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#37

「コッコッコッココケ~コ…コッコッコッココケ~コ…」 珍しくパリスが裏庭からこっちまで歩いてやって来た。そして、まるで俺にお別れでもしてるみたいに…喉を鳴らして、退屈そうなぼやきを聴かせてくれる… 「ふふ…パリス。可愛い鶏…」 クスクス笑って瞳を開いた俺は、目の前で微笑みかけるあの子を見つめて、クスリと笑ってみせた。 「パリスは…惺山が好きみたい…」 そう言いながら俺に抱き付いて来る豪ちゃんを優しく抱きしめて、俺は、あの子の耳元で笑って言った。 「ふふ、俺もそう思ってた…」 今日…この子の門出を祝って貰ったら…明日の朝、何も言わずに…ここを出て行こう。 今更、君との別れを惜しんで…ベソなんてかきたくない。 だから、何も言わずに出て行くよ…豪ちゃん。 声に出さずに心の中でそう呟いて、台所で朝ご飯の支度を始めた豪ちゃんの背中を見つめた。 そして、廊下の奥から蠕動運動をして俺の足元に近付いて来る…健太を蹴飛ばして言った。 「襖が壊れたぞ…バカタレ!」 「ご、豪のせいだ…!」 いいや、明らかに…お前の馬鹿力のせいだ! 遅くまで寝てるって言った癖に、健太はいつもと同じ時間に起きて来た。そして、いつもと同じ様に芋虫のままテーブルに顔を置いて、二度寝を始めた… はぁ…こいつは、変わらない。 残念なイケメンの典型だ! 出来る男の俺は、豪ちゃんに言われる前にテーブルを片付けて、台拭きでテーブルを拭いた。ついでに、ジロリと健太の寝顔を呆れた顔で横目に見てやった。 …すると、ふと、目を開いた健太が俺を見て言った。 「…惺山、兄貴がいたら、こんな感じなのかな…」 へ… そんな健太の言葉に、胸の奥がジンと熱くなって…自然と目じりが下がって行く… 「俺も…。馬鹿な弟がいたらこんな感じなのかな…って、思ってた…」 健太のボサボサ頭を乱暴に撫でながらそう言った俺は、大げさにケラケラ笑って、込み上げて来そうな涙を誤魔化した。 そんな俺の手を払い除けた健太は、怒った様に頬を膨らませて言った。 「なぁんだと~!」 嘘じゃない。 本当にそう感じてた…そして、偉いなって…思ってた。 まだ、18歳なのに…お前は本当に良くやってる。 母親の願い通りの…良いお兄ちゃんじゃないか… ただ、可愛い弟にギリギリを行くのは…どうかと思うけどな。 「ん、なろっ!惺山めっ!俺は馬鹿じゃないぞ!」 芋虫から半分だけ脱皮をして手を手に入れた健太は、俺の頭を容赦なく引っ叩いた。 「ひゃ~!」 俺はそんな芋虫から逃げる様に退散して、台所へ逃げ込んだ。 そして、卵焼きを焼くあの子の背中を抱きしめながら、コトンコトンと上手に卵焼きを転がす手元を見つめて、うっとりと言った。 「お上手…」 そんな言葉に、豪ちゃんはクスクス笑って俺を見上げて微笑んだ。 笑顔の奥に少しだけ不安が見えるのは…君が、俺がここを去る事を…言わずとも気付いているから… ごめんよ…豪ちゃん。言いたくないんだ。 分かってくれるだろ…? そんな気持ちを言葉にしないで、あの子の剥き出しのおでこにキスをした。すると、豪ちゃんは、首を傾げながら手元に視線を戻して言った。 「…惺山、冷蔵庫から…お味噌を取って来て?」 「ほい!」 慣れた様子で味噌を手渡して、豪ちゃんがお玉でそれをすくって、俺に戻す… そんないつものやり取りは、今日で最後だ。 …いいや。 一旦…おやすみ。 しばらくの、全休符だ… 「おじちゃぁん!」 現在…朝の6時… そんな時間から…大吉が、迷惑を顧みずに…家にやって来た。 「なぁんだよ、お前は…!」 面倒臭そうにそう言う俺なんて気にもしない様子の大吉は、当然の様に縁側から部屋にあがって、二度寝をする健太の隣に座って、俺を見上げて言った。 「今日、何、着たら良いかなぁ?」 …はは!!おっかしい奴だ!まぁだ、言ってる! 「ぷっ!いつもの感じで良いって言っただろ…?大体家族しか来ないのに…ぷぷっ!何を着たら良いって…!ぷぷぷっ!Tシャツと半ズボンで良いだろ!ぐふっ!」 吹き出し笑いをしながらそう言った俺は、豪ちゃんの手渡すお味噌汁を受け取って健太の目の前にコトンと置いた。 「えぇ…?もっと…フォーマルじゃなくて良いの?」 フォ…?フォーマル? 「ドレスコードなんて無いだろ…?」 大吉は俺の言葉に首を傾げて口を尖らせた。 まるで、不服の様な態度をするなよ…家族しか来ないのに、フォーマルなんて…馬鹿じゃないのか?! 呆れて物も言えなくなった俺の背中にスリスリしながら、健太のどんぶりを持って来た豪ちゃんが言った。 「豪ちゃんはぁ、清ちゃんのお母さんが作ってくれたお洋服を着るよぉ?」 