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第2章 偽り 03

宮白は机の上に背中を預け、男からの口づけを受けていた。 男は、俺に背を向けているせいか、それとも宮白を目の前にして極度の興奮状態に陥っているからなのか、 人が部屋に入ってきたことに気付いていない。 「どけ。宮白に用がある」 覆いかぶさっている男を強引に引き剥がし、宮白の腕を引いて、会議室を出た。近くの空き教室に入るまでの間、宮白は何も言わず、大人しくついてきた。 「一体、俺に何の用ですか?」 扉を閉めるなり、煩わしそうに宮白が言った。振り向いた瞬間、宮白と視線が合った。 澄んだ薄茶の瞳に見つめられる。 それにハッとして、今更自分のとった行動に気が付いた。 「あ、いや……」 何で、あんなことをした? 混乱する頭をフル回転させて、次の言葉を考えていたその時、首に細い腕が回されたかと思うと、レモンのような甘い匂いがふわりと薫った。すぐ目の前に、長い睫毛を伏せた宮白の顔があった。 「っ……何……!」 勢いよく顔を背けて体を離す。 「何って……俺を抱く為に連れて来たんでしょ?」 宮白は真顔で俺を見つめてそう言った。 ――こいつ。 「お前……っ!いい加減にしろよっ!!」 俺は思わず、宮白の肩を掴んで怒鳴っていた。 「お前は、あれか……?俺がソレをする為に連れて来たのだとしたら、大人しく従うのか……?」 「ええ。……そんな事よりも、痛いんですけれど。放してくれませんか」 宮白は俺を軽く睨んで淡々と言った。 先刻からの苛立ちは、きっとこいつのせいだ……。 「お前、自分の体を何だと思っているんだ!毎日色んな男に好きなようにされて、嫌じゃないのかよ!」 「……嫌ですよ。当たり前じゃないですか」 「だったら何故拒まない?……どうしてあいつ等を簡単に受け入れるんだよ」 宮白の、流されるまま諦めたような態度が、俺は気に食わないんだ。以前の自分を、見ているようで……。 「――貴方は、不思議な人ですね。俺にそんな事言う人に会ったの、初めてですよ」 その穏やかな声に、俺はするりと肩から手を離した。目の前の端正な顔には、何故か哀しげな微笑が浮かんでいる。 「何かの為に、我慢しなければいけないことって、あるんです」 初めて見る、宮白の人間味のある表情に俺は戸惑った。 一体何が、こんな顔をさせているのだろう……。 宮白の他人に向けられた空虚な眼差しは、何かを守るための偽りなのだと、俺はその時気付いてしまった。    * * * 研究棟の中にある資料室で、俺は研究材料に使う資料を探していた。 そこは、年季の入った建築模型や、大量の図面が入った段ボールが所狭しと置かれていた。 数ある資料室の中で、この部屋はずいぶん長い間放置されていたようで、何処もかしこも埃っぽい。 書棚から分厚いファイルを引っ張り出し、使う資料を探す。 「はあ……」 無意識に何度も溜息をついている。宮白のあの表情が、ずっと頭から離れなかった。 調子が狂う。自分が誰かに囚われているなんて、ありえない。俺にはやるべきことがある。早く平常心を取り戻さなければ。 再び資料に目を落とした瞬間、ガチャン、と大きな音を立てていきなり資料室の扉が開かれ、誰かが飛び込んできた。 「……宮白っ!」 そちらのほうに目を遣るなり、思わず叫んだ。 床の上に倒れこみ、大きく肩で息をした宮白がいた。 「すみません……。ちょっと……此処に居させてください」 宮白はそう喘ぎ喘ぎ言いながら、今入ってきた扉のほうに視線を向けた。外を気にしているようだ。 先刻まで宮白のことを考えていた為か、当の本人と二人きりになっているこの状況に動揺を隠せない。 やっとの思いで、宮白のほうに目を向けるとギョッとした。 「どうしたんだ、その顔!」 頬が赤く腫れ上がっている。服も乱れていた。 「……ちょっと厄介な連中に捕まっちゃって。大丈夫です。気にしないでください」 掌で頬を撫でながら、何てことない顔でそう言うこいつに少し腹が立った。 「大丈夫なわけないだろう。何でそうやって強がるんだよ。……待ってろ、直ぐ冷やすもの持ってくるから」 「自分でやりますよ、沙雪さん」 「いいからそこで大人しくしてろ!」 急いで研究室に行き、冷蔵庫から持ってきた冷却ジェルをタオルに包む。 それを宮白の頬に押し当てると「いたっ……」と苦痛に顔を歪めた。 「傷はないようだから、腫れが引いたら顔には残らないと思う」 俺がそう言うと、明らかに安堵の表情を見せた。 「いつも、こうなのか……?」 乱れた服を直してやりながら、そう訊ねる。 指先が宮白の肌に触れて、小さく心臓が跳ねた。 「いいえ。今日の相手が手荒かっただけです……。あまりにも酷かったんで、逃げてきちゃいました」 俯いたまま、力なく宮白が笑った。 「辛いなら、もう止めればいいじゃないか。“そういうこと”……」 「……」 やはり、宮白の口から同意の言葉は出なかった。視線を落とした瞳はいくらか寂しそうに見えた。 いつも泰然としているけれど、今自分の目の前に居る宮白は……。 「……そのカオ」 「え……」 「その表情(かお)、俺の前では見せてもいいよ」 思わず宮白の柔らかな髪を撫でていた。 「いつも気を張ってるなんて、疲れるだろ」 「沙雪さん……」 大きな瞳に、俺が映る。 何とかして繋ぎとめておきたいのかもしれない。 ふわりふわりと、何処かに行ってしまいそうな宮白を、体じゃなく、別の何かで……。

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