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第36話

先刻(さっき)、お前が云ってたんじゃないか。親父が心配するって」 「あれは建前だ。親父さんは君のことになんか関心がない。電話だって一度もかかってきてないじゃないか。君の方からメッセージを一度送ったきり。普通はいくら友達の家に泊まるって云っても、一週間も過ぎれば心配するもんだ。出て行ったっていう母親の方なんかもっとひどい。もう何か月も履歴がない。最後のメッセージは、自分の荷物を取りに行く日にちの確認だけだ」 何を云われているのか一瞬分からなかった。何故そんなことを彼が知っているのか。 「俺の携帯、見たのか?」 「また何処の誰に呼び出されるか、分からないからな」 サリュは全く悪いとは思っていない様子だった。携帯電話のロックを解除するパターンを、見て憶えたのだ。目敏いこの男には簡単なことだったに違いない。複雑なパターンではない。指紋認証の機能もユーイは使っていない。そもそもロック機能自体、周りに勧められて設定しただけで、実際に覗かれることなど全く想定しておらず、暗証番号も誕生日という無防備っぷりだ。自分の警戒心が足りない所為とはいえ、そういうことをしていいのかと非難じみた眼つきでサリュを見た。だが彼は平然としていた。 「ユーイは他人のことをちゃんと見てない。だから傷つく羽目になるんだよ。はっきり云って、人を見る眼がない。そのケイって奴の本性を見抜けなかったのがいい証拠だ。前にも云ったよね。君はどうしようもなく寂しがり屋で、流されやすいって。その上、プライドが高いからいちいち騒ぐことをよしとしない。俺だけじゃなく、ジギイだって君のそういうところを見抜いてるんだよ。大学に入った時、最初に話しかけてきたのがあいつだったんだって?」 思いもよらないところに話が飛んだ。突然何を云うのかとユーイは相手の眉を読もうとした。 「本気でジギイと友達になれると思ってたの?合わないって最初から分かってたはずだよ。対等に扱ってもらえるわけないって。他にグループはいくらでもあったのに」 「あいつが執拗(しつこ)かったんだよ」 苦し紛れにユーイはそう云い返した。 「どうしてジギイが君を手放さなかったのか分かる?使いっ走りがグループには必要だからだよ。あいつは頭は良くないけど、眼だけはいい。君が押しに弱いのなんか最初からお見通しだったはずだ。プライドが高くて強がってるくせに、友達探しに必死な奴って君の他にも割といるんだよ。俺も今まで何人か見てきた。けど、そういう奴は損することが多いよ。本当の仲間ができにくいし、自分が不当な扱いをグループ内で受けても不満が云えない。しかもそういう立場にいることを本人が認めようとしない。君の場合は、たまたまラキが入ったから助かってただけの話だよ。彼がいなくなればその役目が君に回るのは眼に見えてる」 「そんなこと」 「分かってないとは云わせない。でも君のことだから、まさかジギイにそんな風に扱われるようになるなんて思ってもいなかったんだろうね。多少強引でも、少しは情のある奴だと今でも思ってるんだろ?」 ユーイは入学した日のことを思い出した。ガイダンスで何か書くものを貸してくれと云われたのがジギイと最初に交わした会話だった。その後カフェに行き、週末に映画に行く約束をした。呑みに行って、ダーツをした。それで友達になれたつもりでいた。週が明けると、ニールがいた。翌日、ミュラニーとマリーナ達が加わった。その他のメンバーが次々に加わり、最後にサリュとラキがやってきた。ユーイはどんどん末席に追いやられてしまったのだ。 「携帯のメッセージの履歴を見ても、誰も彼も事務的な連絡ばかりだった。その他大勢に送るような内容だよ。アルバイトのシフト連絡とか、呑みに行く日時を(しら)せるグループメッセージとか。君だけに送られた言葉なんて一つもない。一体、何処に君の味方がいる?」 傷ついた。自分でも分かっている。人生最悪のあの日、本当に何処にも頼れる人間がいないと気づいた。自分は他人から指弾されていたわけではないけれど、好かれてもいなかった。声を上げても誰一人助けてくれないかも知れないと思うと、孤独を自覚しないわけにはいかなかった。 「俺だったら絶対ユーイを一人にはしない。君の親より君を理解して、愛してやれる」 他の人間が云ったら陳腐な響きを持ちそうな、愛、という言葉をサリュは難なく云ってのけた。 その言葉にユーイは敏感に反応した。愛なんて言葉を向けられたのはもしかしたら初めてかも知れない。 「先刻の話は、はっきり云ってショックだったよ。でもだからって君への気持ちが変わるわけじゃない。やっぱり君はとてもきれいだしね」 ユーイはサリュのその言葉が信じられなかった。 「嘘だろ?」 「何で?嘘なんか吐く理由がない」 この時の彼の言葉は静かで、毅然とした響きを持っていた。まるで何かの誓いのようだった。 「・・・他にいくらでも相手がいるのに、どうして俺なんだよ?俺のこと運命だとか何だとか云っても、他の誰かに誘われたらそいつと寝るんだろ?」 