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父王の遺言 3
三か月が経ち、凍宮に戻ったヴァンテルが全て終わったことを告げた。ヴァンテルは私の前に跪き、臣下としての礼をとる。
「⋯⋯アルベルト殿下に、亡き陛下よりご遺言を賜りました」
怪訝な顔をする私に、ヴァンテルは静かに告げる。
「既に宰相殿及び全宮中伯たちの承認も済んでおります。どうぞ父王陛下の御心を御受取りくださいますように」
「亡き父の遺志とあらば、甘んじて受けよう。申せ」
「レーフェルト凍宮を第二王子アルベルトの居城とせよ。王の死の恩赦をもって王子の追放を解く。今後、王子の身を何人たりとも拘束することは能わず。⋯⋯僭越ながら、殿下のご後見は今後、このクリストフ・ヴァンテルがお受け致します」
すぐには言葉が出なかった。
⋯⋯追放の身が凍宮の主と認められる日が来るとは。
「⋯⋯父上は、ずっと私にお心をかけてくださっていたのか」
「陛下は、アルベルト様を大切に思っておいででした」
幾筋も伝い落ちる涙を、傍らの美しい男がそっと拭ってくれる。
「私が若年にも関わらず筆頭の地位につけたのは、亡き陛下の御心があったからです。宰相殿が仰っていました。何としても、クリストフ・ヴァンテルを筆頭にせよと、陛下の強い御意志があったのだと。ヴァンテルならば、アルベルトを守ることが出来ると」
私が黙っていると、ヴァンテルは微笑んだ。
「私は一度、陛下に礼のお言葉を賜ったことがあります。アルベルトに本を贈ってくれて感謝する。父の日に美しい絵本を読んでもらった。あれは嬉しかった、と」
「⋯⋯た、たった、一度だけだ」
「父の日が来ると思い出しておられたそうです」
⋯⋯あの日を父の日だと知っておられたのか。
「⋯⋯どうして。父上は、どうして」
もっと会いにきてくれればよかったのに、との呟きに、静かな声が答えた。
「『裁き』の蜜は、代々王になる嫡子にしか与えられぬ決まりです。数が少なく、育てるのも難しい蜂の蜜を、同じ病の我が子といえども自ら与えるわけにはいかなかった。王の胸には様々なお気持ちがあったことでしょう。王が足を向ければ、必ず多くの人の目が向く。陛下はそれを避ける為に、ご自身が殿下に会わぬ道を選ばれたのです」
「クリス。私は父と過ごした思い出がろくにない。ただ、父上は優しい方だったと思う」
「陛下は旅立たれる時に、寝台の天蓋の布を取り払い、窓を開けるようにと示されたそうです。雲一つないフロイデンの空をご覧になって、微かに微笑まれたと。王妃様と宰相殿が最期のお言葉を聞き取られました」
⋯⋯同じだ。⋯⋯元気で。
話すことも儘ならなかった父が何を伝えたかったのか。ずっと側にいた人々だけはわかったと言う。父は、空を見た後に母を見た。母が頷くと、一瞬強く指に力が籠もり、すっと力が抜けていったそうだ。
ロサーナの王エーデルは、王妃と宰相、宮中伯たちに見守られて、二度とは帰らぬ旅路に着いた。
「私は⋯⋯、ずっと自分が忘れられた存在だと思っていた。兄を失った後は、櫂を失った小舟のようなものだ。嵐に揉まれながら、この凍宮にようやくたどり着いた」
「もはや、殿下はどこに行くのも自由な身でいらっしゃいます。⋯⋯それでもこのレーフェルトにいてくださいますか?」
「無論だ。ここ以外に生きる場所はない」
ヴァンテルが、安心したように、ほっと息をつく。
お前は何を心配しているんだと囁けば、ぎゅっと腕の中に抱きしめられた。
父は私をヴァンテルに託したのだろう。同じ病に苦しむだろう我が子の行く先を。
窓の外を見れば、どこまでも続く澄んだ青空が広がっていた。フロイデンの空とは色が違う。それでも美しく輝く空だ。
元気で、と父は言った。あの日、小道を振り返らなかった父の背が目の奥に浮かぶ。
「クリス、私は、レーフェルトで生きる⋯⋯。父が遺してくれた、この凍宮で」
涙で開かぬ瞼にヴァンテルの口づけが降ってくる。美しい公爵は私が泣き止むまでただ静かに抱きしめてくれた。
◇◇
──最果ての光溢れる宮殿に一輪の白い薔薇が咲く。幾多の人、幾万の蜂、唯一人の貴公子を従えて。
吟遊詩人たちによって、町々に一つの歌が流れるようになった頃。
最果ての宮殿を中心にロサーナに新たな都が築かれた。それは、アルベルト王子がレーフェルトの主になってから、暫しの時を経た後のことになる。
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父王エーデルとアルベルトの話を書きたいと思いました。本編で語られなかった部分も書けたかなと思います。久々の番外編をお読みくださった皆様、ありがとうごさいました。
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