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#27_01
「惺山?もう9時だよ?ご飯を食べて、お風呂に入って、寝るよ?」
そう言いながら風呂上がりのあの子が俺の目の前にやって来ると、俺の顔を覗き込んで悲しそうに眉を下げた。
そして…俺の頬を優しく拭って言った。
「…泣かなくて、良いの…」
優しく抱きしめられながら、あの子の胸の中で…おんおんと声をあげて泣いた…
何の為に産まれて…何をして生きるのか…答えられない。
縛られる為に産まれて来た訳じゃないのに…雁字搦めになった世の中で生きて行くには、縛りの中を進んで行かなければいけない…
どМだ…
どМの集まりなんだ…!
「豪ちゃん…生きるのって…無意味でしんどいね…」
そう言ってあの子の胸に顔を埋めると、豪ちゃんは俺の髪を優しく撫でながら言った。
「…無意味って言うのは、ちょっと違う。…あなたは言った。木を見て森を見ずって…。その逆で…森を見てあまりに壮大過ぎて怖くなったら、視界を狭くして、木だけを見れば良いんだ。」
豪ちゃんはそう言いながら俺の襟足に指を絡めて、何度も優しいキスを髪に落としてくれた。
「…命について考えすぎると、僕も、同じ様に絶望する事がある。でも、あなたに恋して…主観に飲み込まれてから、あなたの周りの事しか考えなくなった。それは、僕にとったら、とても新鮮だった。…あなたの笑顔と、あなたの喜ぶ姿だけ、気にして過ごす時間が、とても楽しいんだ…」
哲学者の様に語る豪ちゃんは、黙ってあの子の話を聞く俺の頬を優しく撫でて、顔を覗き込みながら言った。
「どうして産まれて来たのか…何をして生きていくのか…そんな物、愛する人を前にしたら、どうでも良くなる…。ただ、その人だけ、幸せで、笑顔で過ごせる様に…それだけを願って、それだけに注力する。そして、嬉しそうに微笑む笑顔を見て、胸の奥を熱くしながら、良かった…と思うんだ。そんな時に、僕は、産まれて来て良かった…と、何度も思った。そして、あなたに会えて良かったって…何度も思った。」
「豪ちゃん…」
胸が詰まった…
この子の言う通りだ…。
永遠に答えの出ない問いに絶望するよりも、目の前の…愛する人を抱きしめた方が、俺は産まれて来た喜びを感じる事が出来る。
だとしたら、森なんて見渡す必要なんてない…木だけを見たって良いんだ…
だって…人は幸せになる為に、産まれて来たんだからね。
「惺山、生きる事はしんどくない…。もし、今しんどいと思うのなら、主観に溺れる事をお勧めするよ。特に、僕なんか…あなたの主観を満たすには十分だと思うけど、どうかな…?」
「ふふ…!まぁったく!」
やけに賢ぶって話す調子に思わず吹き出して笑うと、お茶目な哲学者の豪ちゃんを強く抱きしめながら瞳を閉じた。
不思議と、安心するんだ…
それは、初めて出会った時から…変わらない。
まるで、俺の居場所がこの子の傍だとでも言う様に…心の底から、安心する。
「さぁ、ピアノは一旦終わって…ご飯を食べて?」
豪ちゃんは、俺のお世話を怠る様な事はしない。
俺の顔を持ち上げて、涙に濡れた頬を着ているTシャツの裾で拭ってくれた。
「ほい…」
従順にそう返事をした俺は、ヨロヨロと立ち上がって書き溜めた五線譜の一番初めのページに“#2”と、ナンバリングをした。
豪ちゃんの心の中を情景にしたら…壮大な命の矛盾を見て…生きる事に絶望した。でも、お茶目な哲学者のお陰で、そんな絶望を俯瞰して見る事が出来た。
主観にまみれる事も、悪い事ばかりじゃない…と、豪博士は“主観”についての見解と、着地点を見つけた様だ。
「ほらぁ…こっちにおいで?」
ぼんやりとしたままの俺の手を握って、豪ちゃんが居間へと引っ張って連れて行く。
そんなあの子の柔らかい髪を見つめながら、さっき作ったばかりの第二楽章の中を、道化になって進むあの子を思い出して、唇を噛み締めた。
…第三楽章で、君は道化から…素晴らしい表現者に変わるんだ。
苦しめられた”他とは違う“事が…君の強みになる…
持て余して振り回された”感受性”が、君の取柄になる様な…誰にも行けない高みへ向かいなさい。
「惺山?…30も過ぎて、上手く行かないからって大泣きするなんて…ダサいぞ!」
居間でテレビを見ながら健太は眉を上げて、そう言った。
「俺なんて、まだ18歳なのに、いっぱしに怒られて、頭下げて、給料もらってんだぞ?ビービー泣いたってダメなんだ!嫌な事があった時はな、どんぶり飯を黙々と食って…寝るんだ!」
あぁ…ふふ。これは、健太なりの慰め方なのか…
意外と優しいじゃないか…!
