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#6
「コケ~コッコッコッコ…コケ~コッコッコッコ…」
布団の中でパリスの鳴き声を聴きながら目覚めた。まどろんだ瞳で天井を見上げて蛍光灯を眺める。
…そして、今日がまた始まるんだ…
「…ん?」
違和感を感じて布団の中を覗き込むと、そこには俺と一緒になって眠る豪ちゃんがいた。
…きっと、ピアノの部屋の窓から入って来たんだ。
兄貴の物か…大きめのTシャツ姿のあの子は、俺の体に寄り添って寝ていた。両手を遠慮がちに添えてる姿は…萌える以外の何物でもない。
あの子の片腕を掴んで自分の胸の上に移動させて、じっと寝顔を眺めていると、指先でそっとあの子の鼻を撫でて、唇を触った。そのまま柔らかい弾力に押し込む様に指を立てると、あの子の口の中に指を入れて、舌を撫でる…
はぁ…堪んない…
「…豪、どうしたの…なんでここに居るの…」
そう言ってあの子を抱きしめると、目を覚ました豪ちゃんが腕の中でもがき始めた。
「はっは~…ダメだよ。こんな所に入ってるんだもん。逃げられないよ~?」
ふざけて笑ってそう言うと、逃げようとするあの子の体を後ろから抱きしめて、自分の体にぴったりと収めて行く…
「豪ちゃん…可愛いね、惺山に体を捧げに来てくれたの…」
そう言ってあの子の襟足を舐めると、むんずと腰を掴んだ俺の手を外そうとするあの子にキスをする。
…して欲しいんだろ?
だから、一緒に寝てたんだろ…?
「や、やだぁ…」
嘘つきだな…
両手で突っぱねる様に俺の胸を押し返すと、惚けた表情で俺を見上げるあの子を見下ろして、可愛いほっぺにキスして言った。
「豪ちゃん…気持ち良くしてあげる…」
「や、違う…違うの…!」
嘘つきだな…
顔を真っ赤にして怒り始めるあの子を無視すると、大きいTシャツの中に手を入れて、あの子の細くてしなやかな体を撫でて行く。
はぁ…堪んないね…?
この子は男の子で、15歳だって言うんだから…信じられない!
だって、俺はガンガンに勃起してるんだ。
ついこの前まで…こんな道になんて興味も無かった。どんなに綺麗な男を見たって…俺の下半身が、反応する事なんて無かったんだ。
でも…この子は、特別…
俺は、豪ちゃんに恋してるんだ…
「ん…惺山…」
可愛い…!
トロけた瞳を向けるあの子の唇に舌を入れてキスして、もっとトロけさせてあげる。
「はぁ…はぁ、ん…だめ、だめなの…」
「なぁんで…したいんでしょ…?」
意地悪にそう言ってあの子のTシャツを胸まで捲りあげると、可愛い乳首をペロリと舐めて味わう。すぐに硬くなって立ってしまうのは、この子の体が敏感だからだ。
じっくり観察して、あの子の可愛い乳首を親指に当てると、いやらしく捏ねてあげた。
「あっ…んん…惺山、やらぁ…だめなのぉ…」
「ダメじゃないだろ…だったら、どうして俺の隣に寝たんだよ…」
あの子の体に覆い被さりながら、嫌がって体を捩るあの子を片手で抑えて、ズボンを脱がせていく。
「んん…!だめなの、ん、違うのぉ!」
嘘つきだな…
「ふふ…豪ちゃん、おちんちんがおっきくなってるのに…駄目なんて言うもんじゃないよ?ねえ…覚えてる?こういう時は、なんて言うんだっけ…?」
あの子の足の間に体を入れて、あの子の剥き出しになったモノを手の中に入れて扱くと、快感に体を捩らせるあの子の顔を覗き込んで言った。
「なんて言うの…?言ってごらん?」
「ん…ふっ!あっ…んん…だめぇ…んん…」
可愛い…!!
口先だけの嫌がる言葉を出す…だらしなく開いたあの子の唇を舌で舐めて、トロけて潤んだ瞳のあの子に言った。
「ほらぁ…惺山の舌…舐めて?」
「んん…惺山…!」
耳まで赤くなった豪ちゃんは、涙を落としながら俺の舌をペロペロと舌先で舐め始めた。繊細で控えめで、逆にエロい…そんな舌の感触に興奮して、あの子の口を覆いつくして、大人の濃厚なキスをあげる。
あぁ…この子は、やっぱりドМかもしれない…
大好物だ!
「ふふ…可愛い…豪、ここ…どうして欲しいの?惺山に、どうして欲しいの…?」
ニヤニヤしながら腕の中で快感にトロけて行くあの子にそう聞くと、豪ちゃんは俺の胸に顔を埋めて言った。
「もっと…もっとして…」
はぁあああ~~~!
「おりこうさんだね…?良いよ。もっと気持ち良くしてあげる。」
可愛いあの子に意地悪に微笑んで、可愛い体を舐めて行く…胸からわき腹…鼠径部を経て…あの子の勃起したモノを下から舐めると、口の中に沈めて行く。
「んん~~!あっあ…!らめぇ…んん、はぁん…あっ…」
快感に体を捩らせるあの子の手を押さえつけ、トロトロと汁を出すあの子のモノを熱心に口の中で扱いてあげる。
…もうイッちゃいそうだ…
そう思った次の瞬間…あの子は俺の口の中でビクビクと腰を震わせた。
「あっんん…!」
小さく悲鳴を上げるみたいにイクと、豪ちゃんはフルフルと体を震わせて俺を見つめて言った。
「…気持ち良い…」
はぁあああん!
「そうだね…豪ちゃん、気持ち良くって…イッちゃったね…」
可愛いあの子の首筋を舐めると、感じるのか…ビクッと体を震わせて首を伸ばしていくから、唇で噛みついてもっと気持ち良くしてあげる。
「感じやすいの…?あぁ、エッチだね。堪んないよ…」
耳元で俺がそう言うと、あの子は嫌がる様に体を捩って俺の頭を叩いた…
なんだよ…
好きだろ?言葉攻め…
解せぬ気持ちを抱えたまま体を起こすと、イッたばかりのモノを扱きながらあの子の中に指を入れて行く。
「ひっ…!」
悲鳴を上げる豪ちゃんに覆い被さってあの子を見下ろして…可愛く震える唇に舌を入れて、深くて逃げられないキスをする。
良いんだよ?豪ちゃん…
乱れて、もっと気持ち良くなって良いんだよ?
恥ずかしがりなあの子が逃げられない様に、もっと自分に溺れてしまう様に快感を与え続けると、豪ちゃんは俺の背中に両手を置いてギュっと自分に引き寄せた。
あぁ…可愛い…
「可愛い…豪、可愛いね…大好きだよ…」
そう甘く囁くと、あの子の喘ぎ声の漏れる唇に何度もキスして、一緒に溺れて行く…
この子はとっても感じやすくって…押しに弱くて、ドМだ…
可愛いじゃないか!!
