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第3話

翌週に入ると十月だった。ここのところほとんどと云っていいほど晴れ間がない。霧のような雨は降ったり止んだりを繰り返し、傘が嫌いなユーイの神経を苛立たせる。 今日も細い雨が降っていた。 その日は、ユーイ、ジギイ、ニール、サリュ、ラキ、ミュラニー、そしてミュラニーの友人であるマリーナとセーラの八人で、全員が履修している科目の共同制作課題について、進捗状況を確認し合うということになっていた。時間通り、カフェテリアに集まったのは五人だった。 ラキがいないのは資料集めに行かされているからだと、ニールが報告してきた。だが、あと二人。ジギイとミュラニーがいつまで経っても姿を見せなかった。その日の朝から、二人の間に流れる険悪な空気にグループ内の全員が気づいていた。 何でも週末にデートに出かけた際、ジギイがミュラニーのピアスを褒めたことがきっかけで喧嘩になっているのだという。そのピアスは以前、他の男がミュラニーに贈ったブランド物で彼女のお気に入りだった。褒められた際に彼女がうっかり口を滑らせたのか分からないが、他の男からのプレゼントであることを知ったジギイが無理矢理そのピアスを奪い、川へ投げ込んでしまったというのだ。何とも呆れた話だった。人の物を勝手に捨てるジギイもおかしいし、デートに他の男からの贈り物を身につけて行くミュラニーも無神経すぎる。川なんかに捨てずに質屋で売れば二束三文になったかも知れないのにな、という冗談を云い残し、ニールは様子を見に行くために席を外した。ミュラニーの侍女(サイドキックス)であるマリーナとセーラも、経過を見守らなければ落ち着かないのか、数分後、席を立った。つまりその場に残ったのはユーイとサリュだけだった。 ユーイは気詰まりだった。共通の話題など一つも思いつかない。無駄なお喋りは嫌いだし、愛想を振りまくつもりもない。 ジギイ達を待っている間に、サリュの知り合いが何人も彼に声をかけてきた。その全員が、自分達の所属しているスポーツチームにサリュを誘い込みたいという下心を覗かせた輩だった。大学に入ってまでサッカー部やバスケットボール部に入るような人種は、ユーイと最も馴染みがない。彼等は是非とも自分達の活動にサリュを引き入れたいらしく、親しげに彼に話しかけてきた。その次にやって来たのは五、六人の女達のグループだった。女達はもっと厄介だ。話が長い。髪もメイクも服装も派手で視界に入るだけで眼がちかちかする。落ち着かない。そのうちの一人に、サリュは今夜会う約束を一方的に取りつけられていた。だが本人は嫌な顔一つしない。手を振り、彼女達を見送った後で姿勢を戻した。直後にユーイとサリュは眼が合った。 サリュと出会ったのは、入学した日からちょうど一週間経った日のことだった。彼はラキと共にジギイによって引き入れられた最後の仲間だった。彼が輪に収まるようになって、このグループは完成した。厳密に云うとユーイが真正面からサリュに応えたのは、初対面の時に挨拶をした、その一度きりだ。普段、人数の多いグループの中にいると、馬の合わないメンバーがいたとしても何とかやり過ごすことはできる。今日までどうにかそれでやってきた。 あの最初の日、言葉を交わすより先に、眼が合っていた。ジギイの後ろについてやって来たサリュは、同い年の普通の大学生のようには見えなかった。初めて見た時からユーイにはこの男が、自分には決して持ち得ないものを全て持っていることが分かった。眼の色、髪の色、肌の色、背の高さ、それだけではなくその表情や立ち居振る舞いに彼の内面の豊かさと大らかさが滲み出ていた。そしてそれは同時にユーイの中に、強烈な嫉妬を植えつけた。恵まれた者への、まごうことなき嫉妬だった。 サリュはあの時と同じ、惑いのない大きな瞳でユーイを見つめ、微笑みかけてきた。先程から表情に一切の隙がないのが、油断ならないと思う。 「この前、帰っちゃったね」 サリュはそうユーイに話しかけてきた。