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12・マドカについて 前編
【マドカについて】
その後、神和さんに依頼が完了した旨の連絡をし、場所を決めて落ち合った。
「ありがとうございます。助かりました」
神和さんはリストと物品が一致しているかを確かめ終わると、僕らに対して深々と頭を下げた。
「あのお屋敷にいた人は、一体何者なんですか」
意外にも吉浦さんが尋ねる。
「……すみませんがこの後予定があるので」
明らかにその話題に触れたくない様子で、神和さんは業務的な手続きだけを素早く済ませ、再度僕らに頭を下げて去っていった。
「あれってお化けだった?」
帰り道の車内で、大津さんが吉浦さんに問いかけた。
「いや。人間、だと思う」
釈然としない様子で吉浦さんが答える。
「部屋、外づけの鍵でしたよね。あの人も普段から外に出ている様子ではありませんでしたし。……もしかして監禁とか」
吉浦さんは盛大なため息を吐き、厄介だとでも言いたげに頭を掻いたが、瞳は好奇心で満たされていた。
「自分たちの手に負えないようなことに首を突っ込むべきじゃない。本来はな。でも正直納得いかねぇよな」
「ここまで来たら真相まで知りたいです」
「二人が気になるなら私も付き合うけどー」
ふと気になって、ミラー越しに運転する大津さんの顔を見た。
「大津さん、一人称「私」なんですね。神和さんもそうでしたけど、丁寧ですね」
「ん、そう? まあ一応女だしその辺はちゃんとしとかないとかなって」
「え」
吉浦さんが吹き出す。僕は血の気が引いた。
「すみません……、気づかなくて」
「慣れてるしいいよー」
改めて大津さんの立ち姿を思い返したが、逞しく引き締まった身体つきと精悍な顔立ちも相まって、多分間違いなく男性であるはずの吉浦さんより勇ましい。ついでに身長も吉浦さんより高かった。
「失礼かもしれませんけど、いい意味で女性からもモテそうですね」
「そうかな? 芦港面白いこと言うね」
大津さんは軽快に笑っていた。
今朝の集合場所まで戻り、解散の流れになったが、神和家について今後メールかなにかで話し合おうということになった。
「このままだとなにも話して貰えなさそうだし、一度俺ら周りの人間を辿って、神和家について調べてみるか。うまく行くかは賭けだが、その後本人に改めて話を聞こう」
吉浦さんの提案に大津さんと僕も賛成した。
二人と別れ、セールの始まったスーパーで夕食を買った帰り道、不意に憂鬱な気分になった。家に帰ったら零の連れ込んだ男がいるんだろう。
はたして予想は当たっていた。
例の浅黒男と、もう一人の見覚えのない男が下品に笑いながら、ダイニングテーブルに零の上体を押しつけ、背後から乱暴に犯している。零はぐったりと力が抜け、子どもに揺さぶられる人形のように生気が感じられなかった。
帰ってきた僕に気がつくと、暗い目を気まずそうに逸らせる。
「っも、いいだろ……」
「いいだろってなんだよ、お前がノリ気だったんだろぉ?」
「せめて部屋で、」
「黙って喘げって」
見知らぬ男が尻を打ち、零の苦しそうな、しかし悩ましげな呻きが漏れる。
「……」
音が遠くなっていく。
僕の中でなにかが折れる度、目の前の出来事は映画のスクリーンの向こう側になる。
(ご飯を作らないと)
男たちを尻目に、二人分の夕食を作った。食欲はなかったのでラップをかけて冷蔵庫にしまい、洗濯機を回して、風呂に入るついでに浴槽を掃除する。家事を全て済ませてしまうとやることがなくなり、自室に篭った。
棚の上の古びたラジオが目に留まる。
この家は元々零の祖父母の持ち物で、変わったものを色んな場所から買い求めてはここに集めていたそうだ。木彫りのお面やサソリの標本などは、なるべく場所を変えずに置いてほしいと、片付けの際零に言われていた。
このラジオもコレクションの一種なのかもしれない。
電源を入れるとノイズが鳴り出した。案外耳心地がいい。潮の香りの混じる湿った風が、波の音を連れて肌を撫でていった。遠くでひぐらしが鳴いている。
ベッドに倒れ込み、携帯のアプリでお気に入りの音楽を再生して、イヤホンで耳を塞いだ。
そうしてやっと、階下の音は意味をなさない振動になり下がる。
眠りに落ちるまでずっと、零のことを考えていた。
そんな調子で数日過ごしたある休日、特にやりたいこともなくて、仕事がはいっていた方が気が楽だったなとぼんやり思った。
いつも通り六時に起床する。
家事をしていると昼前に零が起きてきて、くたびれた様子で「おはよう」と口にする。僕もおはようと返す。ここ最近、会話はこれくらいしか交わしていない。朝食を食べて零は仕事部屋に篭った。