「ほい…」
ポツリとそう言うと、あいつの対角線上に胡坐をかいて座って、隣に座った豪ちゃんを見て言った。
「健太、優しい…」
「僕の…兄ちゃんだもん。めちゃくちゃ優しいよ?」
あの子は満面の笑顔でそう言うと、ハンバーグを小さく切って、俺の口に運んで言った。
「はい…あ~んして?」
「あ~ん…モグモグ…美味しい。」
それは、冗談でも、お世辞でもなく…とっても美味しいハンバーグだった。
「ほんと?良かったぁ!」
嬉しそうに頬を赤く染めて、豪ちゃんは体を揺らした。すると、健太はお腹を撫でながら得意げに俺に言った。
「俺は3つも食べた…」
それは、食い過ぎだ…
「はい、もっと食べて?あ~んして?」
豪ちゃんは俺の口にハンバーグをどんどん運んでは、美味しいと言って甘ったれる俺を見て、嬉しそうに目じりを下げた。
これが…この子の幸せ。
そして、この子の笑顔を見る事が…俺の幸せ。
ただ、目の前のこの子が笑顔になれば…それだけで良いんだ。
「美味しい~!」
デレデレに甘ったれる俺を横目に睨んだ健太が、渇いた笑いをして言った。
「なぁにが、おいちい~!だよ…まぁったく!」
「お米も食べないと、馬鹿になっちゃうからね?」
豪ちゃんは健太を見てないの?米を食べ過ぎても馬鹿になるみたいだよ…?
そんな事、思っても言わないさ。
瞳を細めて嬉しそうに俺を見つめて、口元に米を運んで来る豪ちゃんは、優しい声で俺に言った。
「はい、あ~んして?」
「あ~ん!」
…ふたりの間では、これが幸せなんだ…
美味しいハンバーグを食べ終わってごちそう様を済ませた後は、豪ちゃんに急き立てられながら風呂に入った…
そして、台所でお水を一杯飲むと、暗い部屋の中…テレビを眺める健太に言った。
「お休み…疲れた、もう寝る…」
「なあ…あの話だけど、いつなら、その…話せる…?」
あの話…
それは、豪ちゃんの、将来の話…
ひとりで向き合うには重い内容の話を、俺も同席してあの子に話すと約束したんだ。
健太は俺を見つめたままため息を鼻から出して、俺の返答を待っている様子だ。
「…あの子の友達はどうするの…?離れて暮らす事を真剣に考えてみたの…?お前は、どこまでだったら耐えられるの…?」
健太を見つめてそう聞いてみた。
だって、こんなに豪ちゃんにベタベタなんだ。あの子が自分の傍を離れて行くなんて、考えただけでも、寂しい筈だ。
健太はそんな俺の問いかけに肩をすくめて、視線を逸らして言った。
「…中学を卒業したら、哲郎は親父さんの下について働き始める。晋作は店を手伝うし、大吉と清助は私立の高校にバスで通う事になる。豪は…余裕が無いから、私立の高校なんて行かせられない。公立の高校は町にしかない。どのみち…バラバラになるんだ。」
そう言って項垂れた健太は、俺を見上げて言った。
「中学を卒業したら…俺は豪と離れて暮らしても、構わないって思ってる。」
「そうか…」
そう言って顔を伏せると、じっと押し黙って健太を見つめた。
…そうか…
お前は、豪ちゃんの未来の為に、自分の寂しさを受け入れる覚悟をしたのか…
「…先生って人の所へ行く事を豪が望むなら、俺は止めない。」
俺を見つめてそう言った健太は、スクッと立ち上がってテレビを消した。そして、暗い部屋の中…自分の寝床へ、とっとと行ってしまった。
先生に…豪ちゃんを…預ける。
それはあの子にとって…良い事なのか、分からない。
寝室の扉を開いて、いつもの様につっかえ棒を掛けると、あの子の隣に寝転がって、可愛い寝顔を覗き込んだ。
やっぱり…この、おでこから…鼻。鼻から唇…顎にかけてのラインは、最高に黄金比だ。
そんな事を考えながら豪ちゃんの寝顔を指で撫でて、自然と下がって来る眉をそのままにしてあの子に聞いた…
「豪…先生の所に行くか…?」
寝ぼけているのか、あの子はクスクス笑うと、俺の胸に顔を擦り付けて言った。
「惺山の所に…行く。」
ふふ…
「馬鹿だな…俺からは、離れないと駄目なんだろ…」
そう言ってあの子のおでこを撫でると、豪ちゃんはまん丸の瞳で俺を見つめて言った。
「…離れたくない。」
「ふふ、起きてたの…?夜更かしだね?」
クスクス笑う俺に抱き付いた豪ちゃんは、俺の体に覆い被さると、そのまま跨って俺を見下ろしながら言った。
「腰をトントンしてあげる…」
あぁ…豪ちゃんは優しいね。
でも、これじゃあ…腰じゃなくて…腹をトントンされる…
そして、俺はさっきハンバーグを食べたばかりだ。
その後の事は…言わずもがなだ。
