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13・マドカについて 後編
明日も仕事がなかったので、時間はいくらでもあった。なにより、補導される心配なくどこかで時間を潰せるなら断る理由はない。
終電間近の電車に乗り、家からいくつか先の駅で降りた。バイト先の会社がある町に近い、比較的栄えた地域だ。
青海さんについて行くと、ビジネスホテルらしき建物に案内された。仕事の都合でしばらく泊まっているらしい。フロントで僕の分の追加宿泊費をさらっと払った青海さんに、慌てて自分で払うと言ったら食い下がられ、結局折半ということになった。
ベッドに座るよう促される。部屋を見渡しても、壁際に簡単なワークデスクと一人用のソファがある他には、ベッドくらいしか座るところがなかったので、「失礼します」と呟いてからぎこちなく腰かけた。
青海さんが粉末茶を入れたマグカップに、電気ケトルから湯を注いで手渡してくれた。
「神和家について調べてるんですね」
「え、」
危うくマグカップを落としかけた。頭の中を透視でもされてるのかと思って手で隠す動作がおかしかったのか、けらけらと笑われてしまう。
「さっき携帯の画面が見えちゃったんですよ。僕が言えたことじゃないですけど、意図的に覗く人も結構いるみたいなんで気をつけてくださいね」
「は、はあ……」
確かに不用心だったかもしれない。気をつけよう。
「神和家、ご存知なんですか」
「いろんな方向に影響の強い大きな家ですからね。面白い噂も色々あります。例えば、」
青海さんは活き活きとした表情で、勢いよく僕の隣に座ると、手に持ったマグカップの中をかき混ぜながら話し始める。
「さっき円 という名前がいくつかあるのが気になるって書いてましたね。あれはいい着眼点です」
「マドカ、って読むんですね」
「意味は漢字の通りです。円は欠けのない、完全なものを表します。少しややこしい話になりますが、凪くんは太極図を見たことはありますか。黒と白の勾玉が組み合わさったようなマーク」
「見たことあります、意味はあまり」
「あの図は陰陽思想を示します。この世の全ては陰と陽で表すことができ、陰と陽が混ざり合うことで成りたっている……簡単に言うとそんな感じの考え方です。黒は陰、白は陽をそれぞれ表しています。性別も陰と陽に分けられるんですよ。陰が女性、陽が男性」
頭の中で黒と白の勾玉のような図形がくるくる回っている。陰とか陽とか、聞き馴染みのない言葉ばかりだ。
「神和家はとても粘り強い、貪欲な姿勢を持つ一族だったようです。信仰を守るためなら他民族の考え方を取り入れ、変化することも厭わなかった。そうまでして守りたかったのが「カンナギ」と「マドカ」です」
吉浦さんからの情報にあった、分家が事業を起こして本家を支えたという言葉を思い出した。確かに強かな印象を受ける。「カンナギ」と「マドカ」を守りたかった、とはどういうことだろう。
「神和は神凪と書けます。転じて巫 ……巫女にも同じ字が使われますよね。この国の巫女とは元々、神や精霊を身体に憑依させて、その言葉を人々に伝える役でした。神が凪ぐことで交信ができる、ということですね。巫は神や精霊が宿る器なんです」
「人間が、器」
嫌な予感がして、僕は眉根をよせた。
「通常は、一時的に人ならざるものを憑依させるだけです。けど一部の地域では……呪術に近いような形で神との交信が行われたこともありました。奇形児を神への供物にしたという話が伝わる土地もあります。神和家はどちらかといえばそれに近いのかもしれません」
「……」
「「マドカ」は神和家における巫を指します。人々の信仰心をより強くするため、生き神のようなものを作ろうと思ったのでしょう。かつての神和家は神の器にふさわしい人材を探し求めた。そこで目をつけたのが半陰陽でした」
「ハンインヨウ?」
「人間でも犬猫でも、生殖器から性別を判別できない個体のことをそう言います。両性具有のような、女性器と男性器両方を持っている場合などですね。さっき性別も陰と陽に分けられると言いましたよね。女性であり男性でもある個体はどう解釈されるかわかりますか」
頭の中で回っていた黒と白の図形が噛み合って、太極図を作り上げる。円の形をした、象徴的な図形だ。
「円、」
「そうです。半陰陽はそれだけで陰と陽を併せ持つ、太極図を表すことができるんです。そして円形である太極図は欠けがなく完璧なものを表す。神の器として相応しいと思いませんか」
