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第19話
「ラキは君が嫌いになったみたい。仲良くしたかったけど、媚びる気はないって」
あんな奴のことはどうでもいい、とユーイは思った。
「それより、お前も俺に幻滅したみたいじゃないか」
「幻滅?」
「嫌いだって云った」
ユーイは神経質な眼でサリュを見ている自覚があった。
「俺が云ったことを気にしてるの?」
「別に、気にはしてない」
何がおかしいのか、サリュはユーイの言葉を聞いて微苦笑していた。
「確かにあの時、話しててちょっと困った奴だなとは思ったよ。けど君だって、本気じゃなかっただろ?」
「本気だって云ったら?」
「そんなわけない。今はちょっと意地になってるだけだ。ユーイは、本当は優しい」
「お前、俺の何を知ってるんだよ?」
「君はそうやって俺を試してるだけだ。悪い奴を演じて、どこまで許されるか確かめてる。云っておくけど俺は、君の間違いを指摘することはあっても、君から離れることはない」
こんな言葉を聞かされるなんて、ユーイは全く予想もしていなかった。
そしてサリュの告白を思い出した。あの時感じたのと同じ真剣さに、再び胸を貫かれた。
胡散臭いと云いたげにユーイは顔を背けてみせたものの、本音では安堵している自分に気づいていた。だが同時に、苦しくもなってしまった。
サリュは真剣で真正直な男なのかも知れない。
けれど、自分のことを本当に理解しているわけではない。
自分は彼が期待しているような人間ではない。愛想はないし、卑屈だし、無趣味のつまらない人間だ。人に嫌われる天才でもある。その上、体の中には怪物を飼っているのだ。それに何より、自分がこれまでしてきたことを知られたら。その時は、確実にこの男は自分から離れていく。サリュに限らない。きっと誰だってそうする。
この男の誠意が本物でも、自分は応えられない。ここまで云ってくれた相手に、いつか失望された時のことを想像すると悲しくなる。
「君から話しかければラキはまた仲良くしてくれるよ」
この話はこれで終わり、と云う代わりに、サリュはユーイに笑顔を一度向けた。
「そうだ。これ渡さなきゃ。はい、この前のシャツ」
サリュはきれいに折り畳んだシャツを部屋の隅から持って来て、ユーイに手渡した。きちんと洗濯をして、アイロンがあてられたシャツだった。なくなった釦がどこだか分からないほどしっかりと縫われている。確か上から二番目だったと思い、そこの釦を軽く引っ張ってみたがきっちり縫いつけられていてびくともしなかった。
自分のためにサリュがかけてくれた手間のことを考えると、ユーイの胸は軋んだ。何の義務もないのにこんなことをしてくれるなんて。
「今、珈琲淹れるからね」
そう云ってキッチンに向かおうとしたサリュの腕を、ユーイは掴んだ。
「どうかした?」
ユーイはすぐには反応できなかった。何か言葉を発しなければ不自然だとは思ったが『ありがとう』、その一言がどうしても云えなかった。それ以外の言葉を探してみたが、余計に頭がこんがらがるだけだった。素直に礼の一つも云えないなんて、いつから自分はこんなひねくれた人間になってしまったのだろう。
その時、ダブルサイズの寝台が視界に入った。
そうだ、その方が言葉よりもっと簡単かも知れない。
ユーイはサリュの問いかけには答えないまま、その腕を引っ張って行って彼を寝台に坐らせた。シャツを自分の傍らに置き、無言で床に膝をつくと、おずおずとサリュの足の間に入り込んだ。
お前の気持ちには応えられない。
はっきりとそう云うつもりだ。
けれどその前に、借りを返そうと思った。
食事を作ってくれたり、シャツを縫ってくれたりということもそうだし、ニールのいかさまを止めてくれたり、マリーナの気を逸らしてくれたこともそうだ。そういったことに対する返礼をしなくてはならないと思っていた。あれこれ言葉を連ねるより、こうするのが一番いい気がした。何より、同じことを返してやれば自分の気が済む。