「ふぅん…」 興味ないです。 そんな感情を露骨に表した大吉は、そう呟いて、テーブルの上の漬物を摘んで口の中に入れた。そして、ケラケラ笑いながら豪ちゃんを見上げて言った。 「豪ちゃん、腕上げたなぁ!漬物、美味しい!」 「んふぅ~!」 上機嫌になった豪ちゃんが台所へ戻る背中を見送った大吉は、口からよだれを垂らした健太の前で身を屈めると、俺に向かって小さい声でひそひそと話し始めた。 「てっちゃんの親戚の…めぐちゃん。豪ちゃんと仲が悪いんだよ。でも、バイオリンをやってるからって…どうしても今日来たいって言って、半ば強引に来るんだって!そこでだ!僕という…生贄を進呈して…めぐちゃんの気を逸らして、留飲を下げようって、そういう話なんだよ…。ねえ、おじちゃん…僕って、友達思いだろ?」 いいや。全然分かんない。どうしたら、そんな発想になったのか… お前の頭の中を、一回、掃除してやりたい気分だ。 「ぷぷ…!」 目の前で繰り広げられる小話に吹き出し笑いをした健太は、ニヤニヤと口元を緩めながら顔を上げて、テーブルに垂らしたよだれを盛大に頬に付けたまま…半開きの瞳で大吉を見た。 そんな健太の様子に、一気に顔を歪めた大吉は悲鳴を上げて言った。 「きったねぇ!!」 あぁ、いつもの事なんだ… こいつは、残念なイケメンなんだ… そんな大吉の嫌悪感なんて気付きもしないのか、それとも慣れているのか…健太はニヤニヤする顔をそのままにして、大吉にとくとくと話し始めた。 「まあ…大吉、だったら…とびっきり格好良くして来いよ。髪も、オールバックにしてさ。そして…あの、高慢ちきを誘惑してくれ…!ぷぷっ!お前の色男ぶりに、きっと…トゲトゲした気持ちが丸くなって…グチョグチョになる事、間違いなしだ…ぷぷっ!」 健太はそう言いながら豪ちゃんの出したお茶を一口飲んで、自分の頬のよだれを拭った手をズボンでごしごしと拭いた… はぁ!きったねえな… そんな汚い健太の言葉に瞳を輝かせた大吉は、身を乗り出して言った。 「本当?!グチョグチョになるかなぁ?」 大吉…ほんと、お前は…いつも、いつも、ポジティブ過ぎんだろ? 無責任に大吉を煽る健太を横目に、豪ちゃんからお茶碗を受け取りながら、あの子の顔を覗き込んで聞いてみた。 「なに…めぐちゃんって子と、仲悪いの…?」 「ん、知らなぁ~い!」 ふん!と顔を背けてそう答えた豪ちゃんは、昨日の残りの野菜炒めを手に持って、口を尖らせながらテーブルに着いた。 へぇ… この子でも、こんなに嫌う様な誰かが居るんだ… ある意味、新鮮だな。 ムスくれた豪ちゃんを見ながら、柔らかい髪を摘んで遊んでいると、大吉が必要も無いのに無駄に声を潜めて言った。 「喧嘩が始まるんだよ…?てっちゃんを取り合って!」 ほほ! それは…楽しみじゃないか! 「まじかぁ…!」 目を丸くしてケラケラ笑う俺を見上げた豪ちゃんは、口をもっと尖らせて不満そうに眉を下げて言った。 「僕は、取り合ってなぁい!」 「そうだな…どちらかというと、一方的な、嫌がらせだ。」 健太はそう言って鼻を啜ると、両手を合わせていただきますをして…いつもの様に、どんぶりを抱えて米をガツガツと食べ始めた。 あぁ…なる程ね。 哲郎が惚れてる豪ちゃんに、相手が勝手に嫉妬してるパターンだ。 あるあるだな… 「いただきます。」 いつもの様に豪ちゃんと一緒に両手を合わせた。 そして、あの子が卵焼きを箸で摘むのを見つめて、次のアクションを予測した。 これを人は成長なんて言うの…?それとも…慣れと呼ぶの…? …自然と開いていく口を、俺は、止める事なんてしないさ。 「…はぁい、惺山、あ~んして?」 ほらね…?やっぱりだ… 既に口を開いて待っている俺を見た豪ちゃんは、目を丸くしながら俺の口の中に卵焼きを入れてくれた。 「あ~ん…。ん、美味しい!」 そう、本当に美味しい… 嬉しそうに瞳を細めて微笑みかけてくれる君が作ってくれる物は、何でも…俺には最高に美味しい。 味のしない野菜炒めすら、俺には最高のご馳走なんだ… そんな臭い事を思いながら、うっとりと豪ちゃんを見つめてだらしなくニヤけた。 「いつも疑問だったんだけど、健ちゃんはさ、何と戦ってるの…?」 健太の食いっぷりにドン引きしたのか…大吉が、不意にため息を吐きながらそう言った。 確かに… どんぶり越しに大吉を睨みつけた健太は、そんなあいつの言葉を鼻で笑って一蹴した。 「はぁ?うっせえな…。早く、家帰って…飯食って、学校に行け、馬鹿野郎!」 確かに… 「…大吉、学校に遅れるぞ?」 俺は、いつまでも家に居据わる大吉にそう言った。そして、美味しいお味噌汁を啜りながら、鼻から抜けて行く小松菜のいい香りに癒されて…うっとりと瞳を閉じた。 