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#1_01
豪ちゃんが吐き出したスイカの実を取り合うスズメを見つめて、あの子の屈託のない笑顔を思い出すと、頭の中から追い出す様に眉を顰めた。
「…子供は作らないの…?」
ベッドにうつ伏せた美しい背中を撫でてそう聞くと、彼女はクスクス笑って言った。
「子供は、嫌い…。だって、体形が崩れるし…母乳なんて、ふふっ!出したくないもの!あんなの、男に縋らなくちゃいけない女が行き着く先よ…」
確かに…彼女の体は40歳なんて年齢を感じさせない程に美しく引き締まって、滑らかだった。
「それに…彼も、私と子供を作る気なんて無いみたいだし…」
そう言った彼女の横顔が…少しだけ曇って見えたのはどうしてだろう…
ガッチャン…!
「フォ~~!ご飯が炊けたぞ~!」
…何年も付き合って来た筈なのに、徹がこんなにも威勢の良い男だとは知らなかった。意気揚々と炊飯器の中の米を掻き混ぜる徹を眺めて瞳を細めると、縁側から立ち上がって台所へと向かった。
「貴重な…烏骨鶏の卵だぞ?大事に味わえよ?」
目をキラキラと輝かせてそう言うと、徹は小さな小鉢に卵を割って入れた。色味の薄い印象の黄身と、トロリと弾力のある白身が、普通の卵と一線を画した卵だという事を視覚に知らしめてくる。
「わぁ…」
炊きあがったばかりの艶々のご飯に穴を空けて、とかした卵を注ぎ込むと、少しだけお醤油を上からかけた。
「お~ほほ!味が付いているみたいだぁ!」
一口食べてすぐに分かった。これは美味しい!
体を揺らして喜んでみせると、徹は嬉しそうに目じりを下げて卵かけご飯を味わいながら言った。
「そうだろ?ここいらで烏骨鶏を飼っているのは豪ちゃんちくらいだ。しかも、家畜として飼ってるんじゃなくて、ペット代わりに飼ってるんだ。あの子の所には、烏骨鶏と普通の鶏が居てさ…一羽一羽に名前が付いてるんだ。今は何代目になったのかな…?前はモーニング娘。なんて呼んでたけど…今はなんとか坂…とか付けてるのかな?」
「ぷぷっ!」
思わず吹き出しそうになった。
確かに、ある意味…モーニング娘。だな。
「ふふ、意外にも…良いセンスをしてるじゃないか…」
口元を緩めてポツリとそう言った俺を、徹は嬉しそうに微笑んで見つめた。
豪ちゃんが俺の毒を抜いてくれている…徹は、割と本気で、そう思っている様だ。だって、俺があの子の話をする度に、嬉しそうに笑うんだからな…
昨日よりも、表情が明るくなった…ね。
眉唾だな…
だって、俺の気持ちは彼女の事で未だに一杯なんだから…
「じゃあ…しばらく、ここでのんびり過ごしてくれ。あまり、色々と考えこまないで、自分のしたい事だけに集中するんだぞ?」
朝ご飯を食べ終えて帰り支度を済ませると、徹は玄関先で俺を見つめて言った。
「惺山…今はへこたれているかもしれないけれど…お前はこんな所で終わる様な玉じゃないって、俺は知ってる。この苦しみは、もっと高みへ向かう為の過程なんだ。だから…今は踏ん張れ…!」
…徹は負け犬なんかじゃなかった。彼はクールな現実主義者なんだ。
田舎育ちでシビアなサバイバーが故か、自分の力量を図った結果…選んだ選択肢だった。彼の人生の優先順位の上位には音楽は無かった。たった、それだけの事だった。友情を大切にして…こんなバカな友達に手を差し伸べる事こそ…徹の優先する事項なんだ…
「あぁ…ありがとう。本当に、こんなに良くしてもらって…感謝するよ。」
