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第2章 偽り 05
《perspective:亜矢》
『その表情 、俺の前では見せてもいいよ』
ふわりと僕の頭に触れた手の温もりが、結月さんを思い出させた。
優しく微笑んでそう言ってくれる沙雪さんは、本当に不思議な人だ。
彼は体を重ねることを要求しなかった。それでも僕に親しくしてくれた。
このまま、ただの親しい関係で在りたかった。
でも、触れる手から伝わる感情は……。
開け放した窓の外をぼんやりと眺める。
――もう、甘えてばかりはいられない。
気づいてしまいたくなかった。
目を逸してしまいたかった。沙雪さんの気持ちに……。
突然、静かな空間に響いたドアの開く音に、僕は徐に振り向いた。そこに居たのは沙雪さんではなく、サブリーダーを務める2年の汐野さんだった。
「来てたんだ、宮白。……沙雪を待ってるの?」
「……いえ」
「ふうん」
ゆっくりと近づき、隣に立って窓の外を眺めてから、再び僕のほうに視線を戻す。
「そのピアス、綺麗だね。ちょっと外して見せてよ」
唐突な言葉。それでも、拒めない雰囲気にのまれて、躊躇しながらも左耳からピアスを外し、彼に渡した。
「これ、大切な人からの贈り物なんだってね」
「はい。……この前の、聞いていたんですね」
「うん」
西日に翳されたピアスは、手の角度を変えるたびに、眩しくキラキラと輝く。
「――沙雪のこと、好き?」
静かに訊ねたその声に、僕は思わず汐野さんの目を見た。
濁りのない真っ直ぐな瞳だった。
何と答えようか迷っていると、彼はふと手の動きを止めて視線を外した。
「俺はね、ずっと沙雪の隣に居たんだ。
高校の時、誰も寄せ付けなかったあいつが、唯一俺だけ傍に居ることを許していた。何でも独りで抱え込む沙雪を、支えられるのは俺だけだと思ってた……」
呟くようにそう言って、再び僕の目をじっと見る。
さあっと二人の間を通り過ぎる風に乗せて、やや低音になった声が耳を掠めた。
「ねえ、宮白。沙雪の前から、消えてくれない?」
ピアスを持っていた右手が、ひゅうっと窓の外で空を斬る。
それを見た瞬間、自分でも驚く速さで足が動いていた。
「これ以上、俺の邪魔をしないでよ」
鋭く吐き捨てられた台詞は、ほとんど耳には入っていなかった。
無我夢中で階段を駆け下り、ピアスが落ちたであろう場所へと向かう。
資料室の真下は、植木が茂る裏庭だった。
息を切らして辺りを見渡す。
地面に手をつき、必死になって目を凝らして探してみても、小さいピアスが容易に見つかる筈もない。
ただひたすら、日の落ちる速度と格闘した。
「どう、しよう……」
次第に辺りが闇に支配され、僕は焦った。
左耳にピアスが無い状態で、家に帰ることは出来ない。
僕にとって、あれは一種の鎖みたいなものなのだから。
結月さんが、僕に与えた“所有”の印し――
半年前。
「亜矢に渡したいものがある」と、結月さんは小さな箱を僕の目の前に置いた。
僕は目を丸くして結月さんを見た。この日は彼の誕生日だった。僕がプレゼントを貰う側じゃない。
「開けてみてごらん」と促され、丁寧に包装された箱を開くと、ブラックダイヤモンドが輝くピアスが目に飛び込んだ。綺麗、と溜息を漏らした後、あることに気がついて、思わず俯いてしまった。
「嬉しいです……。でも僕、ピアスホールあけていなくて……」
申し訳なくて、躊躇いがちに言うと、彼は何も言わずに微笑んで僕を見つめた。
ピアスを身に付けたその日、「よく似合っている」と嬉しそうにそう言って、僕を抱き締めてくれた。
「亜矢は、俺だけのものだ」
左耳に口づけながらそう囁いた彼の声は、全身に響くほど熱っぽく、僕を翻弄した。
「お願いだから、見つかって……!!」
額に汗が滲む。
あのピアスが左耳に納まっていることで、僕は他の男と寝ていられる。
だから、あれが無くなってしまったら、心が折れてしまいそうで……
一気に心細くなって涙が溢れた。
僕は、結月さんだけのもの。
このカラダも、心も、すべて――
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