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第8話
人の部屋に上がるのに空手 で行くわけにもいかず、ユーイは途中で適当なショコラを買った。
多分、間違いはないはずだ。食卓の邪魔をしないもので、相手の好みに合うもの。大丈夫だ。ショコラを嫌いな人間なんていない。・・・ああ、でも、チーズの方が良かっただろうか?
あとは時間だ。十二時が約束の時間だが、少し遅れて行くべきだろうか。友人の家へ行くのは中学生の時以来だ。サリュを友人と呼べるなら、だが。
サリュは一人暮らしのはずだ。以前、観光地として有名な海沿いの町から進学のために出て来たと云っていた。
電話で告げられた住所を調べてみると、サリュのフラットは駅の南側にあり、駅前通りから一本入ったところに位置しているのが分かった。
実際に建物の前まで来た時、ユーイはその外観に眼を奪われた。
無駄な装飾がなく、建材が新しいのが見てとれた。間違いなくここ数年以内に建てられたものだと分かる。周囲の雰囲気との調和が取れていないのはユーイの住むコンドミニアムと同じだ。どちらも色合いがシックな所為か、どことなく自分達の住まいは似ているように感じられた。新しくて便利で丈夫。それの何が悪い?と、誇り高く孤独に佇んでいた。
オートロックシステムも同じく新しいもので、耳障りなブザーの代わりに澄んだ呼び出し音が鳴った。
サリュの明るい声と共にロックが解除される。ユーイは二階へと階段を上った。待ち侘びたというような部屋の主の表情が眩しかった。
「早かったね。迷わなかった?」
「お前よりこの辺の土地勘はある」
玄関を入った直後に靴を脱いでくれと云われた。ユーイにその習慣はない。怪訝な顔をすると、実家での習慣なのだと云われた。
「もうずっとこうだったから脱がないと落ち着かなくて。悪いけど付き合って。床はきれいにしてあるから」
仕方ないのでユーイは履いて来たスニーカーの紐を解き、扉の脇に並べた。
サリュの部屋の第一印象はベージュだった。壁紙もそうだが、寝具も家具も柔らかい色調でまとめられていた。だが天井だけはテラコッタだった。きれいな色だが変わっている。部屋の奥のキッチンの壁面にはアイビーグリーンのタイルが印象的だった。家具の中で一等眼を引いたのはダブルサイズの寝台だ。部屋に入ってすぐの場所にある。女を連れ込むのに便利な動線というわけだ。いや、女とは限らないのか、と思い直す。
「ユーイは生まれてからずっとこの町だっけ?都会っ子だね」
「この辺りが発展し始めたのはここ五、六年ぐらいだよ。もともと人口の多い町だけど」
そう答えてから、手土産のショコラをサリュに手渡した。
「これ。冷蔵庫に入れろ」
「ええ?わざわざありがとう。あとで一緒に食べよう」
端整な顔に子供っぽさが宿った。そんな風に喜ばれると面映 ゆく、会話の接 ぎ穂を見失ってしまう。サリュはそんな様子には気づいた風もなく、既に料理はできあがっているから坐ってくれと云う。勝手の分からない部屋で手伝いを申し出るのは逆に相手の負担になると考え、ユーイは云われた通りすぐに坐った。
天気の良い日だったので、サリュは部屋の窓を少し開けていた。この部屋にはセントラルヒーティングは設置されていないようだ。壁面にラジエーターが見当たらない。その代わりに、海外メーカーのエアコンが壁に取り付けられていた。このフラットのような新しい建物では、こういった設えが増えているらしい。今日この時間帯は充分に暖かく、電源は切られていた。
チーズやクロワッサンの後で、カラフルなサラダニソワーズとレモンクリームのパスタが順序良く運ばれてきた。ユーイは最近、こういうしっかりした食事をしていなかった。メインは食べるが、前菜や付け合わせまで手がまわらない。母が出て行ってからはいい加減な食事をすることが多かった。こんなにも彩り豊かな食卓を前にするのは久しぶりだ。
「どう?」
食事をしながらサリュは味の感想を求めてきた。
「いける」
「良かった」
「本当にこれ、お前が全部自分で作ったのか?」
「いや?朝から女の子数人を呼んで作らせたんだよ。俺はこのカットしたレモンを添えただけ」
冗談を云って親しみを見せてくるサリュの本心がユーイは読めなかった。本当に仲直りをしたいだけなのだろうか。相手のペースに乗せられる前に、目的を確認しておかなければいけないと思った。
「・・・食事の相手なら、俺じゃなくても良かったと思うけど」
「これは一昨日のお詫びのつもり」
「こんなことしたって俺達が合わないのは変わらないだろ。第一、お前みたいな奴は嫌いな相手に好かれようとしなくたって、充分友達が周りに」
「俺はユーイを嫌いだなんて一言も云ってないよ」
サリュはカトラリーを置き、改まった様子で視線を向けてきた。
「一昨日 は悪かった。昨日一日色々考えたんだけど、何か云うにしても云い方を考えるべきだった。ごめん」
昨日一日。大袈裟に云っているだけだと分かっていても、そこに心が反応した。
「ちゃんと君と話したこともないのに、いきなり助言をしようなんて傲慢だったんだ」
「・・・そんなに、思い悩むようなことじゃないだろ」
「俺にとっては大事なことだよ」
謝らない人間が多い中、サリュの態度はもの凄く貴重に思えた。悪い奴ではないのかも知れない。彼は見た目がいい。そのため、普通よりずっと他人の好意に恵まれて育ち、本人も無意識のうちに尊大になってしまったところがあるのかも知れない。考えてみると、彼ばかりが悪いわけではないような気がする。
サリュはユーイが許すかどうかについては訊ねてこなかった。ユーイの方も、相手に許すとは云ってやらなかった。僅かでもこの男より優位な立ち位置を確保しておきたかったからだ。つまらない意地だった。
その代わり、食材や料理についての他愛のない話を持ちかけると、サリュはそれに対しては屈託なく応じてきた。サリュが出してくれた白ワインは料理に合うものだった。本当のことを云うとユーイはあまり酒に強い体質ではなかったのだが、自分に注がれた分はきっちりと呑んだ。それを見ていける口と思われたのか、サリュは嬉しそうに今度は赤ワインを出してきて注いでくる。今回の白ワインと同じで、いいものを知り合いからプレゼントされたのだと云った。これを呑み終えたら次は固辞しようと決め、ユーイはグラスを口に運んだ。
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