眼を合わせないまま相手の服をたくし上げ、ベルトを解こうとすると、サリュはその行動からユーイの目的を察したらしく、くすりと笑みを零したような息遣いが聞こえた。
「してくれるの?」
あまりこういう時に言葉を発したくはない。これから自分が、誰に何をしようとしているのかなんて改めて考えたくもない。けれどこの男に対して、他に何かしてやれることが思いつかなかった。
ユーイは黙したまま、引き続き相手の服を脱がしにかかった。
「待ってて、自分で脱ぐよ」
憎らしいことにサリュは何の躊躇も見せなかった。ユーイの前でさっと立ち上がり、眼前でデニムを下ろした。
「ユーイも脱いだら?」
「ふざけるな」
サリュは肩をすくめ、再び寝台に腰かけた。
「真剣に云ってるんだけどな」
ユーイは無視を決め込み、顔にかかっていた髪を耳にかけた。仕事でよくしているとはいえ、抵抗が全くないわけではない。けれど一旦口に入れてしまえば、後は作業と同じだ。 客の時もそうだが最初、ユーイはあまり相手の性器を直視しないようにしている。ささやかな現実逃避だ。この時もそうしていた。
覚悟を決めて、正面を見た瞬間、息を吞んだ。
ユーイが相手にしてきた男達の中でもサリュの性器はかなり大きい方だった。今は常態だが勃起したら恐らく、完全に咥え込めるか分からない。この男の経験値を鑑みると長期戦になるかも知れない。若干の焦りを感じているところへ、サリュの視線を感じ、ユーイは顔を上げた。
「見るなよ」
「えー、仕方ないな。じゃあ寝転んでもいい?」
完全にリラックスしている様子のサリュに対し、ユーイは釈然としない気持ちだった。以前、自分がされた時はこの男相手にひどく緊張していたというのに。だがこのまま終始じっと見られているよりはいいと思った。サリュが寝転んだ後で、ユーイも寝台に上がった。
これが終わったら、きっともう一人でここに来ることもないだろう。仲間として、今まで通り学校で振る舞えるだろうか。
仰向けになった下半身に顔を伏せる直前、ユーイの眼に少し尊大な雰囲気のサリュの表情が映った。
背中がぞくりとした。恐らく、経験豊富なこの男にとっては、こんなのは大したことではないのだろう。お手並み拝見とでもいうような表情だった。だがサリュのこの態度に、ユーイは反発心や抵抗を感じなかった。むしろ、それとは真逆の感情が呼び起こされた。
被虐性欲というものだろう。
ごく稀に、こういう気持ちにさせられる相手がいる。ケイがそうだった。普段は優しいのに、ふとした時に逆らえないと感じる。全身で奉仕したくなるような衝動に駆られる。体に甘い毒がまわったかのように、一瞬で感覚が浮遊して、呼吸が熱くなる。
実はサリュにキスをされた時も似たような感情に陥っていた。あの二回目のキスの時だ。あの不意に湧き上がってきた、怒りとは呼べない、どうにももどかしい、ぶつけどころが分からない、柔らかいものに掻き乱されるような、混乱した感情の渦。
あの感覚の正体は、これだったのかとユーイはこの時気づいた。
自分の中にマゾヒスティックな面があることには、随分前から気づいていた。そうでなければケイの性癖に付き合うことはできなかっただろう。
ユーイは嗜虐と被虐の両面を持っているのが人間だという考えている。要はどちらが刺激されやすいかということだけだ。
ユーイは自分を間違いなく嗜虐心の強い人間だと思っていた。だが、特定の人種に対しては奉仕の側にまわりたいと思うことがある。残念なことに、客相手にこの被虐を求める感覚が働いたことは一度もなかった。ケイだけだった。鞭や縄、ケイのテクニックがそういう感情を呼び起こすのだと思っていた。
けれどまさか今、ちょっとサリュに見られただけでこんな気持ちになるなんて思っていなかった。まるで本能的に、体が負けを自覚したかのようだった。それが不思議なことに、驚くほど不快ではない。全てを曝け出して従服して媚びた方が相手も自分も満足できる。そんなことを脳が囁いているような気さえする。心臓がどきどきして体が熱っぽく感じられてきた。
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