あぁ…ンまい… そんな俺を、呆れた様に見つめた大吉は肩をすくめて、こう言った。 「今日は、みんなお休みするんだよ?後から清ちゃんたちも来るって言ってた!」 緩いな…ここの学校って緩くて、良いな… 「なぁんでわざわざ…学校を休むんだよ。お前らのお楽しみの遊覧船は、夕方からだぞ?休む必要なんてどこにも無いだろ?!」 俺がそう言って首を横に振ると、大吉は俺をじっと見つめて口を尖らせながら言った。 「だって…!おじちゃん。もうすぐ帰っちゃうんだろ…?!だったら…いる内に、一緒に遊びたいって思うだろっ!」 へ…? 驚いて目を見開いた俺は、不貞腐れた様に頬を膨らませた大吉を見つめて、首を傾げた。すると、あいつはムスくれた顔のままで、畳みかける様に続けて言った。 「みんな言ってた!おじちゃんと会えなくなるの…寂しいって…!豪ちゃんだけじゃないんだぞ?!僕たちだって…おじちゃんの事、気に入ってたんだからなっ!」 あぁ… 「ぷぷっ!モテモテだな、惺山は…!」 健太の弾む言葉に何度も相槌を打って、豪ちゃんは俺を見上げて笑って言った。 「そう。惺山は…モテモテなんだぁ!」 「ふっ…」 なんだろう… とっても、胸の奥が、熱くて…痛い… 自然と溢れて来る涙を膝の上に落として、俺は鼻を啜りながら笑って言った。 「ふふっ!ありがとう…そうか…そうか!じゃあ…今日は、みんなで遊ぶか…!」 …俺の交響曲の調整は、もう、終わってる。 後、やる事なんて…さりげなく、荷物を纏める事だけだ… 「よし!良い心意気だぁ!」 健太は景気良くそう言って、俺の背中をバシバシと叩いた。そして、次の瞬間には、空になったどんぶりを豪ちゃんに差し出して言った。 「豪!おかわり!」 「ん、もう…!」 箸を置いて立ち上がった豪ちゃんは、俺の頭をナデナデして、健太のどんぶりを持って台所へ向かった… ふふ… 嬉しくって…寂しくって…涙が止まらないんだ。 「やっぱり…おじちゃんはデリケートなんだぁ…」 泣き止まない俺を見て、ため息を吐いた大吉がそう言うと、ケラケラ笑って健太が言った。 「バブちゃんだからな…」 そんな、誹謗中傷を…心地良く感じるんだもん。 …やんなるよ。 朝ご飯を食べ終わると、有言実行の俺は、いつもの様に庭先に集まったギャング団たちと一緒に、湖へ…初めての釣りへと向かった。 「えぇ?釣りした事ないの?30歳にもなるのに…?」 顔を歪めて驚く哲郎に、俺はケラケラと笑いかけて、肩をすくめて言った。 「…そんな大人も、世の中には居るんだ。勉強になっただろ?」 俺の隣には、人数分の長い竿を片手に持った哲郎がいる。その向こう側には、バケツを両手に持った晋作…そして、豪ちゃんは嬉しそうに前をスキップで歩いて進んで…清助と大吉は道路の側溝に落ちそうになりながら、餌の赤虫をほじくってケラケラ笑ってる… 秋が始まる夏の終わりの午前中… 学校をズル休みした子供たちと、湖で釣りだなんて…最高過ぎるだろ? ウキウキする気持ちは、瞳を輝かせて、まるで、自分も15歳に戻ってしまった様な…そんな、不思議な錯覚を覚えるんだ。 楽しいって…ただ、純粋に…思えるんだ。 「今日はこっちにしようか~?」 慣れた様子で場所を選んだ清助がそう言うと、哲郎が長い竿を地面に置いて大吉に言った。 「大ちゃん、虫ちょうだい?」 「はいはい…ここに置いとくよ?」 「うん…あぁ、ほじくり過ぎだよ…。目が詰まっちゃっただろっ…」 大きな背中を屈めて慣れた手つきで針の先に赤虫を付けた哲郎は、俺を見上げて竿を差し出して言った。 「ほら、おっさん…この竿、持ってけ…」 「え…」 言われるままに竿を手に取った俺は、清助が誘導する桟橋まで向かって、身振り手振りをする大吉の真似をしながら、針を湖に放り込んで垂らした。 「ツンツンって来たら、思いきり上に上げるんだよ?」 俺の隣に来てそう言うと、豪ちゃんは桟橋に腰かけて足を揺らした。 初めての…釣り… ゴクリ… 緊張する。 「あっはっは!見て!見て!おじちゃんがぁ!」 そんな大吉の笑い声に俺を見たその場にいた全員が、俺を指差しながら大笑いして言った。 「ガチガチじゃねえか!」 …だって、初めてなんだもん! ケラケラ笑った豪ちゃんは、俺の足をチョンチョンと叩いて顔を見上げて言った。 「大丈夫…。惺山、ここに座ってごらん?豪ちゃんが隣に居てあげるからね?」 「うん…うん…」 大人しく豪ちゃんの隣に座った俺は、あの子の温かさを感じてホッと一安心する。そして、目の前に垂れる糸の先を見つめながら、足をブラブラと揺らす豪ちゃんに聞いた。 「いつも…こんな事して遊んでるの…?」 「ん、そうだよ?そして、豪ちゃんは魚釣りがとっても上手なんだぁ!」 ケラケラ笑ってそう言った豪ちゃんは、哲郎が手渡した竿を振って上手に遠くまで針を飛ばした。 