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第2章 偽り 04

「この部屋、いいですね。隠れ家みたい」 あの日、暫く沈黙した後、宮白がそう呟いた。 「ああ、ここの資料結構古いから、あまりこの部屋使うやついないみたいだ。でもいい材料が揃ってる。うちのチームの研究課題のヒントになりそうだ」 俺は部屋を見渡して言った。 「お前、此処に来たら?」 「え……?」 「資料探すの手伝ってくれ。……安心しろ。俺は何もしない」 宮白はきょとんとして俺を見た。 「本当に、不思議な人……」 ああ、自分でもそう思う。 宮白と二人きりになる。 この事が何を意味しているのか、俺はその時解っていたのだろうか。 何もしない? 俺は、あいつにとっての「何」になりたい……?    * * * その日から宮白と一緒に、この部屋で、合同発表会の研究課題に役立ちそうな資料や書籍を集めていた。 それが終わった後も、宮白は此処を訪れていて、それを知った俺は、何かと理由をつけて一緒に過ごした。 宮白は、前から落ち着ける場所を探していたらしい。特に話すこともなく、何をするというわけでもなく、宮白は黙ってそこに居た。 最近では、講義の課題と格闘している宮白を助けるようになった。 「小林教授、レポート評価すごく厳しいから、助かります」 宮白はそう言って、初めてにこやかな笑顔を見せてくれた。出会ったときの、牽制するような雰囲気はもう無い。少しは俺に心を開いてくれたようだった。 今日も、宮白は此処に来ていた。 申し訳程度に置かれた小さなテーブルで課題の建築パースを描いている。 俺はそっと横から覗いた。 「宮白、いいな、これ」 思わず声に出していた。 建築オタクと弥生に笑われるくらい、俺は建造物が好きだった。歴史的な建築様式はもちろん、トリッキーな近未来建築まで、実物もグラフィックも、あらゆる作品を見てきた。 宮白の描く、意匠を凝らしたそれは、これまでになく独特で美しかった。 「父親が一級建築士なんです。父の仕事を見て、小さい頃から真似事で描いてたんですけど、やっぱり専門的にやるとなると難しいですね。考えなきゃいけないこと、いっぱいで」 「そうか、父親がこっち系の仕事なのか。だからこの学科に?」 「それもありますが、……知人が不動産デベロッパーでマーケやっていて、いつか俺もそういったところで働きたいな、って……」 「俺と同じだな。街の一部が自分の造ったものって、夢がある」 身を屈め、もう一度宮白の創ったパースを近くで眺めた。 ふと、すぐ傍に宮白の顔があるのに気づいて、ドクンと心臓が波打つ。それを紛らわせるように、目に入った黒いピアスに話題を変えた。 「そのピアス、お前が選んだの?」 「……え、どうしてですか?」 「いや、宮白の雰囲気に、合ってるから」 本当のことを口にした。銀のフレームに縁取られた一粒のブラックダイヤモンドのピアス。それは色白の肌に浮き立つように光って、綺麗だった。 「……ありがとうございます。実は大切な人からの贈り物なんです」 宮白は今まで見たことのないような、穏やかな表情を向けた。 宮白の左耳にそっと手をかける。 大切な人からの贈り物?……一体誰からの? 「沙雪さん……?」 宮白に呼ばれてハッと気づく。吐息がかかるくらいに互いの顔が近くにあった。 俺を見上げる榛色の瞳。光を受けてまるで透き通るような……。 「宮、白……」 無意識に名前を呼び、滑らかな頬に手を添えていた。 「沙雪」 パッと宮白から体を離す。声がしたほうを見ると、ドアの前に弥生が立っていた。 「弥生……いつからそこに」 「ごめん。ちょっと前、沙雪が此処に入っていくのを見て。いつまでも研究室に戻ってこないから、見に来た。……お取り込み中だったかな?」 宮白を横目で見ながら、静かに弥生が言った。 「これ、計測データ。これまでの、まとめて出しておいたから、目を通して」 「……ああ、分かった。すぐやるよ」 俺は書類を受け取り、宮白を見た。 「俺、帰りますね。さよなら」 状況を察してくれたのか、宮白はすぐに立ち上がり、小さくお辞儀をして部屋から出て行った。 「……最近毎日のように宮白が此処に入っていくのを見かけて、気になってたんだけど。沙雪も一緒だったんだ」 扉が閉まると、弥生が口を開いた。じっと俺を見据えている。 先刻のことが見られていたと思うと、なんとも居た堪れない気持ちになった。 「いつの間に、そんなに親しくなったの?」 「あ、いや……」 言葉を濁していると、弥生が少し怒った口調で言った。 「あんまり宮白を匿うのは良くないよ。……男達が騒ぎ始めてる」 「分かってる」 弥生の言葉を半ば聞き流して、研究室に戻ろうと扉のほうへと歩みを進めた。 「……沙雪」 「何?」 俺は振り向いて弥生を見た。弥生は真顔で俺を見つめていた。 「宮白を……抱いたりなんかしてないよね?あいつのことを好きになったり、してないよね?」 俺は一瞬考えてから、ゆっくり口を開いた。 「……ああ」 弥生は何か言いたげな眼差しを俺に向けていた。 誰もいない研究室で、俺は暫く考えていた。 ……俺は、宮白に何をしようとしていた? 『あいつのことを好きになったり、してないよね?』 あれが「好き」から来る行為だとしたら、俺は罪を犯している。 俺は、あいつに「何もしない」と誓った。そう約束した上での関係。 それを破った時、俺たちはどうなるんだろう。宮白は、俺をどう見るだろう……。

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