熱くなった目頭をそのまま徹に向けて、喉の奥に力を込めて頷いてそう言った。こんな所で終わる様な玉じゃない…そんな彼の熱い言葉が、妙にうれしくて、妙に自信になったんだ。
「気を付けて帰れよ~!奥さんによろしく~!」
「豪ちゃんに優しくしろよ~!」
そんな言葉を残して、徹は車で去って行った…
徹の優先順位が情であっても、俺の優先順位は違う。どさんこに優しくするような性根は持ち合わせていないんだ。
「無茶言うなよ…」
見えなくなった徹に向ってそう言うと、急に独りぼっちになった心細さを感じながら玄関の扉を閉めた。
彼はこの田舎の村の住民だった男…なんでも知ってるし、なんでも出来る。
しかし、俺は都会のシティーボーイ…
うっかりして、米の炊き方さえ…教えて貰わなかった。
「…まぁ、何とかなるさ…。商店へ行ってシャンプーとスポンジと、ボディーソープ、洗顔を買おう…」
ガランと静かになった他人の実家…残った烏骨鶏の卵を冷蔵庫にしまって、ふと台所からも見渡せる縁側の向こうに目をやると、庭の緑と、空の水色のコントラさ宇都に瞳を細めた。
まるでポストカードの様な、綺麗な景色だ…
俺の解毒をしてくれているのは、豪ちゃんなんかじゃない…間違いなく、この環境だ。どこを見ても飾らない姿で、シンプル…そんな景色に癒されたんだ。
閉め切ったままのピアノの部屋を通り過ぎて洗面所で顔を洗った。持って来た髭剃りでジョリジョリと髭を剃って、ゴワゴワになってしまった髪を整えると、歯ブラシを口にくわえたまま、縁側に腰かけて首を伸ばした。
あぁ…田舎育ちの友人が、縁側が好きって言っていた理由がやっと分かった。
縁側とは思った以上に最高な場所だった。
食べてよし、寝てよし、騒いでよし、そして、歯磨きをしながらぼ~っとしていても、良い場所なんだ。
ピ~ヒョロロロロ…
遠くでトンビかタカの鳴く声がアクセントの様に聴こえて、鳥のさえずりが心地よく場を宥めると、風がそよめく度に山の枝を揺らして葉の擦れるサラサラ…なんて音が聴こえて来るんだ…
はぁ…まるで美しい曲を聴いている時の様に、耳の奥が心地良くなって行く…CDや録音した環境音じゃない…空気までも感じる、本当の自然の音色だ。
そのままの方が美しいな…
身支度を済ませてお財布をお尻のポケットに突っ込んだ。
さあ…初めての、お出かけだ。
時刻は10:00…朝の清々しい空気は薄れて、昇って来る太陽が地面をガンガンに照らしつけた。
「あ、ああ…暑い…!」
正午前だというのに、すでに出来上がった熱帯地域はサウナの如く飲み込む空気まで熱い。そんな中、徹の言った言葉を思い出しながらひとり歩いて商店を目指した。
「あ~!おっちゃぁん!」
…はぁ?!おっちゃん?!
明らかに俺を見ながらそう言うと、清助はケラケラ笑いながら手を振って来た…
最悪じゃないか!
兄貴の息子にだってそんな風に呼ばれた事は無いぞ…!惺ちゃんだ。俺は甥っ子に、惺ちゃんって呼ばれてるんだからな!
だから俺は、清助を無視して、不本意な呼ばれ方に眉を顰めてジト目を向けた。彼らは、商店前の日陰になった軒下で、徒党を組んでアイスなんて食べていた。
「あ、せいざぁん!」
語尾にハートでも付きそうな猫なで声を出しながら、豪ちゃんが嬉しそうに俺に向かって駆け寄って来る…
これが女ならまだましさ…でも、この子は男だ。そして、俺の襟足が大好きな、見た目の可愛らしい紛らわしい奴なんだ。
そして…頭が少し緩くて、変わってる。
「ねえ、玉子食べたぁ?あれはね…ジョボビッチとジョントラボルタが産んだ卵だよ?」
ジョボビッチは…ギリギリ分かる。でも、トラボルタは男だろう…?