「おぉ…上手だね…」 「なんでも同じだよ…惺山。生きていれば…なんでも出来る様になる。鶏の世話も…料理も、バイオリンもね…。必要に駆られれば、人は何でも出来る様になるんだ。」 そう言ったあの子の言葉が…妙に真理を突いていて、思わず笑った。 “生きていれば…” それが、とても重い言葉だと、俺は身をもって知っている。 「君は、本当…変な子だ…」 「来たっ!」 そう言った瞬間、微笑んでいた豪ちゃんの瞳がまん丸に見開いた! 勢い良く立ち上がったあの子は、体を倒しながら思いきり長い竿の先を引いた。 「しめしめ…!」 竿を下ろした豪ちゃんはそんな独り言を呟いて、手際よく手元のリールを巻きながら、竿の先を右へ左へと何かを確認する様に揺らした。 そして、もう一度、体全体を倒しながら竿を引き始めた。 「お!やっぱり豪ちゃんは釣り名人だな?」 そう言いながらあの子の後ろにバケツを持って来た哲郎は、踏ん張り続ける豪ちゃんの体を支えて一緒にリールを巻き始めた。 「こりゃ、大物だぁ!」 竿の手応えの強さにケラケラ笑った哲郎は、タモを準備する晋作を見て言った。 「晋ちゃん、気を付けて!」 「ん~!そろそろ、来る~!」 豪ちゃんがそう言うと、タモを構えた晋作が桟橋の下を覗き込んで言った。 「でかい~~!」 一気に沸く桟橋の上… 隣の豪ちゃんに気を取られていると…俺の手元の竿がグイっと力強く引かれた… 「お…?おお…?おおおおっ!!」 へっぴり腰になって動揺すると、清助が俺の竿を立てて笑って言った。 「おっちゃん、ヒットだぁ!」 あぁ…!生まれて初めて…!女以外を釣った… 「惺山!竿を引いて!」 タモに入った大物をバケツに移した豪ちゃんは、俺を振り返って檄を飛ばした。 さ…竿を引く…? とりあえず、立ち上がった俺は、キョトン顔をしながら首を傾げた。 竿を引くとは…? 上に? 横に? それとも…手前に…? じれったくなったのか…豪ちゃんが俺の腕の中に入って来て竿を一緒に掴んだ。 「良い?引いてる時にリールは回さないんだ。切れちゃうからね。こうして…引いて…」 快活にそう言って体を俺に押し付ける様に竿を引いた豪ちゃんは、力を緩めて、リールを巻いた。 「惺山、想像して?引っ張られた魚は、負けじと反対側へ逃げようとする。だから、こうして十分に引っぱり寄せてから…力を緩めて…糸を弛ませて、リールを回して糸を短くしていくんだ。そうして、近くまで…魚を手繰り寄せて行く!」 なる程…! 「分かったけど…怖いからこのままここに居て…」 そんな情けない声を出す俺に、ギャング団が首を横に振る中…あの子だけはにっこりと笑ってくれる。 そして、はちきれんばかりの笑顔で…言ってくれるんだ。 「良いよ!惺山!一緒に釣ろう!」 あぁ…豪ちゃん、君の事…ナヨナヨして可愛いなんて思っていたのに、君は立派な、猛者だった。 足の速さはぴか一で…木登りも得意…そして、釣りも上手だなんて…俺なんかよりもアウトドアで…男らしいじゃないか…! 女の子にモテちゃうよ… 「惺山…感じるでしょ?ギュンギュンと水の中を泳いで逃げようとする魚の躍動を…。そして、さっきよりもその動きを近くに感じるでしょう?…もうじき、水面に上がって来るよっ!」 豪ちゃんがそう言うと、哲郎が桟橋の下を覗き込んで言った。 「おぉっ!今日は入れ食いだ!さっきの鱒より大きいぞ!」 どよめく桟橋の上…豪ちゃんは俺の体にもたれたまま竿を引いて言った。 「てっちゃん!この子…強い、糸が…切れそうだぁ!」 「一回放せ!」 え…?! 哲郎の言葉を聞いた俺は、咄嗟に手に持った竿を手から放した。 すると、腕の中に居た豪ちゃんが、一気に前に引っ張られて湖に落ちそうになった! 「あぁ!豪ちゃん!」 慌ててあの子の腰を掴んで引っ張り寄せる俺に、ケラケラと笑いながら豪ちゃんが言った。 「竿を放しちゃダメぇん!放すのは…こっち!」 そう言うと、豪ちゃんはリールのロックを外して、せっかく短くして来た糸を再び長く伸ばしてしまった。 「あぁ…逃げちゃうよ?」 あの子を覗き込んでそう言うと、豪ちゃんは俺を見上げて言った。 「ピンと張った糸の先が暴れると、あっという間に糸が切れる。だから、体力のある強い子は…こうして、何度も力比べをして…疲れさせるんだ。」 へぇ… 釣りって…魚との、力比べなんだ。 妙に感心して頷いた俺は、一度放した竿を再び握り直して、汗ばむあの子の手を撫でて気合を入れた。 「絶対、釣る!」 「良いぞ!頑張れ~」 気の抜けた晋作の声援を背中に受けながら、伸びた糸の先を見つめる… 「見て?感じて?何とか糸を振り解こうと…暴れてるでしょう?あれで頬までがっちり針が刺さるんだ。