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第3話 那津
・・・ぜってぇ女がいるな・・・
綺麗すぎるその男が纏う空気感は
この狭い空間が冷たく感じるような近寄りがたいものを感じたけれど、
それはぜんぜんイヤじゃなかった。
なんというか全部がモテる要素しか感じない男だった。
そうして、きっとわかりやすく上品で、清楚で、美人で可憐な、
S字ラインのキレイな腰の括れた女と付き合っているのだろうと思うと、
小さくため息が漏れた。
フリーターの。
男しか好きになれない、
付き合ってた男に振られたばっかで行く当てのない自分とは違いすぎるからだ。
世の中にはこんな男がいるんだなぁと思って、
それはつくづく不公平だなぁと心の底から思って、
おにーさんのキレイなその指先が撫でている紅い唇をぼぅっと見つめる。
・・・このあと、オレから誘われるなんて思ってないんだろうな・・・
きっと最初は断られるだろう。
それでもまぁなんとかなる気がしてる。
とくに勝算があるわけでも明確な理由があるわけでもない。
ただ、きっとどうにかなるだろうと思うのだった。
だって真夜中の一文無しの状態、おまけにアルコール漬けの脳みそじゃあ、
せめてすべてがどうにかなると思うほかに、選択肢などないのだ。
それに、こういうことはもう慣れている。
特定の相手がいない間の自分は、過去、
「一晩限り」なんてことはざらにあった。
ただ、昨晩別れたそのヒトとは半年も一緒だったから、
ちょっと久しぶりだってだけ。
おまけに、今日はノンケが相手だ。
さすがに最初っからまったく抵抗なくってわけにはいかないだろう。
だからほとんどの場合いつもなら、このタクシーの密室の時間は
自分から話しかけてまるで相手をおだてて、
必要に応じては肩にもたれかかるくらいのことだってする。
そうして、相手がタクシーを降りる頃にはなんだか離れがたいような、
妙に名残惜しい空気にしてしまえれば、あとはこっちのもんなのだ。
それは相手がノンケだろうと関係はない。
実際、男を知らない男たち相手に
・・・男はムリだと言っていた男たち相手でも。
その手が通用してきたことは数知れないのだ。
なんなら女よりもあとくされないことを理由にすれば、
ノンケのほうが乗り気になることすら、ある。
「・・・」
相変わらず、窓から外を眺めているらしいその綺麗な横顔を見つめて、
けれども今夜のオレは、なぜだか口を開くことを止めた。
どうしてだかはわからない。
そのヒトのつくりだすその空気感を乱したくなかったのかもしれないし、
とくに理由はなかったのかもしれない。
なぜなのかは自分のことなのにわからなかった。
そうしてまるでその人の真似をして、無言のまま自分側の窓の外を眺めれば、
よく知ってる夜の都会の街並みが、流れるみたいに映っては消えていった。
ふつう、自分にとって沈黙の時間は長く感じるし、
それはとても居心地悪くも思うのが常なのだけれど、
初対面のこのおにーさんと過ごす、
言葉のないいまの時空間にオレは明らかに、
どうしてだか居心地の良さを感じている。
そうして突然、一日中飲んでいたアルコールが全身に回ったのか、
次の瞬間には睡魔に襲われると、
それに気づく間もないほどあっという間に、暗い闇に堕ちていった。
ーーー・・・
「おい、起きろ」
「・・・ぁ」
瞼を開けると、目の前には知らないイケメンのドアップがあって一瞬、
ここはいったいどこだろうと思った。
無意識にそのイケメンの周囲を見渡してようやく事態を把握すると、
大きく息を吸って、ふぅ・・・っと吐いた。
「もう着いたの?」
「ああ。まぁ寝ててもいいけど。一応、俺はここで降りるからさ」
おにーさん越しに窓の外をのぞくように見れば、
後ろのマンションはいわゆるタワーマンションってやつだ。
「ここに住んでんの?」
「ああ」
それは明らかに「勝ち組」ってやつらが住む場所だった。
こんな場所に住んでる奴って本当にいるんだ・・・なんてことを
とても冷静に思う。
自分の住んでる世界には、
タワーマンションという存在もそこに住む住人がいることも知ってはいても、
いままでの過去には「存在はしなかった」から。
思えば昨晩まで付き合っていたそのヒトの部屋も、
決して狭くはなかったな・・
なんてことを、思いついたみたいに思った。
半年もそばにいたくせに、実はオレはあのヒトのことをほとんど知らない。
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