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#31_01
「あぁ…先生、パンツを忘れてった。」
豪ちゃんはそう言いながら雨戸を閉めた。すると、テレビを見ながらいびきをかいて寝ていた健太が、ムクリと体を起こして言った。
「豪…布団敷いて!風呂は明日にする…!」
「ん、もう…!布団が臭くなる!」
豪ちゃんは健太を見下ろして、無擦れた顔であいつにそう言った。そして、ハンガーから外した先生のパンツを腕に掛けた。
「…なぁんだ!また、匂いの話をするのか?!」
寝ぼけながら怒った健太は、豪ちゃんをむんずと掴んで自分に引き寄せた。そして、そのままあの子を押し倒すと、体の上に覆い被さって言った。
「どうだ!兄ちゃんは臭いかぁ!」
「ん…や、やぁだぁん…!ん、もう…!離してぇん!んん…や、やぁん!」
両手で突っぱねる豪ちゃんをいともたやすくねじ伏せた健太は、あの子のTシャツを捲り上げて、自分の体を擦り付けながら言った。
「兄ちゃんの匂いは良い匂いだろ?ん?豪!どうだぁ?」
「やぁん!だぁめぇん!はぁはぁ…兄ちゃ…ん、もう…だめぇん!」
「なぁにがダメなんだぁ!兄ちゃんは本気だぞ?!」
いきり立った健太は、自分のTシャツを脱ぎ捨てて、豪ちゃんの素肌に抱き付いて言った。
「はは!どうだぁ!どうだぁ!」
ギリギリ…じゃないな。これは…アウトの兄弟だ…
だって…普通の兄弟はこんな事しない。
目の前で、まるで健太にレイプされているかのような豪ちゃんを見下ろして、ため息を吐きながら言った。
「ほら…俺が敷いて来てやろう…」
「なぁんだ、豪はおっぱいがあるじゃないか!女性ホルモンが強いから、女になって来たんだ!どれ、兄ちゃんに触らせろっ!」
「やぁあああ…!」
あぁ…
本格的に、レイプまがいになって来た。
風呂場の前に健太の布団を敷いて、あいつがいつもしている様に、綺麗にシーツを整えた。そして、威嚇する様な大声を上げて居間へと戻って行く。
「ほら!寝床が出来たぞ!」
「ほほ~~い!」
嬉々として布団へ掛けて行くあいつの後ろから、半裸にされた豪ちゃんが俺に飛びついて言った。
「あぁあん!惺山!兄ちゃんなんて、大っ嫌いだぁ!ん、もう…!ご飯作ってやんないからぁ!熟女好きの…ブス専!」
「なぁんだとぉ!」
あぁ…キリがない…
これ以上やっても無意味なのに…
呆れた俺は、問答無用で豪ちゃんを寝室に放り込んでパタリと扉を閉めた。そして、襖の前に仁王立ちして健太に言った。
「もう、止めなさい…早く寝て…」
「ふん!」
この血の気の多い…兄弟の喧嘩は、どちらの遺伝子も退かないから…キリがない。
俺が居なかったら完全に豪ちゃんが完敗の勝負でも、盾になる俺が居るせいか…あの子は、俺の背中に隠れて言いたい放題言う…そして、健太はすぐに力でねじ伏せようとする…
「はぁ…」
ため息を吐いて寝室に入ると、怒った顔のままのあの子を布団に寝かせて、隣に横になった。そして、眉間にしわの寄ったあの子の顔を覗き込んで言った。
「…おやすみ、豪ちゃん…」
…しかし、何度、まん丸の瞳の瞼を手で撫で下ろしても、その度にパチッと目を見開いては、あの子は宙を睨み続けた。
しばらくそんな攻防を繰り広げると、あの子は俺をジロリと見て言った。
「…今日、何があったの…?死にかけたって…言ってたでしょ?」
あぁ…
最悪のタイミングで、最悪の機嫌の悪さの時に…あの話をするのか…
何でもない。なんて…言ったら、逆上させるだけだと分かってる。
だから、正直に言うよ…
「…今日、ゆめとぴあに行く途中、君の声が聴こえた。止まってって言うから…車を路肩に停めたんだ。そうしたら…目の前を大きな落石が通り過ぎて行った…。」
あの子を見つめながらそう言うと、豪ちゃんは、上がっていた眉毛をみるみる下げて、瞳を歪めた。
「まだなんだ…もう少しなんだ…だから、もう少し…」
震える唇が何かを言う前にそう言った。そして、ガクガクと震えて泣き始める豪ちゃんを抱きしめて、何度も頭を撫でて言った。
「大丈夫…大丈夫…怖くない…」
「うっうう…うう…惺山…!怖い…怖いよ…あなたを失う事が、怖い…!」
豪ちゃんはしがみ付く様に俺の背中を抱きしめた。そんなあの子を抱きしめ返して、胸の中をあの子の涙と泣き声で熱くしていく…
もう少しなんだ…
あと、もう少しだけ…傍に居たいんだ。
まだ、帰りたくないんだ…
「…どうしたら、良いの…」
俺の胸を撫でて、涙でボロボロになったあの子がそう呟くから、俺はあの子の髪にキスして言った。
「傍に居て…」
第四楽章は、この子の…未来のお話…俺の希望と、俺の望みを詰め込んで…君に届けるんだ。
こうなって欲しい…こう居て欲しい…
そんな自分勝手な思いを、まるで遺言の様に綴るんだ。
君が自分をどうしたいのか迷うから…君が俺に判断を求めるから…いつでも答えが聴ける様に…曲に残してあげる。
泣き疲れたあの子が胸の中で寝息を立てる頃、両手に抱いた重みと暖かさを感じて、涙をホロリと落としながら、瞳を閉じた。
いつか…俺の体の周りからモヤモヤが消える時が来たら、指揮する俺の隣に立って、俺の作った曲を弾いてくれるだろうか…
再び、こうして…寄り添い合う事が出来るのだろうか…
拭えない不安を抱えたまま…ただ、信じる事で…生き抜いていくしかないんだ。
ふと、月を蹴飛ばしたペガサスを思い出して口元を緩めると、柔らかい髪に顔を埋めて眠りについた。
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