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第5話 那津

「あ、ちょっ・・・ちょっと待ってよ」 するとそのイケ散らかしてるおにーさんは、 無言のままでそのガラス扉の向こう側へ消えてしまった。 「はぁ・・・」 おにーさんがマンションの中に入ってしまったあと、 どうしたらいいかわからなくなってしばらくぼぅっとする。 ぼぅっとする以外にやることがなかったのだ。 どうしたものかと考えて、 けれども良いアイディアなんてひとつも浮かばない。 なんにも考えずにそのマンションの入り口辺りに腰を下ろした。 地面に腰を下ろすと、なぜだかヒトは上を見上げるってことを、 オレはもうずいぶん前から知っている。 今、見上げる真夜中の空には、星たちはおろか月すらも見えない。 暗くて・・・暗いだけ。 それは一日が終わったのではなく、 もうなにもかもがなくなってしまったような、 明日の朝っていう明るい場所に繋がっているとは到底思えない暗闇。 まるで夜ってモノが生き物で、 それに全部が飲み込まれちゃうような妙な錯覚。 春先のやたらと澄んだ、 澄み切りすぎて、 その先にあった冷酷さだけを膨らませてしまったような空気がまるで、 こんなオレを慰めるようにしてそこに佇んでいるから、 それは自分をますますみじめで孤独な気分にさせた。 なにげなく携帯を取り出せば、ついてない時ってとことんついてなくって、 液晶画面は真っ暗だ。 もはや飾りと化しているペラペラの財布は、 いまさら中身を確認しようとも思わなかった。 「なんか・・・さみしいかも」 思い出せば今日は・・・もう昨日だけれど。 それなりに長く付き合った男と別れたあとなのだ。 ぶっちゃけ、そこまで好きってわけじゃなかった男でも、 もう会えないのかと思えばやっぱりどこかさみしくなる。 ・・・と思って、いや違うと思いなおした。 きっと、 帰れる都合の良い家を無くしてしまったことに、残念さを感じているだけだ。 「なにやってんだろ」 夏が始まるにはもう少しかかるこの季節の真夜中は、 ロンT1枚はけっこう寒くて、それもどこか虚しさに拍車をかける。 「帰りたくないなぁ・・・」 どこか冷たい正しさが漂う空気のせいで、 せっかく酔っぱらってた頭が鮮明になってくればなおのこと、 このあと行くしかなくなったその場所とそこにいる人たちを思い描いて、 自然と膝を抱えて頭がうなだれる。 大きな通りまで戻って、 とりあえずタクシーに乗って実家まで帰ってしまえば・・・ 本当は金なんてどうとでもなる。 自分があの人たちに頭を下げればいいだけ。 考えたくはなくても、自然と頭の中に両親を思い浮かべる。 息子が男しか好きになれないってことがわかったときの、 両親の顔とその空間を取り巻いてた空気感を思い出すと、 しばらく帰っていないあの家にはやっぱり、帰りにくいなと思った。 表向きはわかってるように装う母親も、 まったく理解が出来ないってことを隠すことなく態度に出す父親も、 決して嫌いじゃないけど・・・ どうしても会いたいとは思えない。 正確に言えば「会いたいけれど会いたくない」のだ。 産まれて来なきゃよかったなんて、 そこまで悲観的に自分のことを思ったことはない。 結局は人生なんて自分が楽しくすればいいだけのことだし、 実際、そこまで酷い人生でもない。 ただやっぱり、産まれてみたら普通じゃなかった自分は、 普通が当たり前な両親とはどうしたって相容れないものがある。 わかって欲しいなんて思わない。 だってわかるわけがないから。 オレにだってわからないのだ。 どうして男の自分は男にときめき、 抱かれたくなってしまうのか・・・なんてこと。 きっと誰も、そのワケを知らない。 「あ~・・寒い・・さみしい・・虚しい・・・」 呟いてしまって余計にそんな気持ちが膨らむと、 見えないそんなモノたちをどうにかしたくて、 無意識に抱えた膝に頭を擦りつけるようにした。 「おい」 すると頭の上の方から・・・ あの、低くて艶のあるその声が、 暗い空と澄んだ空気のその間の空間を、まるで優しく震わせる。 反射的に顔を上げれば 「お前マジでなにやってんだよ」 オレを責めているハズのその声は、自分の体内の深い場所に、 とても柔らかく響いた。

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