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第4章 再会 13
大学時代、理学部で地球環境の研究分野を専攻した俺は、修士課程を修了した後、独立行政法人の環境科学研究所に就職した。院に残ることも考えたが、研究員として働きながら目指せる論文博士の方を選び、去年、晴れて博士号を取得することができた。
研究所には、環境リスクや資源循環などといった多様なチームがあるが、その中でも俺は、気候変動や地球物質などを調査対象とする領域に所属する。
4年前、シカゴ支部に異動になり、研究のため、アメリカ本土のあらゆる地域に足を運んだ。日本に戻ってもそのフットワークの軽さは求められ、各地への出張は頻繁にあった。
3日ぶりに家に帰ると、食欲を唆る匂いが俺を待っていた。
トントンと包丁の小気味良い音が聞こえる。俺の気配に気づいた亜矢は、こちらを見ることなく「おかえりなさい」と小さく言った。
「飯、何?」
「ぶり大根と蓮根のきんぴら、あと、あさりの味噌汁。
千尋兄、和食ばかりリクエストするんだもん。献立考えるの、大変なんだから」
「日本の家庭料理に飢えてんだよ」
「戻ってきてから、だいぶ経つけど」
「別にいいだろ、和食が好きなんだから。札幌じゃ何故かイタリアンやらラーメン屋やら連れて行かれるし。寿司、食わせろっての」
亜矢は相変わらずつんけんとしている。それでも甲斐甲斐しく料理を作ってくれ、朝と夜の頬へのキスは忘れない。前はあんなに素直だったのに、とは思うものの、その変わらない健気さが可愛くてしょうがない。何より、ちゃんと会話をしてくれるようになっただけでも嬉しい。
「あ、これ土産」
キッチンのカウンターテーブルにがさりとそれを置く。
「お前が欲しがっていたチーズケーキ」
亜矢は鍋の中を見ていたが、それを聞いてぱっと顔を上げ、手提げ袋に視線を移した。
「これ……」
「お前、この前テレビでこれ特集されてたとき、いいなぁって見てただろ」
亜矢が驚いたような顔を向けた。
俺がこんなことをするとは、思ってもみなかったのだろう。
「でも、限定ものだし……」
「後輩に並ばせた。おかげで今度、飯奢る羽目になった」
亜矢は少し複雑そうにしてから「ありがとう」と微笑んだ。それはとても自然で、あどけないものだった。
そういえば、こんな笑顔は再会してから初めて見る。いや、ここ直近のことというよりは、記憶上、最後にそれを見たのは遥か昔だ。
釣られて笑みが溢れそうになるのを抑え、「それなりの対価が要るな」と言うと「あ、お金、払うよ」と返される。
「金は要らない。俺が欲しいもの、解ってるだろ」
真顔で言った言葉に、亜矢の表情が硬くなる。
――まだ、そんなに身構えるのか。
「……冗談だよ。まあ、でも、今日は俺の部屋で寝ろ」
それだけを言い残して、荷物を置きに自室に戻った。
亜矢と暮らすことを姉に伝えた際、義兄が仕事仲間を泊めるために使っていた空き部屋を貸してくれたのだ。
亜矢に再会してから2ヶ月が経っていた。
あの泣かれた日から、情事はおろか、唇を重ねることも抱き締めることもしない。
その代わりに、度々、亜矢と一緒のベッドで眠るようになった。
石鹸の香りを纏い、白い胸元を無防備に晒した寝間着姿の亜矢に、何の感情も持たないはずはない。それでも一切の手は出さず、ただ寄り添って体温を共有した。まるで4年の空白を埋めるかのように。
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