「ん…惺山…んん…はぁはぁ、らめぇ…あっああん…惺山…」
喘ぎながら俺の名前を呼ぶあの子を見つめて、ガチガチに硬くなった自分のモノをあの子の太ももに当てると、グリグリと擦り付けて一緒に気持ち良くなっていく。
「可愛い…豪ちゃん、気持ち良いね…気持ち良いね?」
柔らかい頬に何度もキスしてそう言うと、重大な事実に直面する。
…コンドームがない。
この前は…彼女と使った余りをちょうど持っていたけど、今日は、ない!
どうしよう…
中に、出さなければ良いのかな…
もう…我慢出来ないよ。
あの子の中から指を抜くと、自分のズボンを下げて大きくなったモノをあの子の中に無理やり押し込んでいく。
「んぁ~~~!」
コンドームの潤滑剤の無い俺のモノが、あの子の皮膚を引っ張りながら中にミチミチと入って行くから…きっと、痛いんだ。痛みに体を強張らせてしまうから…中に入って行かなくて、もっと痛くなるんだ。
「力を入れんなって…豪、ほら…自分の、触っててごらん…?」
あの子の手を掴むと、痛みに縮み上がったモノの上に持って行って、両手で握らせて扱かせた。
「はぁ…はぁ、あっ…んん…!」
乱れて体を仰け反らせるあの子が…とっても卑猥で、とってもエロい…
堪らんね…
快感に緊張の解けたあの子の中にゆっくりと自分のモノを挿入していくと、細い腰を掴んで、ゆっくりと出し入れをしてみる…
あぁ…めっちゃきつい…
既にイキそうだ…
「はぁはぁ…豪、キツい…気持ち良い…」
切羽詰まった声でそう言うと、すっかり快感に溺れたあの子はトロンとトロけた瞳を向けて、だらしなく開いた口元を緩ませて微笑んだ。
はぁ…
だめだ。あの子の顔を見たら、すぐにでもイキそうだ…
ビジュアルで…殺しに来る…
片手で細い腰を抱くと、もう片手であの子の勃起したモノをきつく扱いて、ビクビクと震える先から流れる…トロトロのよだれを、あの子のモノ全体に広げてあげる。
もちろん…中もじっくりと気持ち良くしていってあげるよ…?
「あっああん…惺山、惺山…!!らめぇ~~!」
はは…!可愛い!!
両手で顔を覆うと、豪ちゃんは体を仰け反らせて、腰を何度も跳ねさせてイッた。
あぁ…堪んない…!
「もっと…イカせてあげる…。豪ちゃんが、泣いちゃうまで…!」
そう…
他の男じゃ満足出来なくなるくらい…俺と言う、気持ち良い体を…刷り込んであげる。
「はぁああ…らめぇ…惺山、おかしくなっちゃうの…!」
そう言って俺の体から離れて行こうとするあの子の腰を掴むと、何度も腰をうねらせてあの子の中を堪能しながら言った。
「おかしくなって良いよ。…どんなに乱れちゃうのか…惺山に見せて…?」
「んん…らめぇん!ばかぁ!ばかぁ!」
怒って顔を赤くする豪ちゃんに覆い被さると、あの子の頭を押さえてキスをしながら腰を動かす。
「はぁはぁ…可愛い、可愛いんだぁ…」
汗だくにトロけたあの子を抱きしめて、自分の口から溢れて来る熱い吐息を浴びせて、ドロドロに混ざって…一つになって行く。
あぁ…可愛いんだ。堪らなく好きなんだ…豪ちゃん…!
パーサーカーの様に腰を振り続ける俺の背中に、あの子の手が乗ると、体中に電気が走ったみたいに興奮した気持ちが弾けて行く…
「好きだよ…豪ちゃん、豪ちゃん!大好きだよ…!」
あの子を完全に覆い隠してそう言うと、あの子の中の快感に耐え切れずに果てる。
「…んんっ!」
ダメだ…ダメだ…中に出しちゃダメだ…!
…妊娠させちゃう!!
必死に堪えてギリギリまで中で堪えると、息を吐きながら外に出してあの子のお腹の上に精液を吐き出した。
「はぁはぁ…あぁ…豪、大好き…」
生で性交する事の利点は…ただ単に気持ちが良いだけじゃない。
相手との将来を考えられるかって事だ。俺は豪ちゃんと赤ちゃんを作っても良いし…甲斐性があれば面倒だって見たって良い。
ただ、この子が…もう少し、大きくなったらだ。
今のままじゃあ…俺は完全に犯罪者だ。
「ん!もう!惺山なんて…大嫌いだ!!」
胸の下でそう言って怒り始めるあの子を抱きしめると、汗だくの髪にキスして言った。
「なぁんだ…癖になってる癖に…惺山の、強引なエッチが好きな癖に…ははは…」
「大っ嫌いだ!」
…違うよ。本当は大好きなんだ。
「何が嫌だったの…?」
あの子の顔を覗き込んでそう尋ねると、豪ちゃんは顔を赤くしたままそっぽを向いて言った。
「…し、知らない!」
ふぅん…
「じゃあ…もう、しないよ。ごめんね…」
そう言って体を起こすと、あの子のお腹を綺麗にふきふきして、パンツとズボンを穿かせてあげる。そして、体を起こしたあの子の大きすぎるTシャツを直してあげると、自分のパンツを穿いてゴロンと寝転がった。
「…なんだ。」
むすっと頬を膨らませた豪ちゃんがそう言うから、俺は首を傾げながら言った。
「何でもないよ。もう…あんな事しないって言っただけだ。」
「…ふんだ!」
そう言うと、豪ちゃんは俺のお腹を引っ叩いてヨロヨロとクーラーのかかった寝室から出て行った。
絶対…触って欲しくて布団に入っていた癖に、いざ触られると怒るなんて…ああいうのをツンデレって言うんだ。
可愛いから意地悪してやろう…
あの子が“してっ!”…て、おねだりするまで、絶対にしないでやろう。
ふんだ…
ガタガタ…
豪ちゃんが雨戸を開ける音を聞きながら、ぼんやりと天井を眺めていると、庭先にギャング団の一味がやって来て俺の車を見て大騒ぎしている声が耳に入って来た。
「うわ、おっさん。車買ったんだ。」
晋作だ…
「てっちゃんの父ちゃんの車の方が新しいね?」
清助だ…
「うわぁ~!海に連れてってもらえるね?」
大吉…俺はお前らの足じゃないぞ…
作曲家だぞ…
天井を見つめながら彼らの誹謗中傷に心を痛めていると、縁側の傍にやってきた足音の主がピタリと足を止めて言った。
「豪ちゃん…なんで、こいつの家の事してるの。放っておきなよ!」
はっは~、哲郎だ…
そして、彼は苛ついてる。声で分かるんだ。きっと豪ちゃんが俺のお世話をしてるのが、気に入らないんだ!
