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#29_01

気を取り直してピアノに向き合った俺は、ピアノの上に置いた携帯電話で、豪ちゃんの演奏した音源を流して聴いた。それを頭の中で他の楽器と合わせながらピアノに落として、五線譜に書き写して行った… 「さて…この材料をどのように生かしていこうか…」 まず、豪ちゃんの手によって編曲された”きらきら星“の五線譜を候補から外した。 「…これはダメだ。既にある。」 残った五線譜の上のメロディを、頭の中で再構築してピアノで弾きながら耳で確認していく。 「この…4分の3拍子のマズルカに、この主題をくっつけて…メロウに揺さぶりながら、4分の2拍子タンゴへと移行させて…再び、4分の3拍子に戻してみるのも…悪くない。」 うん…悪くない。 むしろ、良い。 「そうしてみるか…」 ピピピピ…ピピピピ… 携帯のアラームが鳴った。これは…お昼ご飯タイムだ。 すぐにピアノの椅子を立って台所へ向かった。 そして、あの子が準備してくれていた弁当を片手にピアノの部屋に戻って、椅子に腰かけたままぼんやりと頭の中でリズムを刻んで、美味しい三色そぼろご飯を食べる。 小松菜のおかか炒めが緑なら…卵が黄色…そして、鶏肉のそぼろが…茶色。 どれ一つ欠けても…この充実感と、旨さは、再現出来ないな… 「これは主婦歴20年のベテランの味だ…」 ポツリとそう呟いて、空になったお弁当を椅子の下に置きながら横着くピアノを弾き始める。 第三楽章…マズルカに乗せて怪しげな舞踏会場を演出した。あの子の主題を所々に挟んで、道化をやめたあの子に、仮面を付けさせて上等な服を着せた。 そして、俺への愛の言葉を呟かせてみようか… 「あぁ…男爵様、僕にはあなたしか見えない…!」 俺は、しなやかに伸びるあの子の胸と足を見つめながら、細くて壊れてしまいそうな腰を抱いて、あの子のトロけた瞳を見つめてイケボで言った。 「だったらぁ、私だけを見ていれば良いじゃないかぁぃ…!」 背景には…低い満月… 空には…キラキラと瞬く小さな星たち… そして、向かい合って見つめ合う…俺と、豪ちゃん。 「でも…僕は、ただの…道化。あなたには相応しくない…あなたを喜ばせる、何一つも出来ないのだから…」 そう言って悲しげに瞳を伏せる豪ちゃんの顎をクイッ!とした俺は、キメ顔をしながら言うんだ… 「これを君へ…。君はこれで、私を楽しませてくれたら良い…」 男爵の俺は、バイオリンを4次元から錬金して取り出して、豪ちゃんに差し出した。そして、輝く白いキラキラの歯を見せて、微笑んだ。 「わぁ…!大きなカブトムシ!僕に、これが弾けるか分からないけど…あなたが好きだから、とりあえずやってみるわぁ。」 おっと、いけない… 豪ちゃんが急にラフな物言いになったのは、俺の集中力が雨の音に負けて切れたせいだ。 あの子はそう言うと、主題を幾つにも変形させながら、不安定なメロディを軽やかで、繊細なメロディへと昇華させていく…ここは、所謂…ビルドアップだな。 「…おぉっ!なんて素晴らしい演奏をするんだ!」 そう言って驚く俺にあの子はトロける様な揺れる旋律で、誘う様に言った。 「僕が欲しいのは…あなた。」 その言葉を皮切りに、メロウなマズルカから…情熱的なタンゴへ… 初めはタンゴの特徴的なリズムを抑えて控えめに…バイオリンの音色だけで…掠れるようなタンゴを聴かせよう。 「あぁ…良い。スムーズにタンゴへと切り替わって行く…!」 思った以上にしっくりと来た調子に頬を上げて喜んで、目の前に映るシチュエーションを彩って行く様に、ピアノを弾いては、音符を五線譜に書き込んでいく… 燃え盛る情熱的なタンゴをフェードアウトさせる様に、バイオリンの音色だけを残してリズムを抑えていくと、いつの間にか再び4分の3拍子のマズルカへと戻って行くんだ。 良いぞ…見事だ…! 惺山、ブラボーー! マズルカの特徴的なリズムを強調させて、まるで開花したあの子の才能が乱舞する様に、なだれ込むような怒涛のカノンを主題のメロディで繰り広げて、フィナーレを飾って行く… 目の中に映るあの子は…まさしく、バイオリンを首に挟んで、俺を見つめて…満面の笑顔で凛々しく言うんだ… 「行こう!惺山!」 「ふふ…」 どうしてだろう…口元は笑ってるのに、涙が、溢れて止まらないよ… 君のその掛け声と共に、一緒に情景の中に行く瞬間が…堪らなく好きだよ。 俺を未知の領域へと連れて行ってくれる…感性の子。 君が無限の想像力で繰り出す、美しい様々な情景を…手を繋いで、泳いで、一緒に旋律を奏でて彩る時が…最高に好きなんだよ、豪ちゃん。 「あっ…あぁ…」 極まった感情が嗚咽と一緒に口から漏れて、支えきれなくなった体がピアノに沈んで行く…。不協和音を出す鍵盤を見つめながら…涙を幾つも落とした。 まさに… まさに…! あの子の第三楽章が…出来た。 震える体を起こして、ピアノの上に散らばった楽譜を集めて、一番初めのページに“#3”とナンバリングをうった。そして、そのまま胸の中に抱きしめる… 宝物が出来た… この、第三楽章は、俺の宝物だ。 あの子と一緒に演奏する無限の情景を、この曲の中に閉じ込める事が出来た。 「ふふ…豪ちゃん、君は…音楽の神様に愛されてる…」 誰にも行けない領域に、あの子は簡単に行ける。 そして、その影響を…周りに伝染させて伝えるんだ。 まるで、宣教師の様だ… いいや、違う。 まるで、吟遊詩人の様だ… 行った先々で、出会った人々に…音楽の楽しさと、素晴らしさを…無限の想像力を使って、広めて、伝えるんだ。 俺に伝えて、感化させた様に… ブルル… ピアノの上で携帯電話が鳴っている… …きっと、先生だ。 胸に抱きしめた楽譜の束をがら空きの本棚に置いて、ピアノの上で震える携帯電話を手に取った。 「…もしもし。」 「…豪ちゃんに、会いに来たよ。」 来た… 携帯電話を耳に当てたまま、ぼんやりと視線を動かして窓の外を眺める。 いつの間にか止んだ雨は、明るくなった庭にキラキラと光る草を残して行った… 「すぐ…行きます。」 そう言って電話を切ると、上着を片手にピアノの部屋を出た。そして、未だ興奮に震える自分の胸を落ち着かせると、安全第一で車を出した。

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