「じゃあ…ちょっと退いてよ、うつ伏せになるから…」
そう言って寝返りを打とうとすると、あの子は真顔のまま俺の胸を撫でて言った。
「惺山先生…僕はあなたの為に、あなたを喜ばせたくて、バイオリンを弾きました。そんな僕は、あなた以外の人にバイオリンを聴かせる事に意義を感じない。でも…昨日、仰ったでしょう?バイオリンを止めるな、と…。あなたがそう言うなら、僕はバイオリンを弾く事を止めません。あなたが言うなら、先生の元に行く事も構わない。」
…あぁ、健太との会話を…聞いていたのか…
やけにかしこまった話し方をした豪ちゃんは、まん丸の瞳で俺を見下ろしたまま、俺の答えを待っていた。
「豪ちゃん…自分の事だろ?そんな風に言うなよ。俺には決められないよ…」
胸に置かれたあの子の手を掴んで自分に引き寄せて、ゆらゆらと揺れながら抱きしめて言った。
「可愛い豪ちゃん…俺には君の未来を決める権利はない。君が、自由に決めて良いんだ。」
「…これは僕の意思だ。僕はあなたに決めて欲しい…。あなたの為に生きたいから…あなたが決めて。」
豪ちゃんは俺の頭を抱える様に両手で包み込んで、優しくて、甘いキスをくれた…。そして、俺の髪をかき上げて優しく微笑みながら、小さくて穏やかな、撫でる様な声で言った。
「僕はあなた…。だから、あなたが決めて。僕はその意志にあなたの愛を感じて…どんな未来になっても、幸せなままでいられるでしょう。だから、あなたに決めて欲しい…。」
あぁ…もう…!
それは…重大な決断じゃないか!
「ふふ…分かったよ。考えておく…」
この子が頑固者なのは周知の事実。
豪ちゃんの人生をかける様な重大な選択を拒絶した所で、こんな事を言い始めた時点で、既に、この子の中では俺に決めさせるって…決まってるんだ。
ため息を吐きながらそう言った俺の言葉に満足したのか…豪ちゃんはにっこりと俺を見下ろして微笑んだ。そんな可愛い豪ちゃんを両手に抱きしめながら、首を傾げて聞いた。
「…腰、トントンしないの?」
「…しない。」
なぁんだよ…!
「嘘つき豪め!こうしてやる!こうしてやる!」
鉄拳制裁だぁ!
豪ちゃんをギュッと抱きしめたまま寝返りを打って、脇の下を高速でコチョコチョしてやった!
「んふ~!!ふっはっはっは!だめぇ~ん!あ~はっはっは!」
そう言ってゲラゲラ笑うあの子の笑顔を見下ろして一緒になってゲラゲラ笑うと、寝室の引き戸に…ドスンと物凄い衝撃が走った。
「…うるっせいよ?」
そんな健太のドスの聴いた声にクスクス笑って、あの子を腕枕しながら抱きしめて言った。
「豪ちゃん…おやすみ…」
「惺山、もっと、強く抱きしめて…」
ふふ…可愛い…
「潰れちゃうよ…」
そんな俺の言葉に唸り声をあげた豪ちゃんは、俺の体に顔を埋めて言った。
「良いの…良いの…惺山は、良いの…!」
あぁ…この子の、この言葉が大好き。
俺は、良いんだよね…
「可愛い…。じゃあ…豪ちゃん、俺の相手をしてよ…」
そう言って腕の中のあの子を覗き込むと、俺を見上げるあの子ににっこりと微笑んで言った。
「毎日、抱きたいんだよ…」
「良いよ…」
にっこりと微笑んだ豪ちゃんは、我慢でもしていたのか…俺にトロける様なキスをくれる。
それは舌の絡むような…いやらしい音が出る様な、大人のキスだ。
「あぁ…可愛い…!」
豪ちゃんの細い腰からプニプニのお腹の上に手を滑らせて、いやらしくあの子の体を撫でながら、ブカブカのTシャツの中に手を滑り込ませる。
「綺麗な体をしてるね…」
「えぇ…?!」
頬を真っ赤に染めた豪ちゃんは、もじもじしながら俺を上目遣いで見て言った…
「…僕は、惺山の体の方が…好き。」
はぁぁぁぁぁぁぁああああ!!クレッシェンドだ!
「ん…ふふ、可愛い事を言うね…」
そう言って豪ちゃんに覆い被さって、大きなTシャツを捲り上げながらあの子の素肌にキスしていく。
プニプニのお腹も…細い脇腹も、可愛い胸に乗った…程よい大きさの乳首も…
全部、可愛い…
順番に舌で舐めて何度もキスをあげて、大好きだ…と、思いを込めながら愛でて行く。すると、豪ちゃんが俺の髪を撫でながら、声を震わせて言った。
「惺山…僕から、離れて行かないで…!」
本音だな…
「馬鹿だな…離れる訳無いだろ…」
クスクス笑って、悲しそうに眉を下げるあの子にキスをしながら、大事に大事に髪を撫でて、両手で抱きしめて言った。
「ずっと、傍に居るよ…」
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