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magic of love

 朝の君は、少しだけ騒々しい。いつも遅刻ギリギリで教室に駆け込んでくる。  前までのオレならきっと、君のそんな姿にこっそり苦笑して終わってたけど。 「……おはよ」  今日は、そっと。少し躊躇いがちにそう声を掛けてみる。  そしたら君は、一瞬キョトンとしてから、辺りをきょろきょろ見回して、オレに気付いてにっこり笑い返してくれた。 「----おはよ」  教室の中が一瞬ざわめきを消したように思ったのは、きっとオレの気のせいなんかじゃない。  だけど君はそんなことは気にも止めずに、自分の席にすたすた歩いていって。  後はやっぱり、話しかけてくるなってオーラを出してた。  だけど、そのオーラが実は「話しかけたいんだけど出来ないんだよ何が悪いっ」て言うオーラなんだって、知ってるのはきっとオレだけだ。 『ものすっごい人見知りするんだ』 『へ?』 『だから、人見知りするんだってば』 『……ひとみしり……』  何喋って良いか良く分かんなくてさ、と拗ねた子供のように呟く君が可愛く見えたのは、ひとまず脇に置くとして。 『オレも人見知りするんだけどね』 『え? でも上本とか谷川とかと仲良いのに……?』 『名前は知ってんだ』 『知ってるよ。目立つもん、相沢達』  あっさりと呼ばれたその名前は、なんだかもう何十年もそう呼び続けてたみたいに自然な音を響かせて。  なんだか嬉しくなった。 『……オレらは中学一緒だったから』 『そうなんだ……』 『まぁいいんだけど、ソレは。……オレが言いたいのはさ、たぶん、クラスのみんなが、はなしたいと思ってるよってコト』 『……』 『少なくともオレは、話してみたいって、思ってた』 『……ホントに?』 『ホントに』  こっくり頷いてみせると君は、嬉しそうに笑ってくれた。 『そっか』  そっかそっかと笑った君は、やっぱりキラキラして見えて。  抱き締めたい衝動を押し込めるのに必死だった。 「…………なぁなぁ」  そんなことを思い出して、一人にやける唇の端を隠すのに必死になってるところに、上本の声が聞こえてきて。 「ん? 何?」  顔を上げたら、真剣な顔した二人が目の前に立ってた。 「…………どしたの」 「いつの間に仲良ぉなったん?」 「へ?」 「赤井くんと! 何や今の! にこぉーって。めちゃくちゃ可愛かったで!?」  今にも掴みかかってきそうな勢いの二人に苦笑を返してから、そっと君に目をやってみる。  君は相変わらず窓の外ばっか見てるのに気付いて、今度は違う種類の苦笑を浮かべてから。 「気になるなら話しかけてみればいんじゃないの?」 「…………えぇわ、それは」 「うん、それはエンリョしとくわ」 「なんで?」 「なんかだって、……なぁ?」 「うん。話しかけにくいやん」  なぁ、と顔を見合わせて頷き合うのに、やれやれ、と溜息を一つ。 「別に話しかけにくくないよ?」 「そら自分はえぇわ。急に仲良ぉなってんねんもん」  むすぅっ、とした顔の二人に、悪いと思いつつ小さく吹き出した後で、二人に小突かれた。  一時間目の授業の途中から、君は机に頬杖で熟睡してた。  教師が気付かなかったことに、きっと本人よりもオレの方がホッとしながら。  授業終わりのチャイムにも気付かずに爆睡してる君に、そっと近付く。  教室の中は、次の移動教室に向けてざわざわしてるのに、君はまだ起きない。 「………………次、移動だよ」  ちょいちょい、と突いてそう声を掛ければ、ほぇ? とうっすら目を開けて、きょとーん、とした君の顔が。  あまりにも幼くて可愛くて。思わずぐりぐりしたくなる愛らしさに、心臓がバクバク言ってるのが分かった。 