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第2話

目立つ友人の傍にいれば甘い蜜を吸えて幅を利かせられると思うのは間違いだ。実際には面倒の方が多い。 同級生達の観察をしながら履修する科目を検討しているうちに、九月が終わろうとしていた。 大学でのユーイの目的は、修士課程を修了するまでの最低限の単位を無事取得して卒業すること。それだけだった。はっきり云って自分は勉強熱心と云える学生ではないと思う。確かに進学できる成績はとっていたが、明確な目標はなかった。 こうして大学生になったのは父の意向だ。目的なしに大学へ行くなど時間と学費の無駄遣いのような気がしたが、目的がないのなら尚更進学しておけと父は譲らなかった。ユーイの父は外国人だ。一年ほど前、 「大学院まで税金の補助を受けながら進学が可能なこの国で、学歴をつけないなんてもったいなさすぎる」 と、これまでにないぐらい強硬に説得された。はっきり云って逆らうのも面倒臭かった。だから大学入学のための試験を受けた。合格した。入学ガイダンスの席で、隣にいたジギイに声をかけられた。ユーイがここに坐っているのは、そんな理由からだ。 あれほど頑なだったユーイの父は数か月経った今、息子の大学生活のことになど全く気が廻っていない。 多分。いや、間違いなく。二か月前、七月最後の金曜日に母が出て行ったことが原因だ。元々すれ違いの多い生活だったが、あれ以来父の気配を家で感じる機会は更に減った。だからここ最近、出て行った母親だけでなく、父親の顔もユーイはまともに見ていない。 「あ、サリュ」 ラキが明るい声で店の入口に向かってそう云うのが聞こえた。ユーイの席からラキの表情は見えないが、恐らく今日一番の笑顔を湛えているに違いない。 ああ、ぐずぐずしていないで帰れば良かった。ユーイは瞬時にそう思った。顔は上げつつもカウンターに置いていた自分の携帯電話を手に取り、画面が気になるふりをしてやって来た男と眼が合わないよう注意を払う。 それでも周囲の風向きが一気に変わるのを肌で感じた。場の中心が即座にジギイから彼へ移っていくのが、いつものことながら手を取るように分かる。 このグループの最大の財産は二人いる。一人は今ジギイの傍らにいるミュラニー。そして、もう一人がサリュだった。 サリュは本名ではない。誰かがそう呼び始めた。確かサユだったか、サイウだったか、そういったオリエンタルな雰囲気の発音しづらい名前だったと思う。だから誰も彼を本名で呼ばない。第一、彼の外貌に合っていない。稀に見るプラチナブロンドと晴れた日の空を思わせる青い明眸は、間違いなく彼の血筋に雑多なものが入り混じっていないことを示している。 講義を終えた後でアルバイトに向かったサリュは今夜、この集まりには不参加のはずだった。彼が入って来た後の状況変化を、ユーイは存在を無にしたまま用心深く見届けた。 「珍しく仕事が早めに終わってさ」 サリュはそう云いながら、数人とハグやダップを交わした後、グループの輪にごく自然におさまった。ミュラニーはサリュに対し、大袈裟なハグに加え口唇(くちびる)に近い位置にビズをした後、甘ったるい声と笑顔で素早く彼の隣へ移動した。この女が妥協してジギイと付き合っていることぐらい、人間関係に興味のないユーイでも分かる。本心ではサリュに熱を上げていて、毎日あれこれと試行錯誤しながら彼に色仕掛けを行っていることも。 今日はサリュとここで顔を合わせなくて済むと思っていた。ユーイは彼が苦手だった。 サリュは遠くに控えていたラキを手招きし、笑顔で話しかけながら彼の肩に触れていた。ああしてサリュに構われている間は、ラキが他の仲間達から迫害を受けることはない。 サリュは見た目がいいだけでなく、優しい。気さくで、人たらしで、頭も悪くない。きついところが一つもないのに、輪の中心になれる稀有な存在だった。しかも彼は最近、モデルにスカウトされたらしい。今日はその仕事だと云っていた。 そういうのが何となく鼻につく。 さりげなくこの場を立ち去ろうと、ユーイが店員に頼んで個人分を会計してもらっていると、ちょうどサリュとの会話を終えたラキがそれに気づき、おずおずと傍へやって来た。 「帰るの?」 溜息を吐きたいのを堪えて、ユーイは店員から釣りとレシートを受け取った。この負け犬に話しかけられると気分が悪い。 「だったら何?」 「サリュが来たばかりだよ。雨もまだ降ってるし」 「雨が降ってるから帰りたい。それに、入れ替わりなら人数が減らなくて済むだろ」 そう云ってラキを見もせずに身支度を整えた。ラキにしてみればサリュに興味を示さない自分は不思議な存在なのだろうと思う。おざなりに別れを告げて背を向けると、 「あ」 というまた弱々しい声で引き止められた。だがちょうどそこで、ジギイの親友、もとい介助犬のニールが声をかけて来た。 「ユーイ、帰るのか?」 親しみからそう訊きに来たわけではない。周囲の細かい動向を察知してジギイに報告するのがこの男の役目なのだ。彼は、 「ラキ、つまみが減ってきてる。ビールもだ。適当に注文しとけ」 とラキの方を碌に見もせず、傍にあった灰皿の上で煙草を消しながらぞんざいに云い放った。 「今、話してるんだけど」 「話は終わってる。俺は先に帰るから」 間髪入れずにユーイは口を挟んだ。お前の立場で口答えしない方がいいということも分からないのか、という眼で一瞬ラキを睨む。何か云いたげな眼を向けてくるラキの視線を無視し、荷物を手に取った。 その時うっかり、ユーイはラキの後方にいたサリュと眼が合ってしまった。さほど距離が近かったわけではないが、ラキとサリュはほぼ一直線上にいたのだ。 サリュはユーイに向かって微笑んできた。 どきりとした。気づかないふりをして一度ラキに視線を戻す。 すぐに、鞄の中を見るふりをして身を翻した。 ニールは仲間を見送る体で店の出口までついて来た。 「ラキと仲良くなれそうか?」 「冗談だろ」 ラキは自分を甘く見ている。ユーイはそう思っていた。彼の自分に対する態度は、ジギイやその腰巾着のニールに対するそれと、明らかに違っている。もちろんサリュに対する態度とも。ラキがユーイに向けてくる親近感には、自分と同類の者と見做した者に放つ、無遠慮さが端々に滲み出ている。自分に一番近いのが、ユーイだと分かっているのだ。だからこそユーイとしては冗談ではないと思う。彼と一緒にされたくはない。何としてでも彼との間には一線を敷かなくてはならない。下手をすると、自分まで負け犬組に引きずり込まれかねない。このグループの最下層に沈むのは真っ平ごめんだ。使い走りのこの男に同情する気などない。一人で勝手に消耗していて欲しい。

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