なにもない日が過ぎていく。
夜になってインターホンが鳴った。出ると、浅黒男だった。客人を追い返すわけにもいかず渋々迎え入れる。
「やっほー従兄弟くん。エッチでビッチな零くんはどちら?」
「……仕事部屋です。集中してるから邪魔しないほうがいいですよ」
「だぁいじょうぶ。ちょっとケツ撫でてやりゃすぐその気になるから」
そう言うと、浅黒男はノックもせずに仕事部屋の扉を開けた。一拍遅れて焦りと怒りの混じったような零の声が聞こえたが、すぐに静かになった。
居場所がないように感じて、僕は外に出る。
コンビニでスナック菓子を買い、イートインスペースに座りながら何気なく携帯を眺めていると、吉浦さんからメッセージが届いていることに気がついた。
『あの後、社内の情報通に神和家のこと聞けるだけ聞いてみた。割と有名な家だから元々興味持ってた奴もいたみたいで、焼肉かなんか奢るって言ったら教えてくれたよ』
僕は吉浦さんに感謝を伝え、報酬費用は後で割り勘にしましょうと提案した。
手に入った情報は、まず神和家の家系図。それから神和さんの親戚からの証言……「神和家は代々巫女の血筋で、本家の敷地には本家の建物と分家の建物がある。分家は事業をおこして本家を支えた血筋で、依頼主の神和さんは分家の出身である」というもの。
最後に、吉浦さんは張り込みが得意な仕事仲間に、神和家でなにか変わった動きがないか探ってくれるよう頼んだそうだ。
それによると、神和家には高級車が出入りすることがあり、車に乗ってやってきた客人を黒と白の巫女装束の人が親しげに見送っていることもあったという。例の子に違いない。
『家系図とか証言とか、こんな情報どうやって手に入れたんでしょうね』
『色々あるんだよ。あの会社で働いてる人間は大抵訳ありだからな。親戚から話聞くためにハニトラ仕掛けたって話は笑ったけど、そいつは普段から女食ってる奴だからなにも不思議じゃない。家系図に関しては専務からの情報だが、出どころは全くの謎だ』
深入りしないほうがいい話というやつだろうか。この辺りの怪事は頭の片隅に追いやることにした。
吉浦さんとのやり取りが一段落した頃、大津先輩から理解不能な文字列が送られてきた。重要な情報かと思って真面目に解読を試みていたら、吉浦さんに『こいつは機械音痴すぎるだけだから深く考えるな』と制止された。
改めて家系図を確認する。
『この、「円」って名前がいくつかあるのが気になります。最後の方にあるの、依頼主の神和さんですよね。特別な名前なんでしょうか。だとしたら、』
「今晩は」
突然背後から話かけられ、心臓が縮みあがった。慌てて振り返ると、真っ黒な髪が印象に残る二十代半ばくらいの男性が、人の良さそうな笑みを浮かべて立っている。知らない人だ。
「こ、んばんは」
「突然なんですけど、この住所分かりますか? 土地勘がなくて」
そう言って差し出されたのは手描きの地図で、丸印がつけられた場所は零の家だった。この人も浅黒男の同族だろうか。一気に警戒心が高まる。
「どういったご用件ですか」
「芦港零さんって方と、仕事の話です」
「電話では難しいですか」
「それも考えたんですけど、繋がらないんですよ。間違えて聞いたのかなぁ」
首を傾げる仕草は本当に困っているようで、普段から失敗の多い人なのだろうかと思った。
仕事の話なら仕方ないが、浅黒男との情交を悟られるのは零も望まないはずだ。
「あいにくですが、レイには先客があります」
「あれ、そうですか。君は芦港先生の……?」
「従兄弟です。仕事探しのために居候させてもらってます」
へぇ! と驚いたような声をあげて、男性はちゃっかり僕の隣に座った。そのまま、持っていた濡れせんべいの袋を開けてむしゃむしゃと食べはじめる。
「僕は青海 って言います。従兄弟かぁ、似てないから気づきませんでした」
「芦港凪です。……よく言われます」
正直居心地がよくない。零の知り合いなら、僕が零の血縁ではないと勘づいてしまうかもしれない。
青海さんはちらと腕時計を確認し、「十一時ですね」と呟いた。
「……」
「凪くん未成年ですよね。お家帰らないんですか」
「今は、居づらくて」
「なるほど」
唐突に渡された濡れせんべいをティッシュに包んで鞄にしまう。他人から貰ったものはあまり食べたくなかった。
「じゃあ、ちょっとお話つきあってもらえませんか。近くに宿を取ってるんです。今日は先生も忙しいようだし、お互い暇潰しってことで」
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