青海さんの妙に弾んだ、朗々とした語り口調が、どこか怖かった。
この人は純粋に楽しんでいる。人間が人間を物のように扱う風習ですら。
「当然、そう都合よく半陰陽が生まれることは稀でしょうから、その場合は別のこじつけが必要になります。これはただの憶測ですが、相応しい半陰陽の器がなかった場合は「子ども」であることに価値を見出したのでは、と思います」
「子ども、ですか」
「子どもってある程度の年齢に達するまでは自分が女の子か、男の子か意識しないで、友だちとも性別関係なく遊びますよね? あのあり方は半陰陽的なんじゃないかと思うんです。そして子どもは「子供」、つまり供えるもの、と書ける」
思わず青海さんの肩を押しのけてしまった。頭がぐらついて目眩がする。
「すみません、気持ちのいい話じゃなかったですね。自分も子どもがそんな風に利用されるのは快く思いません」
「……」
無表情に謝る様子があまりに無機質で、目の前の人間に自分と同じ、温かな血が通っているのかどうか疑わしかった。
震える手を無視してマグカップのお茶を飲む。少し気持ちが落ち着いた。
「大丈夫ですか? 不快なら僕、外で時間潰しますけど」
「大丈夫です」
食い気味に答えた。半分は自棄だったかもしれない。
青海さんが背中をさすってくれても、肌が粟立つような感覚が消えることはなかった。
「……僕は君たちが羨ましいです。僕のような人間より、ずっと穏やかで温かい世界を感じているんでしょうね」
そうだ、僕のこの気持ちは青海さんには伝わらない。伝わるはずもない。背中をさする手がいくら温かかろうが、僕らを繋ぐものは見つからなかった。
おやすみなさいと言って、青海さんは僕に背中を向け眠りにつく。
三十分ほどはなにをするでもなくただベッドに座り、間接照明が照らす部屋の輪郭を眺めていた。そうするうち、コンビニを出る前からメッセージの返信をしていないことを思い出した。
携帯の液晶が思ったより暗闇を裂いたので、慌ててブランケットを頭から被る。吉浦さんが僕の言葉の続きを促し、その数十分後に心配する内容のメッセージを送ってくれていた。
時刻は深夜の二時近い。心配させたままよりはいいかと思って、返信を書いた。
『夜遅くにすみません。無事です。神和家について、わかったことがあるのでまとめます』
青海さんのことをどう説明すればいいのか迷ったが、とりあえず知り合いということにして、聞いた内容をかいつまんで説明した。一応、最後に青海さんから聞いた考察も含めておいた。
一息ついて寝ようかと思っていたら携帯が震えた。吉浦さんは起きてくれていたようだ。本人によると休み前は夜更かししがちらしいが、申し訳ない気持ちになった。
『その知り合いの話にどこまで信憑性があるかはわからないが、俺もその手の話を聞いたことはある。言い方は悪いが、よくある話だ。問題は神和家が現代でもそんな風習を続けてるらしいってところだけどな』
『正直胸糞が悪いです』
『そうだな。考えてみりゃ、あそこにいた巫女装束の人、妙にガキっぽかった。これは臭うな』
しばらく、吉浦さん側が書き込んでいるらしい間があった。
『いまどきは男の体に膣を作ったり、女の体にちんこっぽいものをつけたりもできる。紛いものではあれど、見かけ倒しの生き神ならそういう処置がとられていてもおかしくない』
『それは、無理矢理体を改造されるってことですか』
『ただの推測だけどな』
目眩のような気持ち悪さをぐっと堪える。
『神和さん、円って名前でしたよね。もしかして神和さんも生き神として?』
『いや、依頼主の神和さんの血筋は本家の祭事には深く関わってないらしいから、それはないんじゃないか。本家にはいくつか円の名前があるのに対して、神和さんの血筋にはひとつしかないしな。だとするとどうして神和さんだけ円と名づけられたのか謎だが……。とりあえず、芦港の報告で本家の謎はほとんど解けたと言ってもいい。後は、なぜ神和さんがあんなに隠そうとしたか、だな』
『どうやって聞き出しますか』
しばらく間があった。
『今度大津と話し合っておく。方向性が決まり次第お前にも共有するよ』
『助かります』
お互いにおやすみなさいを送りあい、僕は携帯をスリープモードに切り替えた。
青海さんの規則正しい寝息が聞こえる。空調の健気な可動音が聞こえる。少しだけ零のことを考えそうになって、すぐにやめた。自分自身が誰よりも孤独な気がした。
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