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#32_01
「豪ちゃん…月が綺麗だね…?豪ちゃん、焼き芋を焼いてよ…。豪ちゃん…タケノコを焼いたやつが食べたい…。豪ちゃん…」
「ん、もう…まだあるの?」
健太が風呂に入った後、俺は豪ちゃんに膝枕をして貰いながら縁側に寝転がった。そして、あの子の弾力のある太ももをモミモミしながら、甘ったれてるんだ…
「豪ちゃん…鶏が、喧嘩をしそうで心配なんだ…」
「ねえ、どんな夢を見たの…?」
俺の髪を撫でた豪ちゃんは、月を見上げてそう聞いて来た。
口にも出したくないよ…あんな、怖い思い…
君には…教えたくないんだ。
「…野良犬に追いかけられて、お尻を噛みつかれた夢…」
ポツリと俺がそう言うと、あの子は俺の髪を撫でながらクスクス笑って言った。
「ふふ…!あっふふ…全く、嘘つき!」
そう…嘘だよ。
「あ~~!あっつい!あっつい!」
風呂から上がった健太が、顔を真っ赤にしながら縁側に腰かけた。そして、俺の長い足を蹴飛ばして乱暴に言った。
「邪魔だよ!デカいんだから、自重して、膝を曲げて寝転がれよっ!」
酷い…
言われた通り…膝を曲げた俺は、豪ちゃんの温かい膝枕の上で、あの子の温もりに包まれながら大きな月を見上げて言った。
「…第三楽章の一節を…君に演奏して欲しいんだ。なに、簡単なメロディだ。明日、楽譜を渡すから…音をとらせてよ。」
そんな俺の言葉に、身を屈めて俺を覗き込んだ豪ちゃんは、鼻歌を歌って首を傾げた。
「…ここの部分?」
あぁ…ふふ…おっかしいね…
「そうだよ…そのメロディだ。どうして分かったの…?」
そんな愚問をあの子にぶつけると、豪ちゃんは俺の頬を撫でて言った。
「…分かるんだ。あなたの事なら、何でも分かる。」
俺を見つめるあの子の瞳の奥が、まるで凪の湖面の様に…静かで…力強い…
きっと…本当にそうなんだ。
この子には、俺の全てが分かる。
きっと…痛い目を見て、心を入れ替えた俺の事も…分かっているんだ。
健太に文句を言われながらも、俺と豪ちゃんは仲良くお風呂に入った。
今日は何の悪戯もしないで体を洗いっこして、一緒に湯船に入って、恒例になりつつあるクイズをしながらお湯の中で温まった。
「じゃあ…凄く強いのは…?」
豪ちゃんに、フォルテッシモを正解させてあげたい。そんな一心で、そう聞いた。すると、あの子は首を傾げて唸り声をあげた。
「ん~~…多分、ピアニッシモ!シモが付くもんね?当たりでしょ?」
…逆だ…ことごとく、逆なんだ…
満面の笑顔で俺を見つめる豪ちゃんに、首を横に振りながらクスクス笑った。
「フォルテッシモだよ…昨日言ってただろ?フォルテッシモ、フォルテッシモ!って…。ぷぷっ!ずっと言ってたじゃないか…!くっくくく!」
馬鹿になんてしてないさ。
ただ、昨日あれだけしつこく言ってたくせに、まんまと逆の意味の”ピアニッシモ“を言った来たから…面白くって…笑っただけだ。
「ん~~!惺山の意地悪!笑わないで!」
豪ちゃんは顔を真っ赤にして怒って、俺の頭の上から手桶に入れたお湯を掛けた。
「…じゃあ!惺山さんにクイズです!先生の髭は何色でしょうか?」
なんだと?!
「そんなに近くで見た事が無いから…分からないな…」
得意気に俺を煽って見る豪ちゃんの頬を撫でてそう言った。
実際そうだ。
先生の髭なんて…見たくもない。
豪ちゃんは、そんな俺をすまし顔で見つめながら、問答無用とでも言う様に、指で秒針を真似してリミットを刻み始めた。
何色…?それって、どういう事だ…
ひっかけ問題か…?
