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第6話 那津

さっきとは違って背広を着ていない、 ネクタイを外したYシャツ姿のおにーさんは、 それでもやっぱりイイ男ってのがダダ洩れしてた。 おまけに眉間にしわが寄っているのに眉尻は下がっていて、 このヒトの「ヒトの良さ」みたいなものまでもがうっすら漂う。 それは無言で見上げるだけのオレに、 視線を逸らすとさっき同様、わざとかってくらい大げさにため息をつく姿が、 逆にどこか愛らしく映るほどに。 部屋からわざわざエントランスに戻って来てくれたおにーさんは、 手元にベージュ色の薄手のコートを持っていて、 座り込んだままのオレになにも言わずにそのコートを広げてパサリと被せる。 すると爽やかすぎない品の良い香りが オレの世界にふわりと漂った。 「返さなくていいから」 さらにはそう言って、真っ白い封筒を差し出した。 酔っぱらった頭でも、それにはお札が数枚、入ってるんだろうと察しがつく。 「あっちまでちょっと出ればタクれる」 どこかぶっきらぼうな口調なのに、決して強くないそのおにーさんの気配が、 いまのオレの心にはオク深く入り込んでしまう。 見た目同様、なんだかちゃんとしたヒトなんだなぁと思って、 オレとは住む世界が違うんだなぁと改めて思って、 突然、泣きたい気分になって・・・ 上げた顔をまた、抱えこんだ膝に埋めた。 ・・・今度はおにーさんのコートに・・・だったけれど。 瞬間、その品のいい香りがもっと強くなって、 それはなぜだかとても自分を安心させる。 「帰るとこない」 「じゃあどこ行くつもりだったんだよ」 確かにそれは嘘だった。 「・・・帰りたくない」 が本音だったので、だから本当のコトを言った。 さっき知り合った、名前も知らない相手だったけれど。 「ふぅ、、」 おにーさんはまた、わかりやすくため息をついて、 コートに顔を埋めたままでもおにーさんが腕を組んだのが気配でわかる。 「だからってこんなトコにいたら通報されっぞ」 ああ、このヒトは通報しないんだ・・・なんてことを冷静に思った。 「それもいいかも」 「なんだ?それ」 「警察の方がましかも」 「家よりもか?」 おにーさんが言ってる「家」ってのが どういうつもりで言っているのかはわからなかったけれど、 コートに顔を埋めたままで オレの頭ん中にはまた、あの人たちが浮かんできて気分は滅入った。 おにーさんのコートは良い香りがする。 突然、このコートとその香りだけが、 なんとかオレを現実ってのに引き繋いでくれている、 唯一のアイテムみたいに感じた。 恋人に振られて、家族と上手くやれなくて、 男しか好きになれなくて、春の真夜中にこんな場所で座り込んで・・・ 自分がいったい何やってんだろうかなんて不意に冷静になれば、 さすがに自分の不甲斐なさに嫌気がさした。 はぁっと息を吐きながら、コートから中途半端に顔を上げた。 「返さなくていいのはこのコートも?」 「え?・・ぁあ。いいよ、やるよ」 恥ずかしくて視線を合わせられないままで、 きっとこの薄手のコートは高いんだろうなんて思う。 もう一度、ふぅっと息を吐いた。 「このコート貸してくれる?」 「え?」 オレは顔を上げると、キレイなその顔を真っすぐ見あげた。 「貸しといて。返すから」 すくっと立ち上がると小さなボストンバックを片手に、 そうして「貸してもらったコート」は脇に抱えて 「ごめんね迷惑。ありがと」 ペコリと深く、お辞儀をした。 そうしておにーさんの目を見ないように、 そのままの姿勢でくるりと向きを変えると 暗闇の中へ大きく一歩を踏み出す。 「っぉい、これ」 歩き出したオレに、後ろから声をかけられて 反射的におにーさんの方へ振り返る。 差し出された白い封筒を一瞥してから視線をおにーさんに向けると、 オレはニコリと笑った。 「へーき」 オレはもう一度、少し距離のあるそこからペコリと頭を下げた。 また視線を逸らしたままでおにーさんに背中を向けると、 今度はいつもの歩幅でタラタラと歩き出した。 少しだけ気分は晴れてはいた。 もちろん、すべてがすっきりしたわけじゃないけど。 ただ、早くこのヒトの前から消えたい気分だった。 だってこんなにちゃんとした人と、オレは一緒にはいられない。

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