「ん、だって…惺山はちゃんとしないから…!」
「豪ちゃんはおじちゃんが好きなんだよぉ~。だから、お世話してるんだぁ!」
ほほぅ…大吉…お前はいつも鋭いね。
バカみたいなタヌキ面をしてても、お前の洞察力は、はぁ~…認めざるを得ないな…
「ん、違う!違う!」
必死に否定すればする程、肯定してるって…豪ちゃんは知らないんだなぁ~。
布団を畳みながらクスクス笑うと、あの子の匂いが残った布団を抱きしめて深呼吸する。
はぁ…豪ちゃん、大好き…
「豪ちゃん、おにぎり作って?」
寝室からひょっこりと顔を出してそう言うと、哲郎君に新婚夫婦の様な俺たちを見せつけてあげる。
「あっれ~?皆来てたの~?仕方ないな…おにぎりは自分で握ろう…」
わざとらしくそう言うと、縁側の下で俺を睨みつける哲郎に余裕の笑顔を見せた。
「え…?ん、もう!豪ちゃんが作ってあげるのにぃ…!」
豪ちゃんはすかさず俺の言葉に反応して、顔を真っ赤にしながら台所に走って向かった。
あぁ、可愛い…
この子はね、俺のお世話をするのが大好きなんだ。
「良いよ。豪ちゃんは、山で蝉でも捕まえて来なよ…」
紳士的にそう言うと、あの子が開いた炊飯器をパタンと閉じた。
そして、そのままあの子の背中を押して、ピアノの部屋に連れて行って、窓を開いて揃えて置かれた靴の前に連れて行く。
そんな俺の腕を掴んで顔を見上げて、悲しそうに眉を下げてあの子が言った。
「なんで…?怒ったの?」
「怒る訳ない…。俺は作曲に集中したいんだよ。」
そう言うと、パリスの産みたての卵を拾って、呆然と立ち尽くすあの子の目の前の…窓を閉じた。
「ん~~~!」
怒って地団太を踏む豪ちゃんに、にっこりと微笑んで手を振ると居間に戻って縁側の下の哲郎に言った。
「どうぞ?遊びに行ってらっしゃい?」
はっは~~!言ってやった~~!
「ふん…気持ちの悪いおっさんだ…」
そんな哲郎君の歯ぎしりと、憎々しい声色を聞くと、俺は余裕の笑顔を見せて笑った。
「いやぁ…はっはっはっは…」
相手は15歳の少年だ。そして、俺は今年で31歳になる。
「ちゃんとご飯食べてね?あと…洗濯と…あと…」
縁側の下から何度も同じ事を確認してくる豪ちゃんに、ムスくれた表情を向けた哲郎が、口元を歪めて吐き捨てる様に言った。
「バッカみたいだな…行こうぜ。豪ちゃんも…それ以上、そいつに構うなら置いていくからな…!」
ほほ…!
哲郎君が…怒った!
「ん、てっちゃん…待ってよぉ…!」
機嫌の悪くなった哲郎に驚いて、目を丸くした豪ちゃんは慌ててあいつの背中を追いかけて行った…
あちゃ…少し、見せつけすぎたかな…
まぁ、良いや…
「ご飯を食べよう…」
走って哲郎を追いかけるあの子の背中が見えなくなると、台所へ戻ってお茶碗にお米をよそった。そして、いつもの様にパリスの産みたての卵を落として醤油をかけて、まぜまぜしながら…ピアノの部屋に篭もるんだ。
今日は…何か良いメロディが思いつくかな…
ピアノの蓋を開いて鍵盤に指をかざすと、あの子のトロけた表情ばかり頭の中に思い描いてしまう…
はぁ…豪ちゃん…
きっと、昨日キスしてから…悶々としてたんだ。そして、俺に抱かれたくなっちゃって…夜這いの様にお布団の中に入って、一緒に寝てしまっていたんだ。
んふ…んふふ…!
堪らんわい!
ピンポン…
「ごめんくださ~い!ごめんくださ~い!」
はぁ…いったい誰だよ。
アンテナなんて…立ってないぞ…?
居間のテレビだって…壊れてて付かないんだから!
しぶしぶ重い腰を上げると、廊下の奥、玄関の曇りガラスに映るシルエットを見て姿勢を正した。
…女だ!
ガララ…
「はい…」
卵かけご飯を片手に持ちながらそう言って玄関先を見下ろすと、小柄な女性が首を思い切り上にあげて言った。
「あ、あ、あの…初めまして。私、ここの…分校で、音楽と算数の教師をしております。小林と申します。失礼とは存じますが、作曲家の先生がいらっしゃると伺って…その、ご挨拶と…お願いにあがりました。」
はぁ…
なんと、小柄な女性だろう…
豪ちゃんは少し高い。168センチくらいある筈だ。
いつぞやの彼女は余裕で170センチを超えていた、バリバリのモデル体型だ…
俺が…185センチだから…
この対格差で彼女とセックスしたら…喘ぎ声を出すテンガにしかならない…!!
ぷふ~~!
そんな失礼な事を考えてるなんて絶対に察せられない様に、無表情に首を傾げると、女性を見下ろして言った。
「さあ…誰の事か…」
「はっ!豪ちゃんが…”背が高くってカッコいい惺山のピアノが大好き~“って言っていたので…てっきりあなたがその”惺山“さんなのかと思ってしまいました。失礼しました…」
「私ですね…はい。あの子が言う…カッコいいは…大抵、私の事ですね…」
キリッと前言撤回すると、俺は小林と名乗る女性教師に尋ねた。
「…お願いとは何でしょう…?」
頬を一気に赤くすると、彼女はもじもじしながら言った。
「実は…」
な、なんと…!!
彼女が言うには、夏休みのイベントで、音楽祭なんてものを小規模で企画しているそうだ。そして、俺に…そこで、クラシック音楽の素晴らしさを講演して欲しいと…頼んで来た。
しかも、タダなんだ!
信じられないだろう?タダの仕事なんて…!
ボランティアじゃないか!!
「え…出演料は出ないんですか…?」
彼女を見下ろしてそう尋ねると、小林先生はとぼけた顔をして言った。
「…食べ放題の焼き魚が、出ます。」
はっは~!
「あぁ…魚…」
苦笑いをしながらそう言うと、押せ押せの小林先生は首を傾げながら、意味深に言った。
「ええ…とっても美味しい、焼き魚です。きっと…豪ちゃんも喜ぶんじゃないかな…?憧れの先生が、子供たちに…クラシックの素晴らしさを教えてくれたら…きっと豪ちゃんも、あぁ…やっぱり、先生は素敵な人だ!って…誇らしく思うんじゃないかなぁ…?」
は…!
この女…何者だ…
俺が豪ちゃんに、めっぽう弱い事を知ってる…!
なにくそだ!
卵かけご飯を反対の手に持ち替えると、負けずに首をカクカク傾げて言った。
「はは…でも、準備もしなくちゃいけないし…労働には対価が必要でしょ?」
「準備なんて!!そんな、大げさな物じゃなくて良いんです。焼き魚に見合う仕事で良いんです。」
俺の言葉を遮る様に言葉を被せて身振り手振りを加えながら、断る隙をドンドンと潰していく…小林先生に、どんどん顔が引きつって行く…
彼女は、とっても強引だ…!!