「…お、お花畑の色…」
「あ~はっはっはっは!!」
俺の答えに大声で笑った豪ちゃんは、湯船のお湯をバシャバシャと両手で掻いて俺に掛けながら言った。
「はっずれ~~!白だったよ?真っ白だった!きっと…栄養が顎に行って無いんだぁ…可哀想…」
ぷぷっ!
豪ちゃんは本気でそう思ってる…
そんなあの子を見つめて口元をニヤけさせた俺は、ふざけて言った。
「…お漏らしするし、大変だね。」
「うん…でも、気にしてないみたいだったから、良かった。」
ぷぷ~~!
「ははっ!そうだね…気にした方が良いと思うけど、全く、気にしてなかったね…?ボケて来てるのかもしれない…」
豪ちゃんは怒った様に口を尖らせて、先生の悪口を言う俺の胸を叩いた。そんなあの子が可愛くて、唇をチョンと触って瞳を細めて言った。
「豪…あの人は凄い人だよ。色々勉強するんだよ…。君ならきっと大丈夫。俺が付いてるからね…」
「惺山…!」
俺の体に抱き付いて来る豪ちゃんを抱きしめて、温まったあの子の背中を何度も撫でながら、言い聞かせる様に耳元で言った。
「きっと君は凄い演奏家になる…。俺の目は間違ってない…。世界中があっと驚く様な演奏をして…みんなに音楽の楽しさを伝える。そんな…唯一無二の存在になるんだ…。」
そう…そうなって欲しいんだ…
ふと、ピアノの先生に怒られ続けた最悪の日々が、目の裏に浮かんで…消えた。
耳に聴こえる音色を再現しているだけなのに、要らない音を踏んでは頭ごなしに怒られ続けた。そんな子供の頃の記憶だ…
誰にも理解されずに…怪訝な目を向けられて、ボロクソに罵られる。
ひねくれた気持ちを抱えたまま大人になって、いつか…見返してやると、歯を食いしばって…自分の短所を長所に変えられる作曲家を目指して、自分の音楽を作り続けた。
俺の様に…人とは違う事に苦労している人はきっと沢山いる。
君は…そんな人たちの、いわば代表だ。
ぶち壊してやれ。
杓子定規なクソッタレな規格なんて鼻で笑って…
見せつけてやれ。
これが、本当の音色だって…
練習なんかじゃ手に入らない本物を、持て余す想像力を、飛びぬけたセンスを、見せつけて恵んでやれ…
到底追いつけない高みを見上げて、必死に練習を続ける馬鹿どもに。
君の存在は…マイノリティの宣戦布告だ。
規格内に収まった、創造という名の元の嘘っぱちを…主観にまみれたありふれた偽物を、ボロボロにしてやろうぜ…
君は俺の夢。俺の希望。俺の全て。
「…そんなに期待しないで。僕は…あなたの為だけに生きるんだから…」
豪ちゃんはクスクス笑いながら、俺の襟足を指に絡めてクッタリと頬を俺の肩に乗せた。
…この子の言葉は、真実だろう。
あんなに躊躇なく自分の首を切ってしまえる程に、この子は…俺の為だけに生きているんだ。
あれは、夢じゃない…なりうる未来の話だよ。
可能性のひとつ、最悪の結果の…バッドエンドだ。
だからこそ…言わせてくれ…
「俺の望みなんだ…叶えてよ。豪。俺を愛してるなら、叶えてよ。」
偉そうにふんぞり返った、創造の欠片もない、規格内の奴らを…ぶちのめしてよ。
そして、誰でも楽しめる…そんな、音楽の自由を手に入れてよ。
言葉に力を込める様に、俺は豪ちゃんの瞳の奥を見つめて、そう懇願した。すると、あの子は、クスリと微笑んで頷いて答えた…
「…やってみるよ。」
君がそう言ったその言葉の強さを、俺は知ってるよ。
一度決めた事は曲げない…そんな頑固者だからね…
「よし…よく言った…」
そう言ってあの子を抱きしめると、自分の肩に頬を乗せるあの子を感じながら、細くてしなやかな背中にお湯を掛けてあげた…
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