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第5話

高校三年生の時、明確な進路を示さないユーイに学生課の職員が紹介したのがケイだった。 「きっと先輩の話は参考になるよ」 と云われ、学校が紹介するのだからと何一つ疑わずに連絡を取り、まともな大人だと信じて顔を合わせた。その時はまさかこんな関係になるとは夢にも思わなかった。 初め、進路相談のために健全なカフェで面談をしたのは間違いなかった。けれどどう話をもっていかれたのか、気づいた時、ユーイは一度も足を踏み入れたことのない区画のバーカウンターにいて、呑めない酒を呷っていた。ぎりぎりのところまで酔わされて、数ある性的プレイのどこまでなら抵抗がないかということまで、この男に話してしまった。それでも彼が裏でしている仕事に誘われた時には、しっかり断れるだけの分別は持っていた。ケイはあっさりと引き下がった。 「俺は自分の性癖のことで随分悩まされてきてね。その所為でこんな商売をしてる。神や人生に対する復讐みたいなものかな。変なことを云って悪かったよ。できれば君とは、いい友達でいたいんだけど」 その言葉をユーイは真に受けた。他人と違うものを抱えて生きてきたということに関しては、この男と相容れるものがあったし、何より『友達』という言葉に反応してしまった。成人したばかりの十八歳の学生が十以上も歳上の相手に隙を見せれば、あの手この手で籠絡されるのは時間の問題だった。 次にケイと会った場所はホテルで、言葉巧みに彼の趣味に誘い込まれた。好奇心の疼きにユーイは勝てなかった。後から思えばあの日、品定めをされたのだと思う。ケイは鞭や縄でユーイの体を甚振りながらも、君が気に入った、君は最高だ、と熱っぽく云って、傷ついた体を愛おしげに撫でてくれた。言葉では優しさを見せながら、思いきり鞭を振るうのがケイの趣味だった。ケイは加減を知っている男だったが、それでも痛いのは間違いないし、虐げられて昂奮できる趣向もユーイは持っていなかった。ただ、痛みに集中している間は余計なことを考えなくて良かった。それが二度、三度と逢瀬を重ねた理由だった。 ケイは決して立場を入れ替えることはなく、徹底して鞭を振るい支配する側に立った。強引に逆の立場をユーイが取ろうとすると、それならそういう趣味の相手を紹介できる、と云って取り合わない。 そんな中、本当に最初はそういうつもりはなかったのだが、ケイに頼み込まれて無断欠勤をした『商品』の穴埋めをしたことがあった。それがこの仕事に手を染めたきっかけだった。最初の仕事はうまくいった。一時間縛られたままじっとしていただけで、客は満足してくれた。 「君のおかげで助かった」 とケイに感謝され、何だか認められたような気分になった。 だがその次の仕事を受けた時、すぐにユーイはこの世界と自分の欲望が咬み合わないことに気づいた。二度目は相手を甚振らなければならない方の役目だった。 引き受けない方がいい予感はしていた。限度を知らないのがユーイの悪い癖だ。昔から友達に悪ふざけをした時も、いじめに加担した時も、やり過ぎて問題になった。人を甚振ることに夢中になってしまうのだ。だがケイを助けてやりたいと思ったし、何よりそれが原因で十三歳の時からセラピーを受けてきて、自分はもう治ったと信じたかった。 その日の客はものすごく優しかった。無理なことは決して頼まないし、羽振りもいいので『商品』達にはとても人気がある客だとケイは云っていたが、本当にその通りだった。人の良さそうな笑顔で、鞭や拘束具などについて話した後、前払いで規定料金の倍の額を手渡してきた。 「半分は君へのチップだよ。君みたいな大人しそうな子にしてもらうのが大好きなんだ。嫌だと思うことがあったらすぐに断ってくれていいからね」 そんなことを云ってくれるぐらい大らかだった。何でこんな男が、と思わざるを得なかった。 その僅か一時間後、ユーイは後悔の念に苛まれていた。自分のしたことが明らかに度を超していたと気づいた。夢中になり過ぎたのだ。時間を報せるアラームが鳴らなければ、もっと長い時間、ユーイの意識は昂奮の炎火に呑まれたまま戻らなかったに違いない。客の体は鞭の痕でひどい状態だった。拘束を解いても反応がないので顔を覗き込むと、その顔は涙と洟に塗れていて眼は虚ろ、ほとんど意識がなかった。その上彼は失禁していた。 限度を知らない嗜虐心がユーイを異常な暴力に駆り立てる。相手が抵抗できない状態であったり、反撃を知らない弱者であれば、尚のこと拍車がかかる。幼い頃から常に標的(ターゲット)を探していた。どうしても視線がいってしまう相手というのがいる。