の空気が重くなる。  じわじわと力がかかり、体ごと床に押しつぶされてしまいそうだった。  小さな羽音が聞こえた。  闇を裂くように小さな黄金の光が、幾つもきらめく。  彼らは相手が見えているかのように、闇に向かって一目散に飛んだ。光が触れた途端に闇は弾けて霧散する。  遠くなる意識の中で、(かす)かな声を聞いた。 「⋯⋯兄様が、いない」  体が楽になったと思った時には、闇も光もなかった。  アルベルト様はきょろきょろと辺りを見回す。  大粒の涙を流す体を抱きしめて、そっと額に口づけた。  濃厚な闇は夜に溶け、ただ月明かりだけが部屋の中に満ちている。  私は、愛しい者の涙が止むまで背中を撫で続けた。  闇は最後に言葉を残した。私だけに、聞こえるように。  ⋯⋯レテ⋯⋯イク。  《⋯⋯連れて行く。お前が、守れないのであれば》 「殿下、この花は?」  大量に運ばれてくる美しい花々を見て、ライエンが驚いたように言う。 「死者の日なんだ」 「死者の日? 天から死者が家族に会いに来ると言う日ですか? もっと後では」 「王都では秋だが、北方では最も美しい季節の夏だ。夏の初めに死者たちが神から許しを受けて、地上に降りてくると言われている」  私が答えると、ライエンは成程と頷いた。 「死者は想いが強いほど現世に戻りたがると言うが、この美しい季節には、さぞ焦がれることでしょう」  アルベルト様は、凛と咲き誇る花々を手に取った。 「これから王族の墓所に行って、花を捧げてこようと思う。レーフェルトを愛して、この地に眠っている人々のために」  ⋯⋯そして、フロイデンに眠る人々の為に、と小さな声で続ける。  不思議なことに、あの夜、闇の塊にしか見えなかった姿は、アルベルト様には全く違う姿で映ったそうだ。  ──愛する弟が捧げる花で、闇に堕ちた魂は満たされるのだろうか⋯⋯。  溢れる陽射しの中、私はここにはない闇を見据えた。  これからも、ひっそりと私たちを見つめ続けるだろうものを。  ⋯⋯アルベルト様を守る。決して連れて行かせはしない。 「クリス。⋯⋯あれから、兄様の夢を見ない」 「兄君は、殿下がご心配だったのかもしれません。もう大丈夫だと思ってくださったのでしょう」  真っ白な花を腕いっぱいに抱えて、美しい主が微笑んだ。

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