だから、もうあの子は逃げられない。糸を切らない限りはね…?」 豪ちゃんはそう言うと、俺の腕の中から抜け出て、自分の竿を持って腰かけた。 「…豪ちゃぁん!」 「ん、大丈夫…。次は、惺山が自分で力比べしてごらん?」 そう言いながら赤虫を針の先に付けた豪ちゃんは、上手に竿をしならせてビュンと音を鳴らしながら、針を遠くまで飛ばした。 えぇ…?自分で…? 放任主義の豪ちゃんを横目に見ながら、俺は、恐る恐る竿を引いてみた。 すると、すぐに、ビンと手応えを感じて、魚との力比べの再開を…覚悟した。 「おぉ…!引っ張られる!」 「負けんなっ!惺山!」 男勝りにそう言って俺の足をポンポンと叩いた豪ちゃんは、俺を見上げながら、渾身の気合を込めて言った。 「思いきり、竿を、引けーーーっ!!」 「あ~はっはっは!」 そんなあの子の大声に大笑いした俺は、すぐに体制を整えて、言われた通り竿を立てて引いた。 「よし、じゃあ…次は、力を緩めて、リールを巻いて?」 「ほい!」 豪ちゃんの的確な指示の下、引いた竿を戻しながらリールを巻いた。すると、さっきよりも魚の手応えを近くに感じる様になった。 おぉ…!本当だぁ! 「ははっ!面白い!」 豪ちゃんを見下ろして笑った俺に、あの子は首を傾げながら言った。 「惺山、竿を引いて!」 「ほ、ほい!」 …こんな力比べを、もう一回戦、終えた頃…疲れ切った魚を足元まで引っ張り寄せる事に成功した。 「引き上げるぞ!豪ちゃん、おっさんをサポートしてやって!」 「はぁい。」 哲郎の言葉に、いつもの可愛い声で返事をした豪ちゃんは、俺の竿を一緒に持って、思いきり上に引っ張り上げ始めた。 「もっと~!せいざぁん!もっとぉ~!」 ふふっ!可愛い! 「…お、重たい!」 糸の先の獲物の重たさにケラケラ笑った豪ちゃんは、桟橋の下を覗き込みながらまん丸の瞳を大きく見開いて言った。 「見て?あいつだ!惺山の針の先には…あんな大物が付いてたぁ!」 「どれどれ…」 体を屈めて桟橋の下を覗き込んだ俺は、糸の先の大きな黒い魚影から、ちらちら見える姿に…度肝を抜いて奇声を上げた。 「ぎゃ~~~~っ!」 …ナマズが付いていたんだぁ! 「うげぇ!怖いい!」 「キャッキャッキャッキャ!」 大喜びした豪ちゃんが再び俺の竿を掴んで高く持ち上げて、すかさず、哲郎の伸ばしたタモがナマズをキャッチした。 「釣れた~~~~っ!」 やっと…やっと…釣れたぁ… 俺は、桟橋に仰向けに寝転がって、力尽きた… すると、豪ちゃんは、ナマズの口から針を外しながら哲郎を見上げて聞いた。 「…今日の、夜ごはんに食べれるかなぁ?」 「駄目だぁ、2~3日、泥抜きしないと食べらんない!」 そんな哲郎の言葉に駄々をこねる様に唸った豪ちゃんは、仰向けに寝転がった俺の腹の上に乗っかって、ジタバタ暴れながら言った。 「あぁ~ん!残念だぁ!食べさせてあげたかったのに!」 ふふ…疲れた… 高い空…白い雲…そして、俺の腹の上には、2~3日も俺がここに居ないだろうと踏んでいる豪ちゃんがいる… 本当に勘が鋭い子だ。 それとも、俺の事なら何でも分かってしまうのか… だとしたら、言葉なんて要らないね…。 愛してるよ…豪ちゃん… 「おじちゃん、邪魔だよ!」 俺を見下ろして邪魔くさそうな顔をした大吉が、ブツブツと文句を言いながら、俺の顔の上を跨いで歩いた… すると、見たくもない…あいつのパンチラを目撃して、頭に衝撃が走った。 …最悪だ! その後も入れ食い状態は続いて…俺は合計4匹も釣り上げる事に成功した。 しかし、釣り名人の豪ちゃんは、さすが名人…6匹も釣っていた。 「ナマズは泥抜きって言って、しばらくお水の中で体の中の泥を吐き出させないと…美味しく食べられないんだ。だから、この子は放してあげる。」 豪ちゃんはそう言うと、俺の釣ったナマズの大将を湖に放して言った。 「ごめんね~~!」 あいつは…強かった。俺の体力を一気に持って行ったからな… チャポンと水しぶきをひとつあげると、ナマズの大将は再び得た自由を満喫するかのように、湖の底に向かって尾びれを立てて潜って行った。 「さてと…ふんふん~」 帰り支度を初める中、鼻歌を歌いながら竿を束ねる哲郎の背中を見つめて、こいつは絶対15歳じゃないと心の中で呟いた。 だって、どう見たって、どっかの気前の良いお父さんにしか見えないんだ。 背の高さも、貫禄も、存在自体が頼りになる…ほんと、こいつは良い男なんだ。 「あ~、てっちゃん、待って!あともうちょっとで、全部捌けるからっ!」 そう言いながら哲郎を振り返った晋作は、手際よく湖の傍で魚を捌いていた… お前は、漁師なのか。晋作。 