俺は強引な女は嫌い…
豪ちゃんみたいに、可愛くって恥ずかしがり屋の…ドМのツンデレが好き。
…でも
「わあ…惺山ってやっぱり格好良いね!さすが、僕の大好きな人だ!うふふ。」
そう言って頬を上げて微笑むあの子の姿を想像すると…
はぁ…
「…分かりましたよ。あの子の顔を立てて…お引き受けしましょう。でも、焼き魚分の仕事しかしませんからね…」
苦々しい顔を向けてそう言うと、小林先生は嬉しそうに頬を上げて笑って言った。
「よしよし!あとは…しめしめ…!むふふふ!」
…なんだ、癖が強いな…
満面の笑顔と不気味な笑い声を出しながら、小気味よいステップで彼女が帰って行くのを見送ると、卵かけご飯を一気食いして、玄関の鍵を閉めて、ピアノの部屋に閉じこもった。
「もう…ピンポンが鳴ったって出ないんだから!」
そんな乙女心を口に出して言うと、鍵盤の上に指をかざして、メロディを思い浮かべながら天井を見上げた。
…クラシック音楽の素晴らしさ…?
漠然としてる。議題自体が漠然としてる。だとしたら、オーケストラの素晴らしさを語った方が良い。…いいや、焼き魚分の働きで良いんだから…そこら辺は、頑張る必要もないのか。
はぁ…クラシック音楽…ね。
気が付くと、ピアノで弾いていたのは”死の舞踏“なんてサン=サーンスの曲だ。
「ふふ…死の舞踏…俺にぴったりだな。」
口元を緩めてピアノを弾くと、頭の中でピアノの音がバイオリンの音に変換されて、その奥にフルート…チューバ…ピアノ…様々な楽器が見え隠れした、オーケストラが再現されていく。
あぁ…良いね…
自分の弾く音を頭の中で違う楽器の音に変えて、何重にも何重にも重なった…ハーモニーを作って…渦巻の中に沈んで行く様な…どこまでも深い奥行きを出していく…
一心不乱に曲に没頭すると、目なんて要らなくなる。
ただ…指先と耳だけ研ぎ澄まして、体の周りを流れていく旋律に身をゆだねるんだ…
「はぁ…良いね…」
ため息を付いてそう言うと、背中に鳥肌を立てながら天井に跳ね返ってくる音を全身に浴びて、とめどなく降り注ぐ音に翻弄される。
頭の中でバイオリンの音色を再現したピアノの音色は…俺にはバイオリンにしか聞こえない。…それは、まるで、オートマティックなシンセサイザーの様に…様々な音が頭の中で、再現されるんだ…!
ワルツのフィナーレを、おどけた様に仕上げると、ため息をつきながら言った。
「…はぁ、イキそうだ…」
…ピアノ一台あれば…オーケストラが出来る。
それに気が付いたのはピアノを習い始めて間もない頃だ…
俺の頭の中では音源の特徴さえ捉えていれば、色んな楽器の音色を再現する事が出来る。そのせいか…いつもピアノを没頭して弾くと、何音も要らない音を踏んで怒られた。…でも、俺の頭の中では、壮大なオーケストラが必要な音を踏んでるんだ。
ふふ…厄介だろ?
コンクールや、課題曲の発表では…なるべく楽譜通りに弾く様に神経を尖らせて…”要らない音”を踏まない様に心を砕いた。
不便だったこの特性は、作曲においては圧倒的に有利だ。
だって、オーケストラが頭の中に居るんだ。
ピアノ一台あれば…どんな音でも重ねてハーモニーを作れる。
ある先生は言ったっけな…
「おい、惺山…お前の耳には、何が聴こえてるの?どうして、楽譜にない音を弾いてるの?それは…何か理由があるの?」
俺が踏む”要らない音“を頭ごなしに否定しないで、理由を求めてくれた…初めての先生だった。
「コントラバスと…チェロがかき鳴らした音です。」
不貞腐れた俺がそう言うと、ケラケラ笑って言ったんだ。
「あぁ…なるほどね。じゃあ…次は他の楽器は休んで、ピアノの独奏で弾いてくれ。」
…なかなか洒落た先生だった。
そんな事、言ってのけられるだけの度量があったんだ。
他の先生は…どの人も理由なんて聞かずに怒るばかりだった。
音楽は自由だ…
決まりなんてないし、良い物の定義なんて無い…
その筈なのに…
自由は縛られ、翼はもがれ、型に嵌められた演奏ばかりを要求される。
…だから、俺は奏者にはならずに…作曲家を選んだ。
俺の自由に…俺の思うままに…
誰にも邪魔されずに…俺の耳に届く音をそのまま音符にして、譜面に落として…他の人たちにオーケストラを通して聴かせるんだ。
これが俺の音楽だって…示してやるんだ。
それが…作曲家になりたかった理由…
死に物狂いでしがみ付いて来た…理由。
「さてさて…じゃあ…何から手を付けようかな…」
1人でそう呟くと、何も書かれていない五線譜を眺めて首を傾げた。
ザーーーーーー!
何の前触れもなく、突然雨が降り出した。
パリスが慌てた様子でテラスに戻って来て、翼を広げて体から水を振るい落としている様子を眺めて、ため息を吐きながら鶏に向かって言った。
「あぁ…パリス、災難だな。」
そんな時、ふと、あの子の事を思い出して…鍵盤の上で指が止まった。
…豪ちゃんも、びしょ濡れになっていないかな…
まぁ…哲郎が居るんだ。大丈夫だろう。
窓の外を眺めながらピアノの椅子に腰かけ直すと、再び鍵盤に手をかざして、思いついたメロディを淡々と五線譜へと書き写していく。
俺の作曲作業は大抵いつもこんな感じだ。
幾つもの短いメロディを思いついては五線譜に落としていくんだ…それを後から組み立てたり…突然、閃きが沸き起こった時なんかは、止め処なく旋律が流れ始めて、五線譜に書き写す暇さえなかったり…と、本当、その場任せの行き当たりばったりだ。
こんなスタイル…時間に余裕のある、金持ちジジイの作曲家みたいだろ?
それを俺は生活の余裕も無いのに、してるんだ。
どうしてかって…?
自由な創作活動において…時間なんて縛りは無意味だからだ。
夢中になっている事を止める事は、その後に訪れる閃きを諦める事になる…それを逃したくないんだ。
だから、こんな風に、一日中ピアノの前に座っている事になる。
今の時代、要領の良い人は、すべてパソコン打ちしてるって言うのにね…。頑固者で融通の利かない、不器用で…間抜けな、柔軟性の無い頭なんだ。
…あぁ、ここはもっと…トリルを利かせた方が、美しいな…その方が、滑らかで繊細だ…
身を屈めて譜面にトリルの記号を書き込むと、何度も弾いて、聴いて、頷いた。
ゴロゴロゴロゴロ…ドーーーーン!
