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第42話 友哉
見なかったことにしようとした出来事を見てしまったあの日。
無理やり寝ようとして寝れなかったのは、
俺は那津の顔を見たかったからだった。
仕事から帰ったあの日のリビングは、
俺にとってひどく寂しいものだった。
アイツにおかえりを言って、ただいまと言われたかった。
この部屋のキッチンに、那津に当たり前みたいに居て欲しかったし、
だからそこでビールを飲んでた那津を見て確実にホッとしていたのだ。
大きく息を吸って吐くと
「認めるよ」
「え?」
那津を真っすぐに見た。
「俺はお前にココに居て欲しい」
他人と一緒に暮らすなど、今世はムリだと思っていた自分が、
那津にはココに居て欲しいと思う現実をちゃんと認めなきゃいけない。
「この部屋に帰って来たときに、
そのエプロン付けたお前がココにいて欲しいんだよ」
これは紛れもない本心だった。
那津はこんなセリフを求めてなんかいないんだろうとわかっていても、
いまの俺は本当のことを言うことぐらいしかできない。
「ありがと。オレ、ちょっとはともちゃんの役に立ってたことかな?
だとしたら嬉しいな。オレもこの家、すっげー居心地よかったから」
へらっと笑う那津の、見えないナニカが笑っていない。
本心が笑わない。
そんなことはもう、あの日の夜を境に気づいている。
那津の言ってる言葉は嘘じゃない。
でも・・・
「それだけ?」
「え?」
「お前は俺に、他に言うことはねぇの?」
・・・俺は。
苦しそうな顔するコイツを見つめて、
俺はいったいコイツになにを言わそうとしてんだろう。
でもすべてを、コイツが抱えてるであろうその気持ちを
・・・それは俺への恋愛的な気持ちとかそういったものを・・・
那津は俺に言うつもりがないんだってことがわかって、
なぜだかひどく落胆していた。
「俺はちゃんと話したいんだけど」
「ちゃんと話すって・・なにを?」
「だから・・・だってお前・・・」
どうしても、どこか冷たく、那津を責める口調になってしまって、
俺はまた、自分にイラっとした。
何も言わずに出て行こうとする那津に、
明らかに狼狽しているのはなぜだろうか。
自分だって自分の気持ちがまだよくわからないくせに、
那津にばかり答えを求めて、
いったい何をしてるんだろう。
「わりぃ。お前を責めたいわけじゃねぇ」
戸惑ってるって顔をして、黙ってしまった那津に謝る。
自分がどうにかしてコイツを引き止めたがっていることを、
冷静に理解だけはしていた。
でもそれは、いったいどういう了見からなのだろうか・・・
「でも突然すぎるだろ。今日の明日とかさ」
「ん・・でももう、オレ、ココに居るのはもうムリなんだよ」
やっと、ひどく苦しそうに本音を言った。
那津がうつむいて、少し茶色がかった柔らかそうな髪が揺れる。
瞬間、垂れ下がる犬の耳が見えて、
俺のどこかがぎゅうっと締め付けられて苦しくなった。
「掃除や料理がイヤになったんじゃないんだよ。ただ・・・その・・・
前と少し違っちゃってるっていうか・・・」
だから俺はまた、自分に腹が立つ。
これ以上コイツを苦しめるなんてこと、したいわけじゃない。
手元のビールを一気に飲んでふぅっと息を吐く。
決めなければいけない。
答えを出さなきゃいけないのは、那津じゃないのだ。
「・・・試してみる」
自分でも、びっくりするほど低い声が出た。
それは俺の中の恐怖がそのままオトになったという感じだった。
「試すってなに?」
那津はさらに困惑した顔で、
なんだか恐ろしいものを見るようにして俺を見た。
「お前、俺が好きなんだろ?」
まるで睨むみたいにして那津を見つめれば、
その表情は困惑から驚きに変わってそうして、息を飲む那津が映る。
そういう那津を見て、俺はどこか安堵した。
那津は俺が好きなのだ。
「だから出てくとか言ってんだよな」
「っ・・違うよ」
「違わない。俺はあの日、
ここで俺の名前呼びながら腰振ってるお前を見てるからな。
いまさら誤魔化すなよ」
なぜか那津を責めるような口調になってしまうのは、
それはおそらく、自分が怖いからだった。
那津への自分の想いを認めてしまうことは・・・恐怖だ。
未知との遭遇だ。
そうして、
おそらく恐怖だとわかっている時点で本当は答えが出ている。
「お前言ってただろ?初めて会っ日に言ってた。試してみようって」
「試すって・・え?つまりそれってどういう・・」
那津の言葉を遮るようにして、わざと音を立てて大げさに立ち上がった。
「いいから試そう。どうなるか」
「だ・・からなに?試すっていったい・・・」
エプロンを付けた那津の腕を掴んで立ち上がらせると、
そのまま寝室へ向かう。
「っちょおっ・・ともちゃ・・・」
那津を見ないようにした。
歩きながら俺は、頭ん中が真っ白だった。
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