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第24話

「今日の放課後ラキも一緒でいい?」 サリュにそう云われたのはその日最後の講義の直前だった。いくら相手がラキでも、本人を眼の前にしてはっきりと拒絶するのは躊躇われた。ラキはサリュとユーイの間に坐っていたのだ。ラキは遠慮がちにユーイの表情を窺っていた。 「・・・いいけど」 「いいの?ユーイ、急にごめんね」 「別に」 以前、ラキはユーイから不当にいじめを受けて怒っているとサリュが云っていたが、今回、ラキに全くそんな気配はなかった。 あの日、ラキに対してしたことに今でもユーイは理由がつけられない。多分、客に襲われて気が立っていた所為だ。何だかんだ云っても、あんな目に遭ったのは初めてのことだったから。 ラキに受け答えをした直後、その後ろにいたサリュと眼が合ってウィンクをされた。 サリュは自分と二人きりにならないよう気を回してラキを誘ったのだろう。自分のためにそうしてくれたはずなのに、何故かユーイの腹の中に腑に落ちない何かが滞留している。 講義の最中、サリュはラキに消しゴムを借りたり、配布されたプリントについて何か訊いたりしていた。自分には関係のないことだとは思いつつも、些かその距離感が近すぎるようにユーイには感じられた。 帰り道、肉加工店(シャルキュトリー)の店先でハムを指しながらラキが、サリュを呼び止めた。 「これ美味しそうだよ。昨日ハムがないって云ってなかったっけ?」 「そうだね、買って行こうかな」 店先のガラスケースを覗き込んでいる二人を見ながらユーイは、ラキの言葉に引っかかるものを感じていた。 昨日。まるで昨日も一緒にいたみたいな口ぶりだ。 昨日サリュは、撮影のアルバイトがあるからだめだと云っていたのに。 サリュのフラットに着いた後も、ラキは勝手知ったるといった感じでキッチンの棚を開け、三人分のカップを棚から出し、トレイを出して並べていた。どこに何があるのかを把握しているのだ。サリュもサリュで、 「ラキはいつもミルクを入れるけど、今回はまずストレートで飲んでみよう」 などと云っている。珈琲の好みまで把握しているらしい。 せっかくの高い豆なのに、珈琲の味なんか分からなかった。 誰も非難すべき人間などいないはずなのに、何故か苛立ちが募る。 「うん、この珈琲は美味しいね。深みがある。当たりだよ。オールドビーンズでもね、味は結構色々だから。これはうまく焙煎されてると思う」 ぴんときていないラキに対し、サリュはオールドビーンズが何たるかを手短に語っていた。教養が深いのか、好奇心が強いために情報量が多いのか、ユーイにはまだその判断がつかない。 「へえ、そんな手間がかかるものなんだ。ありがとうね、ユーイ」 ラキに云われたところで、ユーイは珈琲を飲み終えた。そして、ケイとの約束の時間までは大分間があったが、帰ると云い出した。 「え?もう帰っちゃうの?」 ラキはびっくりしたような声を出していたが、用事があるというユーイの返答に素直に納得した。サリュはユーイを引き止めるような素振りは見せなかったが、代わりにユーイに続いて靴を履いた。そしてラキに、 「フラットの下まで送って来るよ。ついでに郵便物を確認して来る」 と云った。 先を歩くユーイに、サリュは階段の途中で後ろから声をかけてきた。 「ユーイ、俺また何か間違えたかな」 「何が?」 「二人では会いたくないんだよね?」 だからラキを連れて来たと云いたいらしい。ユーイはぶっきらぼうに答えた。 「そうだよ。だから助かった」 「・・・そう」 「お前と二人でいたら何されるか分からないからな」 ひどい云い草だった。完全に行き場のないわだかまりや苛立ちをこの男にぶつけている。 「俺は珈琲を飲みたかっただけだ」 「それもあったと思う。でもさ、今は何考えてるの?」 ユーイは無言で階段を下り続けたが、踊り場まで来たところでサリュに行く手を塞がれた。 「だめ。ちゃんと話してからじゃなきゃ帰さない」 「何だよ、ラキと仲良くしてやればいいだろ。あいつにはお前しかいないんだから」 「俺には君しかいないんだよ」 打てば響くといった調子にユーイは思わず相手の眼をまともに見た。 「恋人になれないのは分かってる。だからせめて君にとっての一番の友達になりたい。君が一番いいと思える方法で、俺と友達付き合いをして欲しいんだよ。今日は他の誰かを間に挟んだ方が、君の負担がないと思った。どこか間違えてたなら教えて欲しい」 「お前は一つも間違えてない。俺こそ邪魔だった。ラキは最近よくここに来てるみたいだし、仲良くしてるんだろ?」 「うん、前も云ったけどいい奴だよ。学校じゃ、あまりゆっくり話せないから」 「なら今日も二人で楽しめばいい」 不意を突いてユーイはサリュの横をすり抜けた。今度は少し足早に階段を駆け下りた。 「俺は君といたい」 後ろから呼びかけられて、ユーイはもう少しで、 莫迦かと口にするところだった。莫迦だ。そうでなければ狂っている。 けれど自分も大概おかしくなりかけている。こういうことを云われる度に、この男から肉欲にも何にも勝る至愛を、抱かれているような気にさせられる。 「何で俺なんだよ」 「分からない。何でだろう」 外から入ってくる陽の光を浴びて、サリュのプラチナブロンドが一層神々しく見えた。この男は神の命を受けて、この薄汚れた自分を孤独と悪徳の泥海から救い出そうとしている大きな天使なのかも知れない。 「本当はまだ時間あるんでしょ?一緒にいてよ」 「・・・この状況で戻るのも変だろ」 ユーイが躊躇いを見せると、サリュは畳みかけた。 「もし君が、今日は俺と二人でも構わないって云うなら、ラキにはうまく断って来る」 「でも」 「大丈夫だよ、俺に任せて」 それから辺りを見回し、柱の影にユーイを誘った。 「ちょっとここにいて。すぐ戻って来るから。帰らないでね」 そう云って階段を駆け上がって行った。 五分ほどして、サリュとラキの話し声がユーイの耳に届いてきた。彼等は会話をしながら階段を下りて来た。 「・・・サリュのお姉さん、こっちで働いてるんだっけ?」 「いや、出張で来てるだけだ。急に時間がとれたみたいでさ。それなら前もって来てることだけでも教えてくれたらいいのに。今日は本当に残念だよ。ごめんな」 「いいんだ。せっかく近くまで来てくれてるなら、ちゃんと会った方がいい」 「女きょうだいなんて口うるさいだけだよ。どうせ、弟の暮らしぶりに点数をつけに来るだけだ」 「愛されてるんだって」 二人は仲良く笑っていた。 「また今度埋め合わせはするから」 「ほんと?今してくれる?」 ラキの眼の色があだめいた気がした。あのラキがこんな一面を持っているなんて、ユーイは思いもしなかった。顔を近づけようとしたラキに対し、サリュは狼狽えた様子もなく、 「監視カメラがある」 と微笑みながらも冷静に答えた。 「・・・流石、最新設備のフラットだね。分かったよ、じゃあまた今度」 ラキが立ち去ってから、ユーイは柱の影から出て来た。 「ごめんね、待たせて」 たった今目撃したことの意味を訊ねようかと思ったが、あえてユーイは気にしないふりをした。そんなことを訊ねたところで、何が嘘で何が本当かなど自分には分からない。 それに何も知らない方が、何故か自分が救われる気がした。

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