「うわっ!」
土砂降りの雨の中…大きな雷が鳴り始めて、気が付くと辺りは真っ暗になっていた。
「今…何時だ…?!」
慌てて時間を確認すると、まだ夕方の5:00…
いつもならまだまだ明るいはずの外が、分厚い雲のせいか…真っ暗闇になって雨音が激しく響いて耳をおかしくする。
「豪…外には居ないでくれよ…」
縁側に出ると、土を抉るくらいの強い雨脚と地面を揺らす雷に、一気に不安になって来る。
こんな時…湖なんかで遊んでいやしないだろうか…
こんな時、山なんかで…蝉を取ったりしていないだろうか…
哲郎がいる…
あいつは…しっかり者だから、大丈夫…きっと、豪ちゃんの傍にいてくれる筈だ。
…そうだろ。
ゴロゴロゴロ…ドドドドーーーーン!
雷の音を掻き消す様な地響きと地面を揺らす強い振動に驚くと、体を緊張させて耳を澄ませる…
なんだ…今のは…
雷じゃない。
「子供が流されたぁ!」
はっ!?
敷地の外で黄色や黒のカッパを着た大人がわらわらと出てくると、何やら話し込んで、湖の方へと走って向かうのを呆然と見つめる…
「どこの子だぁ!」
「湖で、山からの鉄砲水に流された!哲郎が踏ん張ってるけど、もう一人の子はダメかもしれん!」
は…
「豪!」
全身に鳥肌が立って、悲鳴を上げながら家を飛び出した。当てにならない傘をさして、豪雨の中を湖へと走って向かう。
嘘だろ…嘘だろ…!
哲郎!豪ちゃんを…豪ちゃんを助けろよ!!
三差路を左に曲がって下り道を走って行くと、カッパを着た大人が手を振り払う様にして、雨にかき消されない様に大声で言った。
「あぶねえから!こっちは駄目だ!」
「子供は!子供はどこですか!!」
縋る様にそう聞くと、その人は山の裾を指さして言った。
「鉄砲水が来て、湖で釣りしてた子供を飲み込んだ。5人。3人は逃げて、無事。2人は中州みたいになった所に取り残されて、今、踏ん張ってる。ただ、1人の子はぐったりしてる!」
豪だ…
哲郎と豪が…取り残されてる…!!
「どこ…?!場所は、どこ…!!」
「ダメだ、危ないから行くな!二次災害になる!」
男性と押し問答をしていると、地元の消防隊が走って湖へ向かうのを見つけて、一目散に追いかけた。
「哲郎…哲郎、頑張れ…!」
喉の奥が苦しくなるのを感じながら無我夢中で走ると、目の前に茶色い濁流が山からなだれ込んでくる壮絶な光景を目の当たりにして、絶句する。
なんだ…これ…
「おじちゃ~ん!!」
俺に気が付いた大吉が泣きながら抱き付いて来ると、清助…晋作が同じ様に抱き付いて、泣きながら指をさして言った。
「てっちゃんと、豪ちゃんが!!」
やっぱり!!
「どこだ…!!」
そう言って彼らの指さす方を見ると、山から押し寄せる濁流が湖畔の防風林をなぎ倒して流れを変えた場所に…哲郎とあの子の姿を捉えた。
「…豪!!」
悲鳴を上げて顔を歪めると、濁流に足を取られまいと必死に体勢を屈める哲郎と、あいつの腕の中で、気を失っているのか…力なく項垂れる豪ちゃんを見つめた。
「俺たち…もっと山の傍にいた…。雨が急に降って来たから、ヒック…雨宿りしてた…。そしたら、急に後ろから木が…木が…押し寄せて来たんだぁ!」
清助はそう言うと、震える唇を噛み締めて、両目にいっぱいの涙を溜めた…
「俺たちはすぐ横に逃げたんだけど…豪ちゃんが巻き込まれて、てっちゃんが助けに行った…!あっああ~~!どうしよう~~!!うわぁ~~ん!!」
落ち着かない様子で歩き回りながら晋作がそう言って、怯えた大吉はフルフルと体を震わせて俺の腕を固く掴んで言った。
「豪ちゃんは気を失ってる…最初の濁流に一回飲まれたんだ。それを、てっちゃんが引っ張り上げて…今、あそこで踏ん張ってる…!!」
あぁ…
哲郎…でかしたぞ…
さすが、お前は強い男だ!!
「哲郎!!頑張れ!!」
大声を出してそう言うと、聞こえたのか…あいつは少しだけ、こっちを見た。
いいや、こんな豪雨だ…聞こえる訳ない。
突然の大雨に見舞われて、山の上部の川が氾濫した。溢れた水が山肌を流れて、鉄砲水を起こした…そして、湖に流れる訳でもなく下り坂の道路を川に変えて、流れを止める事なく濁流の川を作った…
何て事だ…
目の前の光景になす術なく立ち尽くしていると、ふと、俺たちの背後に集まった地元の消防隊の話を耳に入れる。
「消防に上から引っ張り上げて貰おう。もしもの為に、すぐ下に網を張って、流されても止まる様にしよう。二段、三段と、網を張って…どっちの子も…下まで流しちゃダメだぞ!ここで、何とかしよう!良いな?」
「おうっ!」
頼むぞ…助けてくれ…!
何も出来ない状況が、これほどまでに歯がゆくて…無力を感じる事だとは思わなかった…そんな中、哲郎がしきりに俺を見ている事に気が付いた。
「…哲郎!どうした!!」
聞こえる訳も無いのに、大声で声を掛けると、あいつがこっちに向かって何かを言った。
え…?
耳を澄ませて哲郎の声を聴き取ろうとするけど…雨の音が邪魔で…なんて言ってるのか、全く聴き取る事が出来ない…!
…哲郎は馬鹿じゃない。賢い男だ。
そんなあいつが聞こえないと分かっていても、必死になって何かを伝えようとしてる…
それは、何か…特別な理由があるはずなんだ。
この…雨の音さえなければ…聞こえるのに…!!
くそっ!
こうなったら…一か八か…
一度深く深呼吸をして、ザワザワと波立つ気持ちを必死に沈めて、哲郎の口元を見つめてもう一度声をかけた。
「哲郎!もう一回、言ってみろっ!!」
次の瞬間…俺はあいつの声にだけ集中して、雨の音を、耳の中から消した。
「…豪ちゃんの…足が、木に挟まってる。動けない…。助けて…。」
ミュートを解除した様に一気に雨音が耳の奥まで震わせると、顔を強張らせながら地元の消防団に駆け寄って言った。
「気を失ってる子が…足を木に挟んでいて動けないそうだ!救助に向かっても、哲郎は豪ちゃんを置いては動かない。あの子の足を木から外さないと…!」
俺がそう言うと、災害ヘリに向かう救助隊が大きなハサミの様なカッターを手に取って言った。
「もしもの時は…子供の足を切る。」
嘘だろ…
あの子は可愛い鶏なんだ、足なんて…切らないでくれよ…
でも…
「…任せる。」
助かるのなら…そうしてくれ…
項垂れる頭を持ち上げて顔を歪めると、必死に豪ちゃんを抱き抱える哲郎を、祈りを込めながら…じっと見つめた。
神様…居るんなら、あの子を…俺の天使を、守ってくれよ…!