湖の水で捌いた魚を洗っては、バケツに入れて行く…そんな晋作の背中を見つめていると、目の前を、ご機嫌な様子でクルクルと回って通り抜けて行く豪ちゃんの姿に、瞳を細めて言った。 「疲れたぁ…ヘトヘトだぁ…」 「ふふっ!4匹も釣った!凄いね?惺山!」 さっきまでの猛々しさを失くしたあの子は、いつもの様に優しく微笑んでそう言った。そして、おもむろに俺の手を握ると、そのまま腕に抱き付いて、スリスリと頬ずりしながら甘ったれ始めた。 あぁ…可愛い…いつもの豪ちゃんだ… でも、さっきの豪ちゃんは…確かに、健太の様な“雄”を出していた。 これを人はギャップ萌えとでも言うの…?それとも、二面性と呼ぶの…? 「健ちゃんとこに持ってって…大きいコンロ出してもらおうぜ?」 そう言った哲郎に頷いて答えたギャング団一同と俺は、晋作の捌いた切り身をバケツの中に入れて、湖を後にした。 ゾロゾロと連れだって歩いて進む帰り道。チョロチョロと動き回る豪ちゃんに、哲郎が手を伸ばして言った。 「豪ちゃん、おいで?」 「てっちゃんは、2匹しか釣れなかったね?豪ちゃんの方がもっと沢山釣ったぁ!」 そう言ってケラケラ笑う豪ちゃんを見つめて、哲郎は優しく微笑みながら、あの子の頭を撫でて言った。 「釣りは苦手なんだよ…」 あぁ…振られても、哲郎は豪ちゃんの事が大好きだ。 それはきっと、お前が他の誰かを好きになるまで…変わらなそうだな… …そんな日が、早く来る事を願ってるよ。 俺は、ひとり最後尾を歩いて、楽しそうに手を繋いで歩く哲郎と豪ちゃんを、感慨深く…後ろから見つめた。 爽やかな秋の様な空の下…ダラダラと歩きながら徹の実家に戻って来た。 縁側を覗き込むと、大の字に寝転がった健太が見えて、近付くにつれてあいつの地響きのようないびきが聞こえて来た… そんな健太の腹を引っ叩いた豪ちゃんは、あいつの体を乱暴に揺らして言った。 「兄ちゃぁん!コンロ出してぇん!」 「んぁああ?」 変な声を上げながら飛び起きた健太は、ぼんやりした顔で豪ちゃんを見つめて首を傾げながらあの子に言った。 「ん、チュ~してぇ…!マホちゃぁん…」 あぁ…健太、それはマホちゃんじゃない。豪ちゃんだ… 「ん、きんもちわりぃ!」 豪ちゃんは辛らつな言葉を兄貴に浴びせて、あいつの頭を引っ叩いて逃げて行った。 「健太ぁ…俺、魚…4匹も釣っちゃった…!」 縁側に腰かけながら、ホクホクの笑顔を向けて寝ぼけた健太に報告した。すると、あいつは面倒くさそうに家の裏を指さして、哲郎に言った。 「家の…裏に置いてある…ぐぅ…」 はっ!思った通りだ! 俺の釣りの戦果は…無視された! 「豪ちゃん、炭持って来て?」 「はぁい!」 たった少し湖で魚釣りをしただけなんだ。 目の前で、アウトドア用のコンロを組み立て始める子供たちを見てみろ…?まだ、元気いっぱいじゃないか… なのに、どうしてか… 縁側に座った俺のお尻は、もう立ちたくない。疲れた。って…根を上げてるんだ。 年齢意外に…日ごろの運動不足のせいで、体力が落ちているのかもしれないな… いつに比べてって? そりゃ…15歳の時に比べてだよ… 「よし、炭に火が付いたぞ。」 そう言ってコンロの中を覗き込む哲郎を見つめて、再び、俺の中に…疼く乙女心を感じた。 あぁ…頼りになる…お兄ちゃんだわぁ…。 健太の見た目で、中身が哲郎の男がいたら…結婚したい。 哲郎もなかなかのイケメンである事は確かだけれど、健太の見た目は…なかなかどうして、はぁ…捨てがたいんだ。 そんな乙女心を抱えながら縁側でニヤけていると、隣に座った豪ちゃんが、俺の膝に頭を置いてゴロンと寝転がった。 あぁ…のんびりしてて良い… 頬を撫でる風が…気持ち良くて、首を伸ばして体を傾けると、そのまま空を見上げてため息を吐く… 青い空…白い雲…一緒に居るだけで楽しい友達と、頼りになるリーダー…そして、膝には…可愛い豪ちゃん。 俺を見上げて見つめて来るまん丸の瞳が、ほんの少し寂しそうなのは…俺がもうすぐここを去ると、気付いているからだ。 「ねえ…」 「ん…?」 豪ちゃんの呼びかけに、首を傾げながらあの子を見下ろした。すると、あの子はじっと俺を見つめたまま、何も言わないで口を尖らせた。 君が聞きたい事は分かってる…いつ帰るの?だろ…。 でも、言いたくないんだ… 我儘だけど、君と離れる現実を…最後の最後まで、忘れていたいんだよ… ごめんね…豪ちゃん… 俺は、そっと、あの子の尖った唇を指で撫でて、クスクス笑って誤魔化した。すると、豪ちゃんは、眉を下げて俺の頬を両手で撫でながら言った。 「良いの…惺山なら、良いの…」 あぁ…ふふ… 本当に、君には言葉なんて要らないみたいだ… 俺は、潤んだ瞳で豪ちゃんを見下ろして、あの子の頬を撫でながら言った。 「…そうか…」 「ほらぁ!魚焼くぞ!豪ちゃん、水洗いして塩振って来て!」 