「うん、そうだね。云い訳はしない。必要だなと思えば俺は誰とでも寝る。云っただろ?寂しそうな子相手には断れないんだ。でもそうだとしても、君のは俺のところに帰って来なきゃ」 「ふざけるな、どんな理屈だよ」 「俺はユーイが欲しがってるものを与えられるよ ?絶対に君を孤独にしない。絶対に君を嫌わない。見たくないもの全部から守ってあげる。いつでも君が安心して帰って来れる安全基地になる。他の誰にそれができる?」 強い輝きを放つ青い瞳で、サリュはユーイを見据えた。 「俺には自信がある。君に寂しい思いは絶対にさせない。もう他の誰かに頼る必要はない。俺が君の全部を請け負うよ。もう自分の中身に怯えなくたっていい。ユーイはそのままでいいんだよ。無理に変わる必要なんか全くない。怖いことや難しいことは何も考えなくていい。何も心配するな。ずっと一緒にいよう」 その言葉にユーイは人生で最も強い衝撃を受けた。これまでに知ったどんな痛みよりも心臓に深くさし込み、今まで感じたどの快感よりも胸を熱く()き焦がした。 「ずっととか、そんな・・・できもしないこと」 「君がその気ならできる。何処にも行かなければいい」 サリュは正面からユーイの両手を優しく掴んだ。云い聞かせるような姿勢だった。 「選ぶのはユーイだよ。でも今日帰るって云うなら、もう二度とここへは来ないで欲しい。学校でも話しかけないで。俺は返事をしない。ジギイ達からも、もう助けないよ」 そんな断ち切り方はひどいと思った。唐突に退路を断たれたことで、ユーイは正常な判断力を失いかけた。けれど自分がこれまでにしてきたことを省みれば、無条件で縁を切られても文句は云えないのだ。 サリュは片手を離してポケットからいつも使っているキーケースを取り出した。茶色い革がよく使い込まれて独特の味を出している。彼はそこからくすんだ金色の鍵を一本取り外した。 「うちの鍵だよ。ここにいるなら君にあげる。俺はもう一本、予備があるから心配要らない。この先、俺とずっと一緒にいる気があるなら受け取って」 そう云って鍵を持った手でユーイの手を握ってくる。鍵を握り込むのを待っているのだ。彼はそれを期待している。ユーイは判断する前に一度サリュの顔を見た。 まるで結婚を申し込まれているみたいだと思った。もちろん、純粋な愛の告白とは云えない。彼の要求は強引で性急で、脅し、揺すりをかけてきている部分が確かにあった。これがサリュのやり方だということは気づいていた。心に引っかき傷をたくさんつけて、奈落へ突き落としておいて、直後に温かい両手で包み込もうとしてくる。まるで世界には自分しか救いがないような気にさせてくる。 お前には味方がいない。お前には見る眼がない。お前の運命は俺だ。だから俺だけ見ていろ。 けれど狂気を孕んだこの申し込みに、ユーイは心奪われていた。 サリュの手の感触が、温度が、ユーイの掌の中で鮮明だった。わけも分からず悲しくなってしまった。これほどの思いをぶつけられて、振り切ることなどできない。今更一人には戻れない。 この男なら、自分を認めてくれるかも知れない。 分かり合えなくても、許し合えるかも知れない。 そうしたら、愛し合っているのと何も違わない。 「・・・俺、男なんだけど」 「今更?」 サリュは笑った。 「料理はしないし、服だって適当だし」 「俺が作る。服だってコーディネートしてあげるよ。君は今のままでも充分素敵だけどね」 「アルバイトだってきっとクビになってる」 「生活費なら俺が何とかするよ。心配しないで」 「セックスだって・・・この先」 「俺はいくらでも待てる。何なら契約書でも交わしておく?」 婚前契約ということか、とユーイは思った。 「俺はユーイが傍にいてくれれば何だってできる気がするんだよ」 「・・・ずっとって、いつまで?死ぬまでか?」 「死んでも、だよ」 ユーイは鍵を握り込んだ。その時からサリュのものになろうと決心した。 正直、まだサリュの言葉が信じきれなかった。自分の価値を見失ったままだったし、物事には永遠なんてないと思っている。けれど、無価値同然のこの自分をサリュは欲してくれている。もしこの男にとって値打ちがあるのなら、そう云ってくれるのなら、この男が飽きるまで、捨てられるまで、ここにいようと思った。 その日から二人で暮らし始めた。 翌日の日中、大学で使うテキストや僅かな服などを取りに二人でユーイの家へ行った。平日だったので当然父とは顔を合わせないまま、ユーイは部屋を出た。 「とってもいいコンドミニアムに住んでたんだね。広かったしきれいだった。ユーイの家ってもしかして金持ち?」 「そう思ったことはないけど」 「でも、うちの方がずっと居心地がいいと思うよ」 いくらかの自信を持ってサリュは云う。嬉しそうだった。 サリュの云う通りだと思う。狭くたっていい。何処であれ、誰といるかが大事なのだ。 自分の選んだ人間といること。 それは人生における幸せの一つなのかも知れないとユーイは思った。

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