バババババババ…!!
雨にも負けない爆音と強い風を巻き起こして、災害ヘリが哲郎と豪ちゃんの真上にホバリングした…
固唾を飲んであの子たちを見守ると、いつの間にか大吉と清助…晋作が俺の手を握って、一緒に2人を見つめていた。恐怖からか…声も出なくなった子供たちを見て、胸が苦しいが、俺は残念な事にお前たちよりも動揺して、宥める気も回らない…
「哲郎…哲郎…豪ちゃんを離すな。絶対に、あの子を離すんじゃない…」
喉の奥で何度もそう言って、ヘリから降りて来た救助隊員が濁流に体を突っ込んで何かを確認している様子をじっと見つめて祈る。
どうか…どうか…あの子の足を切らなくても…済みます様に…
上空のヘリからもう一人救助隊員が下りてくると、手に持ったカッターで水の中の何かを切断していく…
「おじちゃん…!!」
「大丈夫…大丈夫だ…」
泣きじゃくる子供にそう言いながら、自分に言い聞かせる。
…大丈夫だ。
豪ちゃんは俺を守ってくれるんだから…
俺より先に…死んだりする訳がないんだ…
安心したような哲郎の表情と、あいつが抱き直す豪ちゃんの体を見て、ほっと胸を撫で下ろした…
はぁ…良かった。
切られたのは…木の方だったみたいだ…
「よし…後は…上からのロープに捕まって引き上げられるだけだ…」
俺がそう言った瞬間…
流れを変えていた濁流が木を押し倒して、哲郎達を飲み込んで行く。
「哲郎!!」
一気に哲郎の体が茶色の濁流に覆い隠されていく様子を見つめて…声も出ないで、ただ…ただ、心が悲鳴を上げた。
哲郎…踏ん張れっ!踏ん張ってくれっ!
目に力を込めて哲郎が居たであろう場所を見つめ続けると、茶色の濁流の中から姿を現した哲郎に、ホッと…安心して、あいつの胸元の豪ちゃんを確認する。
押し寄せる濁流の勢いは、先ほどよりも確実に強く哲郎の体を打ち付けて行く…!そんな中、必死に堪えるも…茶色い濁流が、あいつの腕から豪ちゃんを流した…!!
すぐに下流に待ち構える救助隊に大声で言った。
「子供が流れてくるぞっ!!」
気を抜いていたのか…
第一の網は、張られるタイミングが遅かった様で、あの子は下に流されて行った…
「豪!豪!」
足元に落ちているロープの束を肩にかけると、泣きながらあの子を追いかける。
いざとなったら…あの子を助けに…この濁流に飛び込んでやる!
「あ…」
最後に張られた第三の網に、何とかあの子が引っかかって止まったのを確認した。
「豪!今、行くぞ!」
迷う事無く張られた網伝いに濁流の中に入って行くと、引っかかったあの子を抱き上げて、自分の体とロープで繋いで固定する。
「豪!もう大丈夫だぞ…!」
うつろに瞳を開くあの子にそう言って、両側から大勢に引っ張られ続ける網を、ゆっくりと進んで行く。
ひとりで来た時よりも体が重くなった分動き辛くなった体は、水の抵抗をもろに受けて、思う様に動いてはくれなかった。
…こんな、すさまじい勢いの濁流の水流に足を取られたら、一巻の終わりだ…
神経を研ぎ澄まして、慎重に足を運んで行く。
目の前をゴゴゴ…と轟音を立てながら通り過ぎていく流木に肝を冷やしながら、何とか岸に近付くと、救助隊員に腕を掴まれ引っ張り上げられて、無事に…岸に辿り着く事が出来た…
「はぁ…!」
一気に脱力して膝から崩れ落ちる。救助隊が俺とあの子のロープを切って、担架に乗せられた豪ちゃんが救急車へと運ばれていく…
あぁ…
頼む…あの子を、助けてくれ…
俺の…命なんだ。
「おっちゃん!やったな!!」
「おっさん、男じゃないか!ぐうたらなニートじゃなかった!!」
「愛の力が…年齢の老いをカバーしたんだぁ!」
三者三様の喜びを表す子供に息も絶え絶えの様子で頷くと、一足先に救助された哲郎が俺に掛け寄って来た。
「おっさん!!」
次の瞬間、あいつは俺に抱き付いておんおん泣きながら言った…
「良かった!!豪ちゃんを、豪ちゃんを助けてくれて…ありがとう!!」
何言ってんだ…
お前が、踏ん張って…助けたんじゃないか…
「お前が…あの子を守ったんだ…」
そう言って哲郎の背中を叩いて、あいつの顔を見て言った。
「お前は…強い男だ!!」
こいつが濁流に飲まれたあの子を、あそこまで引き上げて…強い流れに打ち付けられながら必死に抱きかかえて守ったんだ。
俺に…同じ事なんて、出来ない…
きっと、流されてる。
哲郎は…本当に豪ちゃんが好きなんだ。
俺の様に…汚い下心であの子を見てるんじゃない。
…幼い頃からの絆があって、ずっと…豪ちゃんを誰よりも傍で見守って、愛してる。
勝てない…
こいつには…敵わない。
最高の…男だ…!!