そんな哲郎の声に体を起こした豪ちゃんは、急いでバケツを手に持って台所へと向かった。 仰向けに寝ていた健太の顔に…バケツの水が掛かった事は…言わないでおこう… 「はい、焼けた。はい…こっちも焼けた。」 これを自給自足と言わずして、何を自給自足というのか… さっき湖で釣ったばかりの魚を、あっという間にさばいて、今…コンロで焼いて…食べている。 一連のサイクルが自然で、当たり前で…当然なんだ。 「はい、惺山の…。こっちは、兄ちゃんの…」 豪ちゃんがそう言いながらお皿に乗った焼き魚を縁側へ運んでくると、寝転がっていた健太がムクリと起き上がって、鼻をクンクンさせて言った。 「豪!飯!」 …ふふ、変わらないな… 豪ちゃんの釣った鱒は大きすぎて、焼き魚には向かなかった。 仕方が無いから哲郎が家に持って帰って、明日の夜ご飯に、母親にフィッシュアンドチップスを作って貰うそうだ…。 それを楽しそうに話す豪ちゃんを見つめながら、頷いて、相槌を打った。 惺山も一緒に食べに行こう…? いつもの様に、そう、聞いて来ない君は、本当に…優しい子だね… 昼食を済ませて、子供たちと一緒にコンロを片付けて、ヘトヘトになって、縁側に腰かける…。 「疲れたぁ~、休憩だ…!」 そそくさと身支度とお洒落を始める健太を横目に、大きく伸びをした俺は、そのままゴロンと縁側に寝転がった。 しばらくすると、俺の腹の上に頭を乗せた豪ちゃんが、スヤスヤと寝息を立て始めた。 俺の隣に寝転がった大吉は秒でいびきをかき始めて、うるさそうに寝返りを打った清助の足が、加減も無しに俺のわき腹に当たった… 「うぐっ!」 所謂…これが、雑魚寝ってやつだ。 庭でキャッチボールを始めた哲郎と晋作は、学校の宿題の話に花が咲いている… あぁ…平和だ… こんな日を、明日から送れないだなんて… 豪ちゃんと一緒に、哲郎の家にフィッシュアンドチップスをご馳走になりに行けないだなんて… …忘れたい、現実だな。 時刻は午後3時過ぎ…着替えに戻った大吉を晋作の商店前で待っていると、豪ちゃんがもじもじしながら俺に言った。 「…惺山、写真、撮ってぇ?」 またか… 清助の母親に作って貰った一張羅が相当気に入ったのか…豪ちゃんは恥ずかしそうにもじもじしながらも、そんな姿を写真に収めろと注文して来た。 「ほい…」 眉間にしわを寄せる哲郎を尻目にあの子に携帯を向けると、上目遣いにバイオリンを抱きしめる姿に、不覚にも…キュン死しそうになった。 この服装にはこのケースが良く似合うから…なんて理由で持って来られたバイオリンは、確かにあの子のクラシックな装いとマッチして、やたら、かわいく見えるんだ。 「いいねぇ…もうちょっと、こう…首を傾げる感じで…あぁ、可愛いねぇ…」 いつの間にかノリノリになった俺は、携帯を両手に構えて、晋作の店の前でポーズを取るあの子を何枚も写真に収めた… 「今度は、兄ちゃんと…!」 「ほいほい…じゃあ…健太をこうして、そこに…こんな感じで…あぁ、良いねぇ。良いよぉ…。」 俺をジト目で見つめる健太と、ニコニコの笑顔の豪ちゃんの写真を撮ってあの子に見せると、豪ちゃんは嬉しそうに瞳を細めて言った。 「良いね?」 ふふ…可愛い。 「変態なんだよ…だから、こんな恥ずかしげもなく15歳の写真を何枚も何枚も撮れるんだ…」 そんな清助の誹謗中傷も…慣れてしまった様で、耳障りの良い環境音の様に自然に聞き流せてしまう。 「良いねぇ、じゃあ…次は、みんなで…」 「うわっ…やばいな…」 ギョッとした哲郎の声に顔を上げた俺は、あいつの視線の先を目で追いかけた。 すると…やたら黒光りする物体を見つけて、眉間にしわを寄せながら目を凝らした… 「お待たせ~!はぁはぁ…!」 なんと! 大吉は黒のタキシードに…オールバックなんて…オールドスタイルでやって来たではないか! 「健太!お前が変な事、言ったからだぞ!」 ギョッと目を丸くした健太を小突いて俺がそう言って怒ると、あいつはしらばっくれた様に顔を背けて、セピア色の似合いそうな大吉を横目に、肩を揺らして笑いを堪えていた。 「…じゃ、じゃあ、遊覧船乗り場まで行くか…」 哲郎は怪訝な顔で大吉をチラチラ見ながらそう言うと、胸ポケットからハンカチを取り出して、おでこを拭い始める大吉を無視して、先をズンズンと歩き始めた。 清助と晋作は、そんな大吉を見ない様にそっと…視線を逸らして、健太にいたっては体を揺らしながら小さく笑い声を上げていた。 「惺山…手を繋ごう?」 大吉の一張羅での登場に、翻弄されるギャング団を一番後ろから眺めてニヤけている俺に、豪ちゃんは瞳を細めながら手を差し出してそう言った。 「…もちろん。良いよ。」 目じりを下げて微笑んでそう答えて、あの子の手を掴んで…固く握った。 