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第7話 那津

歩き出した先の暗闇は相変わらず「なんにもない黒い闇」だったけれど、 それでも、 脇に抱えたコートがオレを支えてくれてるような気がした。 これから帰る場所でなにを言われてもきっと、 これがあれば大丈夫だって、そんなことを思った。 「っ!!!」 後ろを振り返らずにしばらく歩くと 突然、ボストンバックを持ってた方の腕を掴まれて、 よろけた身体は反射的にそっちを振り返る。 「一晩だけだ」 「へ?」 「今夜だけだからな」 間近にあるキレイな顔を見つめて、それはまるで、 ・・・まるで王子様みたいなヒトだな・・・ 頭の中には無意識に、そんな言葉が浮かんでいた。 この世界には王子様がいるんだと。 いるとしたらきっとこの男なんだと。 そんなことを思いながらおにーさんを見つめる。 無言のおにーさんはオレの鞄をとりあげて、元来た道を戻っていく。 安っぽいその小さなボストンバックはおにーさんにはあまりに不釣り合いで、 なんだかその後ろ姿にきゅんっとした。 きっと同情だろうとわかってる。 わかっていてオレはなんだか胸がいっぱいになったのだ。 抱えたコートをぎゅっとすると、 「待って」 慌ててあとをついていった。 ーーー・・・ 「マジで一晩だけだかんな」 部屋に入った途端、 イケメンのおにーさんはギロリと睨むようにして、 さっきも聞いたその言葉を念押しする。 「は~い」 おにーさんにかまわず、広い部屋をキョロキョロしながら呑気に答えた。 だって、怖い顔をするこのイケメンは、 でもホントはすっごく優しいんだともう知っているからだ。 上げてくれた部屋は思ってた通りに広かった。 それなりに散らかっているその感じに、 独り暮らしだっていってたのはきっと本当なんだなと思った。 「なにか飲むか?」 「え?・・っと、じゃあビール」 Yシャツ姿のおにーさんはキッチンへ消えていく。 いったい、何をやってるヒトなんだろう。 ソファの脇の床にボストンバックを置くと、 貸してもらったコートを丁寧にたたんでその上に置く。 「先フロ入るからな」 持ってきてくれた缶ビールとグラスをテーブルに置きながら、 おにーさんは言った。 「好きにしてろ」 リモコンを顎で指してYシャツのボタンを外しながら、 オレを独り残してリビングを出ていってしまった。 広いリビングの座り心地のよさそうなそのソファは、 実際、座ってみると想像通りに心地が良かった。 「はぁ・・・」 ソファにもたれかかると、なんとなく大きく息を吐いた。 なんにしても、今日は自分の家に帰らなくていい。 ひとりに・・・ならなくて済んだ。 ーーー・・・ 「お前もはいって来いよ」 ガチャリと小さな音を立ててそのドアが開くと、 お風呂上がりの、乾ききらない髪を晒しておにーさんは再び現れる。 ドキっとした。 だってさっきとはずいぶん印象が違ったからだ。 鋭さが和らいでどこか無防備に見えるその理由は、 たぶん整っていないその黒い髪と、 着ているゆったりしたパジャマのせいだろう。 「お湯、張りなおしといた」 ビールを飲むオレに優しく言ってくれた。 「ありがと。じゃ・・遠慮なく」 タオルと新品のインナーまで用意してくれるおにーさんに、 きっとすごく育ちの良い人なんだろうって気がした。 「歯ブラシの予備は・・・」 どこかにあったっけなぁと言いながら、 湯上りのパジャマ姿で頭をポリポリかきながら言うその姿が可愛らしい。 「なんかありがとね」 思えば今日のオレは、このヒトにしてもらってばかりだ。 「仕方ねーだろ」 ぶっきらぼうに言われて思わずふふっと笑う。 「ふふ・・じゃねーよったく」 整った顔。 おまけに明らかに育ちのいい品が漂うくせに、言葉使いはどこか乱暴で、 そのギャップがなぜか心地いい。 歯ブラシを探すおにーさんを、オレはずっと見ていた。 風呂場もちゃんと大きくて、 「はぁ~・・・気持ちぃ」 パシャリとお湯のたてる音が心地いい。 昔からなぜか風呂は好きだ。 ときどき銭湯にひとりで行ったりもするくらい。 手足が伸ばせる湯船に鼻がつくギリギリまで浸かって目を閉じる。 いろいろあった日の締めくくりとしては、 あまりに出来すぎな終わり方だなと思う。 ・・・いいなココ・・・ 部屋も風呂も広いし、なによりおにーさんはキレイだ。 ・・・しばらくいたいな・・・ なんて。 いい気になってそんなことを思った。

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