「おっちゃん、豪ちゃんの所に行こう…」
ヨロヨロと体を起こす俺の腕を掴んで体を支えると、子供たちは俺と一緒に豪ちゃんが運ばれた救急車へと向かった。
「痛い所は…?」
「ん、足~…?」
「水は飲んでないの?」
「…分かんない。」
毛布を掛けられたあの子が救命士とそんなやり取りをする姿を見ると、哲郎は大泣きしながら豪ちゃんの元へと走って向かった…
続けとばかりに、清助と晋作、大吉が走って行く後姿を見送って…安堵と恐怖から、笑いながら涙が込み上げてくる忙しい顔を必死に取り繕って、あの子を見つめた。
あぁ、良かった…
「せいざぁん!」
立ち尽くした俺に気が付いたのか、痛めた左足をひょこひょこしながら、両手を広げて俺の元へと駆けて来た。
「豪!」
そう言ってあの子を抱きかかえると、クルクル回してギュっと抱きしめる。
動いてる…生きている…体は、こんなにも柔らかくて…温かいんだ。
「哲郎が…ずっと、お前を守ってくれてたんだ。一度は濁流に飲まれたお前を…引き上げて、ずっと抱きかかえてくれてたんだぞ…!」
抱きしめたままあの子の耳元でそう言って、顔を覗き込んだ。
「あいつは良い男だ!」
そんな俺の言葉に瞳を歪めて微笑んで、込み上げてくる恐怖を口から吐き出すみたいに震えながら、嗚咽を漏らして豪ちゃんが言った。
「知ってる!てっちゃんは、強くて、良い男だ!うっ…うわぁん!怖かったぁ!」
きつく強く抱きしめられてバランスを崩してよろけた俺を見上げて、豪ちゃんは何度も何度も泣きながら言った。
「惺山…良かったぁ、無事で…良かったぁ!」
「あ~はっはっはっは!」
死にかけたのに、俺の心配をして…泣いてる…
そんなあの子に大笑いしながら尻もちをつくと、豪ちゃんは俺のシャツを強く握って、渾身の…大泣きを始めた。
すぐに、俺の上に乗ったあの子に感極まった子供たちが抱き付いて、重量オーバーの伸し掛かる重さに、身動きが取れなくなって…天を仰いだ。
あぁ…苦しい…
雨は変わらず強く降りつけて、大粒の雫が顔面を叩き付けて、もうすぐ…溺れそうだ…
「豪ちゃん…おっさんが死にかけてる…!」
哲郎の声に、やっと俺の危篤状態に気が付いた豪ちゃんが、慌てて体を起こしてくれた。
濁流の衝撃で気を失ったが、奇跡的に足の捻挫以外ケガも無く、豪ちゃんは助かった…
これを奇跡と呼ばずして…何を奇跡というのか。
それ程までに…この子は運に恵まれていた。
明日は筋肉痛だ…
一生に一度…使う力を、全部使い切った気がする。
「どうして…聞こえたの…?」
帰り道…隣を歩く哲郎がポツリと俺に聞いた。
「…なんとなく、聞こえたんだよ。」
俺がそう言うと、あいつはクスクス笑って言った。
「…俺も、あんたの声が…なんとなく、聞こえたんだ…」
へぇ…
そんな事もあるんだな…。
「もしかして、楽器とかやってる?」
哲郎を見上げて聞くと、彼はギョッとした顔をして首を振って言った。
「やってないし、興味ない。俺がやってるのは植木の剪定だけだ。」
へぇ…
それでも、俺の事が聞こえたんだとしたら…それは、もう…奇跡だな。
あの子を救う為に…用意された奇跡だ。
ゴロゴロゴロゴロ…バリバリバリーーー!
「じゃあな…」
未だ、雷が鳴り続ける豪雨の中…這う這うの体のギャング団にそう言うと、俺を見上げて大吉が言った。
「おじちゃん…ひとりで大丈夫?うちに来ても良いよ?」
その言葉を聞いた晋作が、何度も頷きながら言った。
「うん…おっちゃんもひとりで寂しいだろうから、うちに来ても良いよ?」
知らなかった。
どうやら…俺は子供にモテるみたいだ…
きっと…放っておけないオーラが出てるんだ。
「惺山…豪ちゃんのお家に来る?」
「豪ちゃんは健ちゃんが帰って来るまで俺の家に来て。」
すかさずしっかり者の哲郎がそう言って、あの子の肩を掴んだ。
「そうだな…濁流に飲まれたし、不意に怪我が見つかるかもしれないから…豪ちゃんは哲郎の家にいた方が良い…」
俺がそう言うと、豪ちゃんはしょんぼりと肩を下げて寂しそうに頷いて言った。
「はぁい…」
彼の所に居れば…安心だ。
俺の所にいるよりも、断然…安全だ。
「良いんだ。おじさんは1人が好きだから。じゃあな…」
そう言って手を振ってギャング団と別れると、トボトボと駆け抜けた道を雨に打たれながら徹の実家へと戻った。
風呂に入って温まらにゃ…風邪でもひいたら、この前の様に熱を出して面倒になるからな…
玄関の無施錠の扉を開いて中に入ると、ビショビショになった服を脱いで、真っ裸で暗い室内を風呂場へと向かった。湯船にお湯を溜めながら浴槽に流れ込んでいく水を見つめて、あの時の濁流の恐怖を思い出す。
「あれは…まるで、コーヒー牛乳のお化けだ。」
茶色く濁った濁流は…まさにコーヒー牛乳の色をしていて、体に打ち付ける水流は、海の引き潮なんて目じゃない…高圧洗浄を足元にぶつけられてる様に、痛くて、強くて、止め処なかった…
お湯張りが済むと、体を流して髪を洗う…そして、あったかい湯船に浸かるんだ。
「はぁ…死ぬかと思った!」
本当だ…
田舎は思ったよりも、危険がいっぱいだ…
裏の藪には毒蛇が出るし、蛇好きの家から脱走したまま…行方知れずの青大将もいる。豪ちゃんは鶏の心配ばかりしていたけど…絞められたら人間だって危ないんだから…
そして、今日の様な…自然災害。
はぁ…恐ろしかった。
木が迫って来たって…子供たちは怯えていた。
それはきっと…とても恐ろしかっただろう。
…豪ちゃん
流されなくて…良かった…
死んじゃわなくて…良かった…!!
そう思った瞬間、胸の奥を震わせて嗚咽と恐怖が込み上げてくる…
あぁ…
恐ろしかった…!
