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#3_01
「コッコッコッココケ…コッコッコッココケッコ…」
ブツブツ言いながら我が物顔で足元をうろつくパリスを見て、彼女のくちばしに楽譜の切れ端を見つけて笑う…
そうだな…
お前のご主人様を虐めた、悪い男の持ち物なんて…全て千切って壊してしまえよ…
ヨロヨロとピアノの部屋に向かうあの子の背中を追いかけて…いつもあの子がそうする様に、じっと様子を伺った。
豪ちゃんはテラスに放られた自分の靴を履くと、俺の足を見つめて、震える声で言った。
「…さよなら…」
「さよなら…」
表情も変えずにそう返すと、俺はあの子が出て行ったテラスの窓を閉めて鍵をかけた。
きっと…もう、二度と来ないだろう。
「コッコココココ…!」
大慌てでパリスが後を追いかけて来たから、テラスの窓を開いて外に出してやった。
あの鶏は…本当に賢い。
そして、あの子は…パリスを連れて帰るのを忘れてしまった様だ…
またここに来なくちゃダメになっちゃうじゃないか…馬鹿だな。
早く…逃げたかったんだもの。仕方が無いよな…
ピアノに腰かけて、鍵盤に指を置いて、自然と流れて来るアンニュイなメロディを弾いて、口ずさむ…
悲しい…
こんな事なら、彼女に会わなければ良かった。
あの子が言った通り…どうして、また苦しむような選択をしてしまったんだろう…
「これが…第二楽章…」
ポツリとそう呟いて、床に落ちた五線譜を拾い上げると震える手で音符を書き込んだ。ソナタ形式の第一楽章を経た後、第二楽章で情緒を出していこう…そして、第三楽章で…
あぁ…もう、これは交響曲じゃない…これは、狂詩曲だ。
「ラプソディ…イン、ブルー…」
自然と指が動き始めて、鍵盤で弾き始めたのはガーシュウィンの…“ラプソディ・イン・ブルー”…順番も、お決まりも、何の形式も持たない…ラプソディ…
叙事的で、華美に着飾らない。ありのままの美しいメロディを表現する様は、まさに…君の様だ。
「そうか…狂詩曲にしよう…」
あの子には、型にはめ込むような交響曲よりも、もっと自由で、もっと奔放で、もっとダイナミックな世界観を与えたい…
「ふふ…豪ちゃん、ごめんね…」
口を歪めて相手のいない謝罪を繰り返して、ボロボロと零れて行く涙をそのままに、耳の奥に流れ始めたメロディをピアノで弾きながら、五線譜に書き込んで行く…
止まる事無く溢れて来る旋律は、どれも聴いた事のない優美で美しいハーモニーを奏でて、込み上げてくる感情を持て余して震えた。
「あぁ…素敵だ…。まるであの子の様だ…!」
一気に書き終えた。そして、気が付けば次の日の朝を迎えていた…25日間、なしのつぶてだった創作活動は、たったの1日でラプソディを仕上げるなんて強行を前に、虚しい時間の浪費となった。
「コケ~コッコッコッコ…コケ~コッコッコッコ…」
パリスの鳴き声を背中に聴きながら鍵盤に視線を落として、作り立てのラプソディをあの子を思いながら弾いた。
ごめんね…豪ちゃん。
俺は最低な男だ。ここへ来たのも、自分の犯した罪と、俺を責め立てる周りに背を向けて…しっぽを巻いて逃げて来た様なもんなんだ…
そんな俺に恋なんてして…
豪ちゃん…
可哀想に…
馬鹿な俺は再び過ちを犯してとうとう逃げられない所まで来てしまった。さらに罪を重ねる様に、優しい”愛“を示してくれた…君を傷付けて、犯した。
まるで暴発しまくる銃の様に、見境なく傷つける。
そんな男に犯されて、怖かっただろうに…
ねえ、君を思うと胸が苦しくなる理由が分かったよ…
どうやら、俺は君の事が好きみたいだ。
初めて感じた”安心感“と君の優しい”愛“が、とても心地良かったのに。とても、嬉しかったのに…。どうして頑なに彼女に拘って、もっと苦しむ様な選択をしてしまったんだろう。
愚かだね…
あの子の為に書いたラプソディは…いつの間にか、俺のラプソディに変わって行った。あの子の主題を繰り返しながら…乱れる心にテンポを狂わせて、浮足立つ気持ちを軽快な音色に乗せて、君への葛藤と切望を…思いの丈を、込めた。
あんな酷い事をしたというのに…
「…ご都合主義だな。」
白々しい…
寝室に戻ってあの子の石鹸の匂いが残った布団を抱きしめながら、自分の犯した過ちも、あの子を傷付けた事実も、一切合切を忘れて…死んで行く様にクッタリと顔を埋めた。
「良いの…惺山なら、良いの…」
閉じた瞼の裏にあの子が現れて…可愛らしい笑顔でそう言った。
豪ちゃん…ごめんなさい。
会いたいよ…
もう、あんな事しないよ…だから、また俺の傍においで。
お前の声が聴きたいんだ。
俺を見上げて、にっこりと微笑む可愛い笑顔がもう一度見たいんだ…
「コケ~コッコッコッコ…コケ~コッコッコッコ…」
いつもと変わらない…そんな、パリスの鳴き声を聴きながら、いつの間にか眠りに落ちた。
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