次…君に会う時は、俺は何歳になってるかな…? 君は…何歳になってるの? 硬く握った手を見つめて、あの子の温かさを記憶する様に握り直すと、不思議そうに見上げて来るあの子を見つめて、優しく微笑んだ。 そして、声に出さずに、心の中でそっと、話しかけた。 変わらないでいてね…豪ちゃん。 先生の所へ行っても、そのままで居てね… 驕った君なんて、見たくないんだ。 いつもの笑顔で…朗らかで居て。 そして、俺を見つけたら…迷わず声を掛けて。 そして、もし、その時… 俺の体から…モヤモヤが消えていたら…すぐに、俺の傍においで。 そして、また…俺を愛してくれよ… そんなセンチメンタルな気持ちに浸っていると、先頭を歩き続ける哲郎の元に小走りで向かった大吉が、額の汗をハンカチで拭いながら聞いた。 「め、め、めぐちゃんは来てるの…?てっちゃん…」 「あ…あぁ…多分…」 そんな歯切れの悪い返答をする哲郎を見て、察した。 あいつも“めぐちゃん”が、苦手なんだ… ため息を吐いてそっぽを向く哲郎に、何故か大吉はキメ顔をして言った。 「今夜は、良いパーティーになると思うんだ!」 ははっ!!腹痛い! やっぱり、大吉はこうでなくっちゃ駄目だな。 俺の笑いのツボだ…!! 「何そんなにキメてんだよ、大ちゃん。主役でも無いのに…バッカじゃん!」 清助がそう言うと、晋作がケラケラ笑って言った。 「大ちゃんは、めぐちゃんに気に入って貰いたいんだよ。だから、格好付けてんだ!」 「えぇ~~~~!あの、高慢ちきな女?マジかよ…」 どうやら、晋作と清助も…めぐちゃんが苦手の様だ。 相当アクの強い子なんだろう…と、予測だけしておく。 心づもりしておけば、例えワンパンかまされても平常心でいられるからね? …随分、歩いて進んで来た。 左手に湖がずっと見える道路の端を2列になって歩いて進む。 太陽はすっかり下に落ちて、湖面をチラチラと広範囲に輝かせた。たまに反射する太陽光が眩しくて、その度に瞳を細めた。 綺麗だ… 「…ねえ、惺山?これ…外さないでね…」 ふと隣の豪ちゃんがそう言って、俺の右手のミサンガを指に絡めて撫でた。 「…外さないさ。」 にっこり微笑んでそう言うと、あの子は悲しそうに眉を下げて俺を見つめた。 ふふ…久しぶりだ、その表情… 俺の事を心配しているんだね。 ニヤけた俺の顔とは対照的に、豪ちゃんは心配そうに眉を下げると、まるで離れた後の注意事項を確認する様に俺に言った。 「…惺山?先生と仲良くしてね…?先生に、連絡をしてね…?」 あぁ… 当たり前じゃないか… 大事な君を預けるんだ。俺が先生の動向を気にしない訳がない。 「…分かってる。」 俺はクスクス笑いながらそう言って、豪ちゃんを見つめてにっこりと微笑みかけた。 豪ちゃん、君は…俺が、明日の朝いなくなると、目星をつけた様だね。 流石だ… 俺の事なら、何でも分かる。君がそう言った言葉は…本当だったみたいだ。 何度も言いかけた言葉を飲み込んで、俺の様子を伺って…君は結論を出したんだ。 だから、もう…いつ帰るの?なんて…聞かないで、君と離れた後の話をし始めた。 本当に、賢い子だ… 豪ちゃん、君も、俺と離れたくない。いつ帰るのかなんて…知りたくない。そう思っているんだろ? もし、知ってしまったら…その時までを指折り数えて…胸を苦しめる事になる…。 そんな風に、最後の時間を過ごしたくないんだ。 俺もね、君との時間を、いつまでも続く夏休みの様に…終わりのない永遠の様に…最後の最後まで感じていたいんだ。 ごめんね…豪ちゃん… どれだけ歩いたのか…いつの間にか、新しく整備された、真新しい遊歩道を歩いて進んでいた。 左手に見える防風林の隙間から、チラチラと見え隠れする湖を眺めていると、ふと、立派な遊覧船を見つけて、豪ちゃんを見下ろして言った。 「…わぁ!見て?豪ちゃん!立派な船だね!」 そんな俺の言葉にケラケラ笑った豪ちゃんは、急に胸を張って得意気に言った。 「わが村自慢の湖を一周する遊覧船…“五郎丸”だよ?」 五郎丸…ねえ… エリザベス号…とかの方が遊覧船っぽいのに…まるで、漁船みたいな名前だな。 「俺、いっちば~ん!」 目的地を前に、晋作がそう言って走り出した。 続けとばかりに清助が走り出して、大吉がハンカチで額を拭いながら後を追いかけた。 「あぁん!待ってぇん!」 つられて走り出すあの子の手に引っ張られて、ケラケラ笑いながら一緒に防風林の林を抜けて行く。 この子達と居ると…まるで子供の頃に戻った様な気になる。 それが良いか、悪いかは別として…とにかく、とっても楽しいんだ…

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