37 / 98

第37話 友哉

「じゃあ行って来る」 玄関でいつものように声をかけると 「いってらっしゃい」 那津もいつものように笑いながら返事を返した。 玄関の扉を開けてチラリと那津を視界に入れる。 なぜだかいつもそうする。 堂々とは見れなくて、 なんとなく手を振る那津をちらりと見る。 そうしてゆっくり歩き出すと、 その扉が閉まるのを、 ゆるく歩きながらなんとなく、耳だけで聞いている。 今日もいつものように、ガチャリと扉が閉まる音がする。 でも今日は・・・ まるでそれを合図にしたかのようにしてそこで立ち止まると、 振り返って閉まったその扉を見つめた。 それはほんの数秒間。 無意識にため息が出るのに気づかずに、 くるりと向きを戻して扉を背にすると、またゆっくりと歩き出した。 今日も。 那津は笑ってた。 それはまるでいつものように。 いつものように・・・を装って、アイツは俺に笑ってた。 いつもと同じでしょ?って顔をして、 きっと、玄関の扉が閉まる瞬間まで、笑って・・・笑った顔を作っていた。 エレベーターを待つ間、無意識に指先が唇をなぞる。 俺の人生に那津が現れてから、 仕事に出ている以外のほとんどすべての時間をアイツと一緒に過ごしてる。 それはまるで兄弟のように。 それなのに、気づかないとでも思うのだろうか。 「まぁでも・・・」 頭ん中だけでザっと過去を振り返れば、 普段の俺なら気づかないかもしれないとも思う。 そういうちょっとした変化に ・・・それは例えば髪の色が変わったことや、口紅の色の変化なんかを・・・ 俺はとても疎いことを、 幾人の元カノたちに言われ続けてきたのだ。 誰もいないエレベーターに乗り込むと、 それを少し反省気味に思いながらまた、ため息をつく。 那津の様子がおかしいこと。 そして、いつからおかしいのかにもちゃんと気づいてる。 ・・・というか。 「はぁ・・・」 エレベーターの扉が開くとまた、知らない間にため息をついていた。 朝からため息ばかりついている自分に気づかずに、 マンションを出るとその暑さと太陽がまぶしいのとで、 その清々しさにクラっとする。 こういう気分の日に天気がいいのは、 ありがたいことなのか哀しいことなのか、 いったいどっちなんだろうかと思いが頭をよぎった。 そうして、マンションの入り口ではもう毎日、 那津の顔が浮かんでしまう。 あんな出会い方は特殊過ぎて、 きっとこのマンションに住み続ける限り、 この出入り口付近ではどうしたって那津を感じてしまうのだと思った。 「・・・仕事」 気落ちを切り替えなくてはと意識して、 気合を入れるようにふぅっと息を吐くと、 その眩しい日差しの下を、あえていつもの足取りで歩き出す。 那津のことを忘れられないとわかってはいても、 努めて仕事のことで頭を一杯にしようと意識して。 ーーー・・・ 忙しく午前の仕事が過ぎていって一息つくと、 頭の中にはふっと勝手に那津が浮かぶ。 それは笑ってる那津。 けれどももうずっと、アイツは笑ってはいない。 このままじゃ良くないとわかってる。 ちゃんと笑えていない那津を想えば、 このままでいいわけがないのだ。 それは明らかに辛そうな顔だ。 気持ちを押し殺したくて、でも、それが出来ないって顔。 「どうすっかな・・・」 俺はまた無意識にため息をついた。 どうにかしたい気持ちが明日の休みに映画に誘うという、 わかりにくい行動になって現れたことを自分でもわかってる。 本当なら混んでる場所は苦手なのに。 それはまるで、那津に初めて会った日、 人ごみに紛れたかったあのときと同じような気分だった。 きっと辛いのはあんな顔して笑ってる那津の方だろうが、 ぶっちゃけ俺のほうもそれなりには辛い。 アイツのウソの笑顔に、きっと気づかなかったらそれまでなのだが、 でも俺はもうそれに気づいてしまっている。 おまけに・・・ その理由はもしかしなくても俺のせいなのだから。

ともだちにシェアしよう!