”死“を予感して、あの子を目で探した時の恐怖。
なすすべなく…ただ、見つめる事しか出来ない…恐怖。
そして…力及ばない結果を予測した時の…恐怖。
安堵した今でも…思い出すだけで、あの時の恐怖が蘇って来るんだ。
もう、あんな思いはしたくないよ。
「はぁ…」
ため息をついて顔にお湯をかけると、ふと、気が付いてしまった…。
もしかしたら…
あの子は、いつもこんな恐怖を抱えているのかもしれない…
そうだ…
死期が分かるあの子は、モヤモヤを纏わり付かせた人に付いて回っては…その人が死なない様に守ろうとして来た。
でも、残念な事に…助けられた事は一度も、ない。
そして、俺という男に恋をして…
好きな人が、いつ死ぬかも分からない恐怖を…毎日、感じてる。
”死“を予感して、俺を目で探して…
なすすべなく…ただ、見つめる事しか出来ない…恐怖を抱えて。
力及ばない結果を予測した時の…恐怖に、毎日怯えている。
…悲劇だな。
風呂を出て居間へ向かうと、縁側から覗く外は未だに激しい雨を打ち付けて雷を轟かせている…
…あの子は、悲劇そのものだ。
縁側に座ってビールを飲みながら、庭先の真っ暗闇を見つめて、耳に届く激しい雨の音色にため息を吐いた。
「惺山…」
あぁ…やっぱり、来た…
着替えたのか…長袖姿の豪ちゃんが、両手で傘を持って俺の目の前に現れた。そして、瞳をグラグラと揺らして俺を見つめると、震える声で言った。
「…僕、惺山と居る…。」
この子の為に…哲郎と居る方が良いと思った。
でも…この子は、俺が心配なんだ。
離れている間…もしかしたら、今…死んでるかもしれない…なんて、そんな恐怖を感じながら過ごしているのだとしたら…忍びないよ。
「…好きにしな。」
…お前の好きにしたら良い。
俺が死ぬその時まで…少しでも、傍に居たら良い。
「惺山が助けてくれたね?」
「…最後だけね。」
俺の隣に座って体を寄り添わせたあの子をそのままにして、雨の音が全ての音をかき消す中…ビールをすすりながら真っ暗闇を見つめた。
「兄貴は…帰って来れないかもな…」
空を見上げてそう言うと、あの子は俺を見つめて言った。
「てっちゃんのお父さんが、町への道路が土砂崩れの恐れがある為、通行止めになったって言ってた。」
あぁ…そうだよなぁ…
「ここが…好き…」
何もしない俺に気を良くしたのか、豪ちゃんはそう言うと、俺の体に抱き付いて襟足を指先で絡めて撫で始めた。
「ふぅん…なんで?」
軒下に打ち付ける滝になった雨を眺めながらそう聞くと、あの子は俺の肩に頬を乗せて言った。
「…お父さんが、長かったから…」
あぁ…可哀想に…
「そう…」
込み上げて来る涙を堪える様にビールを煽って飲んで、ため息をひとつ吐いて、抉られた軒下の地面を見下ろして鼻歌を歌う…
「それは…なんて曲…?」
肩に頬を乗せたあの子がそう尋ねて来たから、俺はピアノを弾く真似をして言った。
「“雨だれの前奏曲”…フレデリック・ショパンだ…」
「”愛の挨拶“は…誰が作ったの?」
「エドワード・エルガー…」
「ふふ…!惺山は物知り!」
嬉しそうに瞳を細めてそう言うと、豪ちゃんは俺の襟足を指に絡めたまま、背中に抱き付いて体を揺らした。
…親父の髪が長かったから…
だから、こうして…ずっと触って…あんな風に気の抜けた顔をするのか…
「…お父さんは…僕の事を悪魔だと言った…」
そう…あの子が言った言葉が、頭の中をこだまする。
何か…確執が、ありそうだな…
「他の歌も教えて…?」
「歌じゃない…曲だよ。…そうだな、何が良いかな…」
あの子を背中に乗せたままビールを飲むと、体を揺らして歌い始めたのは、フィンランドのポルカ。
「ふふっ!ははっ!僕…それ好き!」
楽しそうにケラケラ笑うあの子を背中に乗せて、激しい雨の音をかき消す様に楽しいポルカを鼻歌で歌ってあげると、あの子は俺の背中をトントンと叩いて、ポルカの拍子をとり始めた。
ふふ…可愛いじゃないか…
「これはサッキヤルベンポルカ。フィンランドの音楽だ。第二次世界大戦中、継続戦争と言ってソビエトとフィンランドが戦ったんだ。そして、フィンランドは領地を奪われた…。その土地の事を忘れないって思いを込めて作られた曲だよ。フィンランド人の誇りと、故郷への慕情が込められてる。」
俺がそう言うと、あの子は感心した様に俺の顔を覗き込んで言った。
「へぇ…惺山はやっぱり物知り!音楽の先生みたい!ただのスケベじゃなった!」
酷いじゃないか…これでも作曲家の端くれだよ?
「こういう仕事をしてるからね…いつもピアノを弾いてるニートじゃないんだよ。」
クスクス笑ってそう言うと、あの子が真似して歌う歌声を聴いて瞳を細めた。
…可愛いな
「…もっと教えて?もっと教えて?」
豪ちゃんに付き纏われながら歯を磨くと、使ってない歯ブラシをあの子に渡して歯磨き粉を付けて言った。
「口の中に泥水が入ってるかもしれないからね…綺麗にして?キスできるくらいに綺麗にしてね…?」
俺がそう言うと、豪ちゃんはムスッと頬を膨らませながら俺の隣で歯磨きを始めた。
「足を挟んだんだろ?あとでモミモミしてあげるからね?」
鏡越しにあの子にそう言ったら、豪ちゃんは驚いた様に目をまん丸く見開いて、頬と耳を赤くして言った。
「良いの!しなくて良いの!」
ふふん。
しないさ…何もしない。
豪ちゃんが堪えかねておねだりするまで、何もしないって…決めたんだ。
それに…親父の髪を撫でながらセックスするって言うのも…少し整理したい所ではある。
ファザコン…って、そういう感じなのかな…
「磨いた~!」
元気にそう言う豪ちゃんを連れて居間に戻って、雨戸を閉めて、玄関の戸締りをする。ピアノの部屋の窓も閉めて鍵もかけて…
密室だ。
でも、何もしないさ…
「さあ、眠ろう…」
手元のリモコンでクーラーをガンガンに付けてそう言ったら、豪ちゃんがすかさずクーラーを消して言った。
「体に悪い!窓を開けたら良いんだよ?」
「駄目だ。声が漏れるだろ?」
「なんの声…?」
そんな俺の言葉に、窓辺でキョトンとするあの子を見つめると、クーラーを再び付けて布団をバンバン叩いて言った。
「郷に入れば郷に従えだ。この家で寝るなら、俺のやり方で寝るんだ!」
強気の姿勢でそう言ってみたら、豪ちゃんは口を尖らせてしょんぼりして言った。
「分かったぁ…」
…この子は押しに弱い所がある。
それが可愛い所でもあるんだ。
大人しく俺の隣に寝転がってビクビクし始める豪ちゃんを無視して、天井を見上げて蛍光灯の豆電球を見つめる。
「はぁ…悪夢を見そうだ。だって、今日は心臓が止まりかけたんだ…」
ため息をつきながらそう言うと、あの子は俺の顔を覗き込んで言った。
「…どうして?」
…どうして??
「豪ちゃんが流されそうになったからだろ?はぁ~!まったく!この子は!人の”死“にばっかり感心が行って、自分の危険には無頓着なんだ!今日は、大事な豪ちゃんが死にかけて、俺は生きた心地がしなかった…!」
そんな俺の言葉に真っ赤に頬を染めて、もじもじしながら上目遣いをする…可愛い豪ちゃんを見つめて言った。
「…おやすみなさい。」
「…うん。おやすみなさい…惺山。」
ごそごそ…と遠慮がちに俺の体に触れて、じっと固まるあの子を横に感じて…ソワソワしてくる気持ちを抑え込んで、修行僧の様に…平常心を保った。
「…もっと、ギュってして良いんだよ?」
豆電球を見つめてそう呟くと、豪ちゃんは無言で頷いて、恥ずかしそうに少しだけ体を近付けた。
はぁ…可愛い…
この子は…恥ずかしがり屋だ。
ぐう…スヤスヤ…
「惺山…?」
はっ?!
眠りかけた頃、あの子が話しかけて来た…
「なぁに…」
寝ぼけた声でそう答えると、あの子は俺の胸を撫でて言った。
「ここに…手を…置いても良い?」
「良いよ…」
クスクス笑って、いつまでも煮え切らないあの子を片手で抱き寄せて、体を密着させた。
…俺の心臓の上に手を置くんだもん。
寝ている間に死ぬとでも…思ってるのかな…?
ふふ…
お前の隣で死ねるのなら…全然、嫌じゃないよ…
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