そんなパンチのある烏骨鶏の名前に動揺を隠す様に、首を傾げて豪ちゃんを無視した。ところが、そんな事お構いなしの様に、自然と俺の背中を撫でてあの子は満面の笑顔を向けて来るんだ。
そんな彼の手を払い除けると、眉を顰めたまま言った。
「あぁ、美味しかった…」
「んふぅ!良かったぁ!」
嬉しそうに頬を赤く染めて目じりを下げて微笑む笑顔は…まるでこぼれる花びらの様に可憐で、可愛らしい…でも、彼はどさんこの男だ。努々忘れるな。
「おぉ!おっさん、お客で来たのか?」
晋作は驚いた顔をしてケラケラ笑うと、俺を店の中に手招きして品薄の商品棚を自慢げに見せて言った。
「…で、何にする?」
…この商店は、晋作の家の様だ。目を見開いて俺を見上げる晋作に言った。
「シャンプーとコンディショナー、後…ボディーソープと洗顔フォーム…体を洗うスポンジも欲しい…」
そう言ってはみたものの、見ただけで把握した。この商店にはそんな物は置いていない。あるのは大量のトイレットペーパーと箱のティッシュ…そして、誰が何の為に使うのかも分からない籠と、バケツ…それに長靴。後は、駄菓子とアイスしかない…
「はっは~!そんな物は町に行かないと無いなっ!」
晋作はピシャリとそう言って偉そうに首を傾げて見せた。そして、あろうことかおもむろにトイレットペーパーを手に持つと、満面の笑顔を向けて言った。
「これなんて、買っておいても損は無いよ?」
はぁ~!信じられない!なんて商魂逞しい子なんだ…!注文の物が無い癖に…違う物を勧めて来やがった!
そんながめつい商売魂の晋作を、残念そうに眉を下げて見つめて首を横に振った。
その時、途方に暮れて項垂れる俺の背中を小さな手のひらがそっと撫でて、首を傾げた顔を覗き込ませて言った。
「惺山、シャンプー欲しいの?じゃあ…豪ちゃんちの分けてあげるよぉ?」
俺の顔を心配そうに見上げるあの子を無視して顔をあげると、他の子どもたちを見て言った。
「…町って…どこ?」
「んん~!せいざぁん、豪ちゃんが分けてあげるのにぃ!」
「バスで6つ先。でも、そのバスは一日に数本しか来ないから…バイクとか、車で行けば?」
駄々をこねる様に俺の腕を掴んで揺らすあの子の手を振りほどいて、ため息をひとつ吐いた。
こんな事なら、徹にその町とやらまで送って貰えば良かった…
地団駄を踏み続ける豪ちゃんを無視したままアイスを一つ買うと、ため息を吐きながら店先でギャング団と一緒に食べ始めた。
「…歯にしみる…」
「知覚過敏なんだよ…。歯槽膿漏かもしれない。でも、おっさんだから…歯が抜ける前兆かもな…」
俺がポツリと言った言葉に、重ねる様に何十二も酷い言葉を浴びせて来る…田舎の子供って、辛らつだと思った。
「ん…ねえ、豪ちゃんが食べてあげるよぉ…?」
「あっち行けよ…」
鬱陶しく付きまとって俺の顔を見上げて来る豪ちゃんを一蹴しながらアイスを食べて、ジリジリと焼ける音が聞こえてきそうな日陰の外を眺めて眉間にしわを寄せた。
シャンプーすら買えない辺境の地に…俺は居ます。
あなたはきっと、今日もエステやサロンに行って、優雅に身の回りを整えているんでしょうね…まるで、豪華に着飾るマネキンの様に…
「…ん、もう!惺山、おいで!」
いてもたっても居られなくなったのか…ぼんやりとアイスをかじる俺の手を掴むと、豪ちゃんは炎天下の中をズンズンと歩き始めた。そんなあの子の手を振り払えないのは…せっかく買ったアイスを間違って落としたくないからだ…
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