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第4話
バン! とまたもや大きな音を立てて閉めてしまったアパートのドアに、今日の伊吹はヤバい、お隣さんに怒られるとチラっと考える余裕があった。
「伊吹、何の真似だよ。強引なのにも程が……」
「馨」
馨の両腕の脇に手を突いて、相手を見上げる。壁ドンならぬドアドン状態。
「あれ、彼氏?」
「…………」
伊吹が詰問すれば、馨は分かりやすく視線を逸らした。
「じゃあその前の男は?」
「……両方とも違うよ」
続けて訊けば、今度は溜め息と共に答えが来る。ハッと吐き捨てるように自嘲して、馨は言い放った。
「幻滅した? それならそれでもいいよ。でも、わざわざオレの男関係に伊吹に踏み込まれたくはないかな。嫌なら離れて行ってくれればそれでいい」
「嫌とか何とか、オレはまだ何も言ってないじゃん!」
冷たく突き放すような口調に、伊吹はカッとなって言い返した。
「あ、いや、複数人と不誠実なお付き合いしてるならやめといた方が良いんじゃないかなぁとか、そりゃ思うけど……そうじゃなくて、そうじゃなくてだな」
「無理しなくていいよ」
理解できないだろうと、お前とオレは違うんだとあっさりと線引きされてしまうことが悔しい。
伊吹にとって、馨は本当に一番の友人だった。すごく気が合って、くだらないことしてても楽しくて、そういう時間を社会人になってもずっと続けて行けるんじゃないか、続けて行きたいと思える相手だった。
なのに、向こうはそこまででもなかったらしい。天秤の重さが実は全然違っていたのだと、そう突き付けられるのが伊吹には辛くて。
「受け入れられると思ってない。言い触らされるのはさすがにごめんだけど。オレは別に、伊吹を不安にさせたり嫌な気分にさせたい訳じゃないんだ。相容れないなら、それなりの距離を取ればいい。理解できない価値観って、やっぱり人間同士あるものだろ」
「無理してなんかない……!」
気持ち悪いとは思わない。そうではなくて。
「なんでって言っただろ!」
「え?」
けれど今度は馨の方が感情的に叫んだ。前髪の間からのぞく綺麗な目が、悩まし気に歪む。
「あの夜、オレが男とキスしてるの見て、なんで? って言ったじゃないか。伊吹にとっては異常なことに見えたんだろ。なんで男となんかキスしてるんだって、そう思ったってことだろ」
「アレは、そういう意味じゃ」
「そういう意味じゃなかったらどういう意味があるんだよ!」
切り付けるような声が痛い。馨が発する拒絶は、その手前に伊吹の側に拒絶されたからだという苦しみが確かにあって。
「そこが自分でも意外すぎてオレは盛大に困ってるんだよ! もうずっとだよ!」
もうどうにでもなれ、と伊吹も言い返していた。
「……?」
何を言っているのか分からない、と馨が困惑の表情を浮かべる。伊吹にだって分からない。まだ綺麗に整理できていない。自分の感情を分解できていないのだ。
「お、お前が男とキスしてるの見て、確かにびっくりしたよ。オレの全然知らないヤツで、今まで仲いいと思ってた馨が全然違うヤツに見えて、オレ、今まで何を見てたのかなって」
ショックだった。でもそれは馨とはもう友達付き合いができないとか、馨の嗜好を受け入れられないとか、そういうものではなくて。
何故かそういうところはすこんとすっ飛ばしていて。
「そんで思ったんだ。男とキスしてるの見て、馨がそういうことする対象が男なら、なんで相手はそんなどこの馬の骨とも知れないヤツなんだ、なんで自分じゃないんだって」
「…………は?」
「だよな! オレもそのリアクションになる。それこそなんで!? って感じじゃん……!」
理解できない、と言いたげに見開かれた目を見て、伊吹の心臓が竦む。
拒絶されるかもしれないというこの感覚は恐ろしいものだ。でも、出してしまった言葉は飲み込めない。
「何を、言ってるのか」
「い、意味分かんないだろ、オレにも分かんない。オレ、別に今まで特に同性を好きになったことないし、馨のことそういう目で見たこともなかった。でも、咄嗟に思ったんだよ、なんで? そいつにするくらいならオレがいるじゃんって」
呆然とした。自分の思考に。
「自分でも自分が分かんないんだよ」
混乱する頭で何度も考えたが、どうしてそんな風に思ったのか今でも答えは出ていなくて。
「オレもそうだったってこと? それとも親友を取られた気になって、感情がバグを起こしてるだけ? お前と友達できなくなるのが嫌で、友情を恋情に置き換えようとしてるのか?」
自分が分からなくて、中途半端なままでは気まずくて。
だから自分からなかなか馨に声を掛けられなかった。
「分かんないんだよ……」
それに。
「いや、ごめん。こんなん言われても困るよな。オレのこと、そういう目で見たことないんだもんな」
そのことにも、伊吹はどうしてかショックを受けて。ショックを受けたことにまた混乱した。
「いや、でもそうだろうな、この前のも今日のも、オレとは正反対みたいな大人の男です! みたいな相手だったし。眼中にもない相手に、しかもよく分からない感情押し付けられたって馨だった困るよな、うん。違うんだ、アレなんだよ、友情を失うのが怖くてだな、オレは今ちょっと混乱してます」
ドアについていた両手を離して、相手を解放する。
結局訳の分からないことをしてしまっただけだった。でも、こうしてまた話すことができたのは、きっと明日からのいいきっかけになる、そんなことを心の中でぶつぶつ言いながら。
「とにかくまぁアレだよ、別に軽蔑もしてないよ。自分のことは大切にしてほしいけどさ、恋愛の在り方なんて人それぞれだし。口出されたくないってならもう出さない。だから、だから……」
今までみたいに遊んでくれよな、課題も一緒にやろう、気になるって言ってた映画来月もう公開じゃん。
そういうことを、多分伊吹は言おうとした。
けれど。
「……さっき、分からないって言ったよな」
「へ?」
「自分の感情が、分からないって」
確かに言った。
「馨?」
なんかいい匂いがすると思ったら、伊吹の頬をさらりと黒色の髪が撫でていた。伊吹自身は薄茶に染め上げているのでこんな頭髪の色はしていない。
つまり、それは馨の髪で。馨の顔がそこまで近付いて来ているということで。
「分からないなら、確かめてみればいいんじゃないか?」
次の瞬間、ふにりと、柔らかく熱っぽい唇が伊吹のそれに押し付けられていた。
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