「次、移動だよって」 「えー? …………授業は?」 「終わったよ」 「うそっ」 「ホントだって」  先生もいないでしょ、と笑えばホントだ、と呆然とした君。  ホントはこうやって、くるくる表情が変わるのに。  きっと、こういう表情を普段から見せてれば、みんな近寄ってくるのに。  そんな風に思いながら、とにかく、とまだぼんやり椅子に座ってるのを急かす。 「次移動だから早く行こうよ」 「ぇ?」 「移動なんだってば」 「…………あぁ、うん。そっか」 「まだ寝てる?」 「ウルサイナ」  照れたみたいに怒る声。  だけどちょっと赤い耳たぶ。  可愛いな、なんて思いながら視線を感じて振り向けば、遠巻きにみんなが、こっちをチラチラと窺ってて。  これだけ表情が変わるのが、きっとみんなにしたら驚きだったんだろうな、なんて思ったりして。  準備ができたらしい君に、行こ、と声を掛けてから。 「寝起き悪いんだね」 「だから遅刻するんだよ」  返ってきた苦笑混じりの声が、幼くておかしかった。  近付くたびに、君が遠くなっていく錯覚。  こんなにも近いのに、あんなにも遠い。  心の話? 違う気がして、哀しくなる。  友達なんてポジションは、案外に面倒くさくて、苦しいくらいにもどかしいんだって、今更ながらに気が付いた。  *****  オレが声を掛けるからか、少しずつ朋弥もクラスに馴染んでいって。  オレじゃない誰かと、教室の中で笑うことが増えて。  それにホッとしながら、だけどどっかで息苦しいのは。  オレが、笑顔を独占してたいからなんだって、そんな傲慢に気付いて苛ついて、重症だよ、なんて小さく嗤う。 「あいざー」  だけど。  そうやって、楽しそうに呼びかけてくる声は、どうしても嬉しい気持ちだけ呼び覚ましてくれるから。 「何?」  バカみたいに、笑い返す。  どうしても好きだから。  どうしても愛しいから。  どうしたって、大好きだから。  子供みたいな感情を持て余しながら、笑顔で接するのは結構きついけど。  返ってくる笑顔は、全て取り払えるだけの喜びを与えてくれるから。 「…………ホントに重症だね」 「ん? 何か言った? 恐い顔してさ」 「別に」  覗き込んでくる幼い心配顔に、ゆっくり笑い返してから、気付かれないようにこっそり溜息を吐いた。  いつか、抑えきれなくなったらどうしよう?  この気持ちを、抑えきれなくなったらどうしよう?  だけどね、もう。  案外、限界は近いような気がしてるんだよ。  ***** 「最近朋弥くんさ……」 「ん? 何?」 「楽しそうだね、学校来るの」 「へ? なんで?」 「なんとなく。そう思うだけ」  目の前で孝治くんが、ちょっとだけ悔しそうな、怒ってるみたいな顔でそう呟く。  そうかな? なんて首を傾げるけど。  でも。  「おはよ」って、相沢が、毎朝ちゃんと言ってくれるのが、ちょっと嬉しいのはホント。  「おはよ」って返すと、相沢がゆっくり、嬉しそうに笑ってくれるのが、ちょっと嬉しくて楽しいのも、ホント。  寝過ぎた授業の後で、呆れたみたいな顔で、だけど優しく起こしてくれたり。  休み時間、話しかけてきてくれたり。  そういうの、嬉しいなって思ってるのは、本当。 「……孝治くんは楽しくない?」 「…………そんなことないよ」  小さく、疲れたみたいに笑った後で、孝治くんは、先に行くね、って帰っていった。 「…………孝治くん?」  いつもなら振り返ってくれるはずの孝治くんは、だけど今日は振り返らないで扉の向こう側に消えて。  一人取り残されて、紙パックの紅茶片手に唇を噛んだ。  なんで? 何が駄目だった? 何で怒らせた?  楽しいって言っただけ。  学校楽しいよって、言っただけなのに。  予鈴が鳴って、女の子とか、男子が、だらだら帰り始めるのを見ながら、だけど、動く気になれなかった。  