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#8_01
「コケ~!ココココ…!コケ~!ココココ…!」
いつにもまして…パリス嬢の声が耳をつんざく理由…
それは、彼女が目の前に居るからだ…!
「パ…パリス…うるさい…」
そう言って彼女を手で払い退けると、腕の中で豪ちゃんが言った。
「だめ…叩かないで…」
「叩いて無い…や~め~てって言ったんだ…」
そうだ…俺はパリス嬢の恩恵を受けて命を繋ぐ下僕だからね…彼女を叩いたりしないさ…
「そうなの…?分かったぁ…」
すぐに納得して二度寝するあの子を見下ろすと、静かになった外の音と、厳重に締め切られた雨戸から漏れ聞こえてくる小鳥のさえずりにため息をついた。
荒れ狂った台風は…去ったみたいだ。
「起きるよ…」
うつ伏せて眠るあの子にそう言ってキスすると、布団から起きて玄関へ向かった。
「わぁ…これは、酷い…」
外に出ると、どこから飛んできたのか…徹の実家の庭には、根元から折れた大きな木が一本横たわっていた…
その他にも、バケツ…傘立て…発泡スチロールの箱が散乱して、道路には、電線に引っかかった自転車が電柱を倒して、ブラブラと揺れていた…
…あのチャリンコのせいで…停電したんだ…
眉をひそめて眺めると、振り返って母屋に損害がないか見上げて確かめる。
意外な物が飛んで来たりしていて、建物を破壊してるかもしれないからね…
ガララ…
玄関の開く音と共に、ズボンを抑えたあの子がヨロヨロと歩いてやって来た。
「ん、ねえ…キツく縛って…?」
そう言って俺にズボンの紐を見せるから、跪いて、出来る限り紐を絞って、ちょうちょ結びに結んであげた。
ボサボサ頭で、ブカブカの服を着たあの子は…保護した方が良い天然記念物。
…そんだけ、可愛いって事だ。
「僕が来た時は無かった…」
そう言って大きな木を指さすと、雨戸を指さして言った。
「ガーーーンッ!て、ぶつかっていたら…雨戸が壊れて、中に入った強風が屋根を持ち上げて吹っ飛ばしたかもしれない…」
ひぃ!
「…そ、そ、そう、ならなかっただろ…?」
怯えた心をひた隠しにしてあの子を見下ろしてそう言うと、豪ちゃんは首を傾げて…そのまま、俺の腕に頭を付けた。
「…ならなかった…」
ポツリとそう言うと、クスクス笑って俺の手を両手で握った。
嵐の後の空は清々しいくらいに晴れ渡って…髪を撫でる風も、心なしか穏やかに感じる。
「こんなの…落ちてる…」
豪ちゃんは発泡スチロールを持ち上げてそう言うと、俺に見せてケラケラ笑った。
「掃除しないと、パリスが突いて汚しそうだ…」
そう言って誰かの家の傘立てを持ち上げると、かかったままの黄色い子供用の傘を見て、あの子と一緒にケラケラ笑った。
「豪!!」
はっ…!来た!
嵐の過ぎ去った穏やかな家の庭…
そこに現れたのは、呆然と立ち尽くすあの子に駆け寄る…怒り心頭の兄貴と、彼の後ろを付いて来た…哲郎と、その両親…
「兄ちゃ…」
豪ちゃんがそう言った瞬間…有無を言わさず、豪ちゃんの兄貴は、あの子の頬を平手打ちして吹っ飛ばした…
「おい!何すんだ!!」
手に持った傘立てを放り投げると、地面に倒れ込んで頬を抑えるあの子を見て、頭に血が上った…
「殴る事無いだろっ!」
そう言って豪ちゃんの兄貴を小突くと、怒りに顔を歪めた兄貴が言った。
「昨日!急に居なくなったんだ!それでも、怒るなって…言うのかよっ!!」
あぁ…
兄貴に言ったって言うのは、嘘だったのか…
そらそうか…
この兄貴が…あんな嵐の中、この子一人で…行かせる訳がないんだ…
そうか…
「ご…ご、ごめんなさい…」
瞳を歪めて俺を見上げると、ボロボロと涙を落としながらあの子が言った…
「お、お…怒られると思って…兄ちゃんに言ったって…嘘をついたぁ…。惺山、ごめんなさい…ごめんなさい…!」
あぁ…この子は…
こんな状況でも、兄貴じゃない…俺に謝るんだもん…
周りの大人がため息をつくと、哲郎が豪ちゃんに怒鳴って言った。
「豪ちゃん!何考えてんだよっ!どんだけ、心配したと思ってんだっ!!」
「ん、うるさいぃ!」
反射の様にそう言って顔を背ける豪ちゃんに、哲郎は顔を真っ赤にして怒りを露わにした。
「な、なんだとっ!」
「…もういい!お前は、本当に…縛っておかないとダメみたいだな!…いつも、いつも!もう、あったま来たっ!お前みたいな馬鹿は、も、閉じ込めてやるっ!」
豪ちゃんの兄貴はそう言うと、暴れるあの子を担いで連れて行った。
「惺山!やぁだぁ!ん、やだぁ!!惺山!惺山!嫌だぁああ!!」