軽く声をかけられること自体はこれまでにも何度かあった。その度にユーイは無言で相槌を打ったり、眼も碌に合わせず携帯電話に気を取られているふりをしたり、ありもしない用事をその場にいる他の友人達に曖昧に告げてその場を離れるなどしていた。二人きりになることがないようさりげなく気を配っていたので、話す時は常に周りに仲間がいた。だが今、ここには自分とサリュしかいない。 「・・・この前って?」 「先週の呑み会」 ユーイは鞄からタブレット式端末を取り出しながら、今更何だという心積もりで顔を上げた。動作を交えていないと何となく落ち着かなかった。 「だから?」 「嫌なら来なきゃいいのに」 いきなりばっさりと斬り捨てるようなその物云いに、ユーイはたじろいだ。 「・・・何で、お前にそんなこと云われなきゃならない?」 「いつも黙り込んでつまらなそうな顔してるよね。ジギイに愛想笑いしてるところは見たことあるけど。でも本気で楽しんでないっていうことぐらい、すぐに分かる。だったら最初から断ればいいのに。毎回、何のために来てるの?」 優しいと評判のサリュからこんな訊き方をされるとは思わなかった。表情や声色は柔らかだが、言葉の内容は割ときつい。 「俺の勝手だろ」 「もしかして、行かないと仲間外れにされると思ってる?」 ユーイは答えなかった。 「それとも誰か好きな子がいて、それを目当てに欠かさず行ってるとか。誰?ミュラニー?マリーナ?」 無視。 「その子の気を惹くためだとしたら、ああいう態度は逆効果だと思うけど」 もうユーイは相手にしなかった。この男とまともに取り合っていたら平常心を失う。完全にサリュを黙殺し、参考文献の情報を起動させたタブレットで調べ始めた。充分間をとってから視線を上げたつもりだったが、そこで再びサリュの青い視線と遭遇した。 この余裕たっぷりの沈黙が嫌だった。痛くない腹を探られるような、相手を見透かそうとでもするような視線が気に入らなかった。彼は喋っていても黙っていても様になる。 十五分ほどしてから、ニールがマリーナやセーラと共に戻って来た。ミュラニーの機嫌が治るのに相当時間がかかる様子だという。ジギイが土下座して同じ物か、それ以上の品を献上しなければ関係修復は望めないらしい。 五人は諦めて、珈琲を飲みながら雑談をして過ごすことにした。サリュは話題が豊富で話上手だった。何処で調べて来るのか、女が興味を持つような話題にも精通していた。そしてサリュは終始、ユーイに話を振ることなく他の三人に向かって喋っていた。四人しか知り得ない話題ばかりを選び、ユーイは初めてサリュがいる空間で疎外されている気分を味わった。 ようやっとジギイがミュラニーと共に姿を現した時には、かなりの時間をロスしていた。 「ユーイ、椅子」 何気ない口ぶりでジギイは云った。テーブルに椅子が一つ足りないのだ。ユーイは機嫌が悪いのを押し殺しつつ周囲を見廻し、ここには余ってない、と報告した。 「お前のだよ」 「は?」 「女に席を譲れ。あっちの方にまだあるだろ」 ミュラニーが坐らない限り、自分も坐ることはできないと思っているのか、ジギイは自分の椅子に手をかけて立ったままユーイを見下ろしている。ジギイの意向を察したニールも、意味ありげな視線を送ってきた。 だったらお前がその席を恋人に譲って、自分で新しい椅子を取りに行けと云いたかったが、一瞬の後、ユーイは席を立った。 ラキがこの場にいないことで、順列最下位から二番目の自分が、指名されたのだと悟った。入学からひと月。それまでも自分の立場が危ういことは何となく分かっていたが、ここまではっきりと示されたのは今が初めてだった。このグループでの順列を明確に思い知らされた瞬間だった。 サリュにもジギイにも太刀打ちできない自分が情けない。彼等がその気になれば、自分など簡単にグループから指弾されるだろうということがこれではっきりと分かった。

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