大抵、そういうのはいじめられっ子が多いのだが、必ずしもそうとは限らない。自分の何かが反応する相手がいる。恋人探しや友達探しと一緒で、フィーリングのようなものだ。顔が好みだったり性格が良かったりする。例の客も、あれほど優しくなければ我を忘れるまでなぶり続けることはなかったかも知れない。 ユーイの中には怪物がいる。 それが取って代わる時、ユーイは人間らしい情というものを失ってしまう。急激な視界狭窄と耳閉感に襲われた後は、ひたすら加虐行為に没頭する悪魔と化す。 だから本当はこういう仕事は向いていない。最初は演技のつもりでも、次こそは呑まれないと気を張っていても、いつしか自制が利かなくなってしまう。 それからもごくたまにマゾヒスティックな客の相手をすることがあったが、その全員から苦情が入った。ユーイは決して体格がいいとは云えないので、客は油断している。そして拘束具をつけられた後の客は抵抗する術がない。相手にとっては、合意の上での楽しめる行為とは程遠い地獄の展開が待っている。 かと云ってサドの客をつけてもらっても、毎回うまくいくとは限らなかった。ユーイは道具を使ったプレイには応じるし、口淫はしてもされてもいいが、キスや後孔への挿入だけは絶対に嫌だと頑として譲らなかった。そのぐらいの条件は呑んでもらわなければという気持ちだった。だが金で買った客からしてみれば『商品』がそういう自尊心を持つなど、生意気でしかないようだ。 確かにここ最近はユーイの方も徐々に消耗してきていた。初めこそ興味本位で協力してはみたものの、知らない人間の相手などそう何度も割り切ってできるものではなかった。嗜虐心に身を委ねている間はいい。報酬もきちんと毎回もらっている。けれどケイは最近ユーイに関心が薄い。二人で会う頻度も減った。仕事を終えても前ほど感謝されることもない。そこにきての解雇通告だった。 「残念だけどうちは節度のある暴力を売りにしてるからね。セーフワードを無視するような『商品』は提供できない。それに、あれこれ条件が多いっていうのも客が面倒臭がるから。誤解しないで欲しいのは、これは俺が君に対して抱いてる感情とは別だってことだ。君は充分素敵だよ」 理解を求めるような声でケイは云った。ショックというほどの感覚はユーイにはないのだが、彼はそうは思っていないらしい。 「君みたいな子には、色々教えてくれるパトロンみたいな人がいた方がいいと思う。候補がいるんだよ。うちの客でいい人が一人いてね」 「もうこういうことはしない」 はっきりとユーイが云いきると、ケイは微かに笑い声を漏らした。 「一度会ってみてよ。向こうは君の写真を見たら気に入ったみたいだった。ほんの一時間お茶するだけでも、小遣い稼ぎにはなるよ。いきなり無収入になったら君だって困るだろ」 「何度も同じことを云わせるな」 頑なな態度を取るユーイに、ケイは微笑んで手を伸ばしてきた。いつも別れ際そうするように頭を撫でてくるの思いきや、ユーイの肩を軽く叩いただけで立ち上がった。彼は時間を気にし始めていた。そろそろ婚約者との約束の時間なのだ。今日は友人達を招いてホームパーティーを開く予定らしい。この男は世の中の表と裏を行き来し、自分の人生のバランスをきっちりとっている。ユーイは縄と鞭の痕が残る体を服に通した。 「もう連絡しない方がいい?」 「そんなことないよ。何かあったら電話して。俺もそうする。そう云えば、大学に入ったばかりだったよね。おめでとう」 「それ、先月の十日に聞いたけど」 所詮口先だけだと分かっている。この男は前回、自分と何を話したかすら憶えていない。自分はその程度の存在なのだ。指摘されたケイは、誤魔化すように笑って下を向いた。 「大学には俺達が通ってた高校と違って色々な奴等がいる。君と気の合う友達も必ず見つかると思うよ。勉強は大変だけどね。良い友達が見つかることを祈ってる」 ホテルを出ると、目と鼻の先に路面電車(トラム)の停留所がある。ちょうど眼の前で車両が出て行ってしまい、ユーイは諦めて、石畳の続く道を歩き出した。 あんな悪徳な人間からも見放されるなんて、自分はほとほと業が深いと思う。 けれど彼が、自分のような人間にも居場所を与えようとしてくれたのは間違いなかった。彼は一度もユーイを否定しなかった。あの男の性癖と、ユーイの抱えるものは似て非なるものだったが、人に理解されないものを抱えている点では一緒だった。結婚すると聞いた時には冗談かと思った。あの男が婚約者の女にどんな風に触れるのか、見てみたい気もする。

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