そんな悲鳴にも似た声を上げたあの子が…連れ去られるのを、ただ、黙って見送った。
…何も出来ない。
正当な人が…当然の心配をして…怒ったんだ。
…何も言えないし、何も出来ないさ。
「…健ちゃんはあの子が心配なんだ…。お父さんの事もあって、過保護にしてる所もある…。でも、豪ちゃんも聞かないから…はぁ~…、また…落ち着いたら、遊んでやってよ…。」
哲郎の母親はそう言うと、呆然とする俺の肩を叩いて言った。
「あの子は…気に入った人が気になって仕方がないんだ。今までも、偏屈なじいさんと一緒に山に入ったりして…散々、こうやって怒られ続けてる…。あの子にはあの子の理由があるんだろうけど、あたしや健ちゃんは…心配で、心配で…仕方がない。」
「えぇ…そうですね…」
どちらの気持ちも分かる俺は…そう言うしかなかった…
いつ、死ぬのかも分からない俺から離れたくない豪ちゃんと…その、豪ちゃんの理解不能な行動に翻弄される、周りの人々…
どうしてそうするのか話したら、あの子は少しでも、理解されるんだろうか…
どうして山に入ったのか…
どうして付いて回ったのか…
どうして話し相手になってあげたり…こうして、危険な思いをしてまでも…会いに来たのか…
理由が分かれば、理解して貰えるんだろうか…
ただの…“変わった子”なんかじゃない。
優しくて…どうにかして“死”から守ろうと、自己犠牲を払っている…そんなあの子の本当の姿を、分かって貰えるのだろうか…
残酷だ…
「この木は切らにゃダメだな…大きすぎて運べない。どれ…雨戸のベニヤを剥がしていくか…」
哲郎の親父はそう言うと、ポケットに突っ込んだ金づちと哲郎が肩に乗せた脚立を手に取って、徹の実家の雨戸に立て付けたベニヤ板を剥がし始めた…
…豪ちゃん可哀想に…
まるで…理解者の居ない、孤軍奮闘する天使の様だ。
胸の奥が締め付けられて途方に暮れていると、哲郎が俺の傍に来て言った。
「豪ちゃん…お父さんに、捨てられたんだ。3歳のころ…山に置いてこられた。健ちゃんがすぐに気が付いて、探し回って…やっと見つけた時、豪ちゃんは木に縛り付けられていたって…」
「え…?」
ジリジリと体を照り付け始める太陽を浴びながら、呆然と立ち尽くす俺に、哲郎は続けて言った。
「…大人が話してるのを聞いて、知った。豪ちゃんのお父さんは、豪ちゃんの事を悪魔って言って…近付こうとしなかった。みんな、奥さんを亡くした悲しさが豪ちゃんのお父さんをおかしくしちゃったんだって…思ってた。奥さんと入れ違う様に…この世に生まれた豪ちゃんの事を、憎んじゃったんだって…」
可哀想に…
ただ、蒸発しただけじゃない。
あの子の親父は…あの子に傷を付けて、いなくなったのか…
「そんな訳ない…豪が、悪魔な訳ない…」
涙を堪えてそう言うと、ぐっと喉の奥を絞めて、奥歯を噛みしめながら宙を睨みつけた。
そんな俺を見つめると、哲郎はため息を吐いて弱々しく震える声で言った。
「…大岩のばあちゃんが井戸に落ちて死んだ時…すぐ傍に、豪ちゃんがいた。マタギの爺さんに撃たれた…偏屈なじいさんが死んだ時も…それ以外にも、豪ちゃんが声をかけた大学生が…その後、湖で溺れて死んだり…」
「哲郎!やめろよっ!お前も、そんな風に…あの子を見てるのか!」
哲郎を睨みつけてそう言うと、あいつは苦々しい表情をして…目にいっぱいの涙を溜めながら言った。
「違う!!ただ…豪ちゃんのお父さんは、豪ちゃんが殺したんだって言って…。亡くなった豪ちゃんのお母さんも、殺されたんだって言って…。健ちゃんの目の前で…豪ちゃんを…」
「哲!止めろっ!そんな話、すんじゃねえ!手伝え!このバカ息子っ!」
哲郎の親父はそう言って話を遮ると、俺を横目に見て、ため息を吐いた。
「聞かなかった事にしてくれ…あの子の思い出したくない過去だ…」
涙を拭った哲郎が親父の手伝いを始めると、あいつが言えなかった先の言葉を予測して…絶句する。
…殺そうとしたんだ。
死に行く人が分かるが故に…
傍に居たが故に…
そんな誤解を受けて、悪魔だなんて親に言われて殺されかけた…
「あぁ…可哀想に…」
両手で顔を抑えると、止まらない慟哭を体の中に押し込めながら、フルフルと震えて膝から崩れ落ちて行く…
どうして、あの子がそんな目に遭わなくてはいけないのか…
何をしたって言うんだ…
ただ、人を助けようと…しただけなのに。
どうして…
どうして…?分からない…
残酷だ…
地面に突っ伏した俺の傍に来ると、哲郎は鼻を啜って、何も言わずに、ただ、俺の背中を何度も叩いた。
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