だって、楽しいんだもん。最近、……相沢と仲良くなってから、楽しくなったんだから。 「…………赤井くん、帰って来ぉへんね」 「……ホンマやな。どないしたんやろ。いっつも予鈴の時には帰って来んのに」  そんな台詞を聞いて、予鈴が鳴ったんだって気付いた。  空白の朋弥の席見ながらぼんやりしてたんだって、今ようやく気付いて。  あぁ、もうホントに重症だよ、って心の中で頭を抱えてから。  ふと目をやった廊下の隅っこ。  こないだ見た、朋弥の隣で笑ってた男が、ゆっくり歩いてるのに気付いた。 「…………あいつ……」 「へー? 何、どないしたん?」 「…………いや…………」  アイツがいるなら朋弥も一緒だろ? なんて思ったのに、いつまで経っても朋弥は現れなくて。  時計を見れば、もうチャイムまで3分くらいしか残っていなかった。 「…………オレ、探してくるわ」 「え? ちょっと」  何か言いかけた二人には構わずに、立ち上がって教室を出る。  すれ違った教師に、もう授業始まるぞ、なんて声を掛けられたけど。  適当に返事して階段を上って。  息が切れるくらい走って、屋上への扉を開ける。  あの時と同じに、降り注ぐ光の中で。  だけど、一人ぽつんと座り込んでる朋弥は、酷く頼りなくて幼く見えた。 「………………朋弥」 「…………----あいざぁ」  そっとかけた声に、朋弥はゆっくり顔を上げて。  迷子の子供みたいにオロオロしてた顔に、ゆっくりと安堵の色が広がっていくのが分かる。 「どしたの。もうチャイム鳴るよ?」 「…………孝治くん、怒らしちゃってさ」 「……孝治くん?」 「……一緒にご飯食べてた、中学ん時から一緒の、友達」 「……そう」  すたすた歩いていって、置き去りの子猫みたいな朋弥の隣に座る。 「オレ、学校楽しいよって言っただけなのにさ。……なんか、機嫌悪くなって、帰っちゃって……。なんでだろって考えてたら、帰れなくなった」 「……」 「そしたら、相沢が来るから」 「から?」 「……」 「迷惑だった?」  傷つきながら言った言葉に、違うよと、叫ぶみたいな声を返した朋弥は、もっと傷ついたみたいな顔をしてて。 「…………朋弥?」 「オレさ。……学校、楽しくなかったよ、最初。誰とも喋れなかったし……。孝治くんとご飯食べる時が、一番ホッとしてたし。……だけどさ、相沢と喋るようになってから、楽しくなったって。……ずっと、孝治くんがオレのこと心配してくれてるの知ってたから、だから、楽しいんだよって、言っただけなのに……」  場違いなチャイムが五月蠅く鳴り響く中で聞いた台詞に、胸の奥が跳ねたのが分かる。  楽しくなった。オレと喋るようになってから、楽しくなった。  都合の良い勘違いを起こしそうになって、慌てて押さえつけたのは、好きって言う想い。  今のは違う。単に友達として、そういう意味で言ってるだけだよ。  言い聞かせて、表情も取り繕って。  必死に平静を装う。 「オレ、なんか変なこと言ったかなぁ……」  俯く朋弥に、かけてやる言葉は。  バクバク言ってる心臓押さえつけてる、余裕のないオレの頭じゃ考えつかなくて。  奇妙な沈黙。 「………………相沢来るからさ……」  さっきも聞いた台詞に、顔を上げれば。 「……なんか、安心しちった」  ほぅっ、と。  照れたような笑いを浮かべて、だけど心底安心したみたいに、溜息なんか吐くから。  もう。  どうしようもなくて、華奢な体を抱き寄せてた。 「あ、いざ……?」  掠れた声が耳元に聞こえても。  離すことも、冗談にすることも出来ずに。  ただ、きつくきつく抱き締めることしかできなかった。

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