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最終章 萌芽 07

《perspective:千尋》 一ノ瀬と再会したあの日の夜。 抱き締めた亜矢の体温が体中に纏わりつき、とても眠りにつくことなど出来ず、手を繋いだまま、ただ寄り添って一夜を過ごした。 涙の跡が残る寝顔。白い肌に浮き立つ肩口の紅い痣。それがとても痛ましく見えたと同時に、愛おしくなった。 亜矢をこのまま手に入れたいと思う自分の卑しさに辟易しながらも、結局、一ノ瀬に会ったことを告げることは出来なかった。 それから5日。 亜矢は変わらず俺に接していた。朝に淹れてくれるコーヒーも、頬に触れるキスも、いつも通り。それがじわじわと俺を責め続けた。 「千尋兄、僕もう寝るね」 リビングのソファに座り、ノートパソコンを開いて仕事をしていた俺に、亜矢が声を掛けた。 石鹸の香りがふわりと鼻をくすぐったかと思うと、「おやすみなさい」と耳元で小さな声が聞こえ、柔らかな唇が頬を掠める。 身体を離し踵を返そうとする亜矢の腕を、俺は咄嗟に引いた。倒れ込むように体勢を崩した細い体を両腕で受け止める。 「もう、そんなことはしなくていい」 強く抱き締めながらそう言うと、胸に触れた肩が僅かに揺れた。 「悪かった……全部、間違っていた」 自然と、謝罪の言葉が口をついて出た。 今更だと思う。それでも、言わずにはいられなかった。 回した腕に白い手が重なり、榛色の瞳がこちらを向く。「千尋兄」と呟くように呼んだ亜矢の頭を、掌で優しく撫でた。 いつもは恐れるような、抗うような眼差しを向けるのに、その瞳は穏やかだった。 「――4年前、千尋兄と離れることが出来てほっとした。全部忘れたくて……気がついたらいつの間にか、本当にそうなっていたんだ」 亜矢はふっと視線を外して、静かな声で言葉を続けた。 「千尋兄がシカゴに行ってからすぐ、高校の先輩に家に呼ばれて……無理矢理された」 「された、って……」 何を、と聞かなくても解ってしまう自分が恐ろしい。過去にまったく同じことをした。それなのに、その男に対して強い怒りを覚える自分自身に虫酸が走り、ギリ、と唇を噛み締める。 「好きでもない人に抱かれて……それなのに体中が熱くて、自分の体じゃないみたいで怖かった。こんなふうにした千尋兄のこと、ずっと、ずっと憎んでた」 ――『好きだなんて、今まで、一度だって、言ってくれなかったっ……』 あの日、そう言った亜矢の言葉が、まるで自身を責めるかのように蘇ってくる。 睦言ですら、好きとは言わなかった。数年離れると分かった時でさえも、優しい口づけをすることはおろか、最後まで抱き締めもしなかった。 想いを寄せていた男に、愛も与えられないまま、身体を弄ばれただけ。 このことが、どれだけ亜矢を苦しめたのか。 それは日毎に憎しみに変わり、好きだった感情も、ごく普通の叔父と甥だった幼少期の幸せな思い出さえも、記憶から消し去ったのだ。

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