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第39話
そんな風に暮らしているうちに大学がクリスマス休暇に入ろうとしていた。
休暇前、ユーイはラキに、これ以上ないほどの嫌味を云われた。喫煙所にユーイが一人でいたところ、つかつかとやって来た彼に、声をかけられた。
「サリュが最近家に入れてくれないんだ」
いきなりだった。倹のある声と目つきにユーイは途惑った。
だがユーイが言葉を返す前にラキは唐突に微笑み、
「火、貸してくれる?」
と穏やかに訊いてきた。そしてユーイがポケットから点火器を探り出すや否や、乱暴な仕草でそれを奪い取ると火を点けた直後に思いきり投げつけてきた。わざと外したのか、点火器はユーイには当たらず、後ろの壁に跳ね返って床に落ちた。
「おい」
「拾えよ」
「お前な」
「いいから拾えっ」
流石にユーイが云い返そうと口を開いたところ、ラキは憤然と眼をぎらつかせた。これまでに見せたことのないその気迫に、ユーイは口を噤んだ。周囲には関係のない学生が何人かいたが、今のラキには見えていないようだった。
「みんなには、実家から来た猫を預かってるからってサリュは説明してたけど、そんなの嘘だって分かってる。君の所為だよね」
「・・・何の話」
「しらばっくれるなよ、本当に刺し殺したくなる」
まだユーイには、相手の敵意が理解しきれなかった。
ラキは憤りを込めた、刺すような視線でユーイを睨みつけた後で、今度は些か狂気じみた目つきで破顔した。
「サリュの親友になれて、どんな気分?」
「・・・は?」
「途中まで俺とサリュはうまくいってた。でも君が邪魔をした。君は毎日サリュの部屋に帰って行って、毎朝そこから学校に通って来てる。一緒に暮らしてるんでしょ?一体いつから?もしかして付き合ってるの?」
ようやくユーイにも、ラキが何故これほどまでに敵意を剥き出しにして来るのかが理解できた。確かにサリュはここ一か月以上自宅に他人を招いていない。自分を気遣ってのことだとはユーイも分かっていた。
「ねえ、一体どんな不幸を売りにしてサリュの気を引いたわけ?幼稚園から小学校中学校高校といじめられ通しだった俺よりも、もっとすごいエピソードがあるの?」
ラキの眼は暗かった。少しの間黙り込み、じっと煙草を燻らせていた。彼が何を考えているか、どんな行動に出るかがユーイには読めなかったので、絶えずユーイは警戒していた。
「聞かせてよ、君の持ってる何であいつを釣ったのか」
「釣ってなんか。俺は何もしてない」
「やっと俺にも味方が現れたと思ったのに」
その呟きを耳にした途端、ユーイは胸に疼きを覚えた。
相変わらず周囲の視線をものともしない様子で、ラキはユーイを睨み据えてきた。
「俺、サリュのこと友達だとは思ってないから。意味分かる?」
吐き出した煙草の烟がユーイにかかるのも構わず、ラキはそう云った。
「どうせ君達、長続きなんかしないよ。急激に燃え上がったものって、消えて冷めるのも早いんだから。今のうちから精々一人になった時の心の準備をしておくことだね」
ラキが立ち去った後、ユーイの胸の中の疼きは痛みに変わっていた。
自分がずっと真の理解者を求めて日々を送っていたように、ラキもまた誰かに自分を肯定してもらいたいと願っていたに違いない。
そして自分はあんな風に素直に嫉妬に狂ったことなどない、とユーイは思う。
休暇中は帰省するというサリュのスケジュールは、友人達の誘いからでいっぱいになり、アルバイトも含めればほとんど休みはない状態になった。だが帰省するというのは、サリュの嘘だった。彼は年明けまでの休暇を一切邪魔されずにユーイと過ごしたいがために、周囲にそのような嘘を吐いていたのだった。
「休暇中はずっと一緒に過ごそうね」
「アルバイトも休みなんだろ?だったらちゃんと実家に帰れよ」
その言葉が、嬉々としていたサリュの気持ちに水を差してしまったということにユーイはすぐ気づいた。
「何で?」
「何でって、クリスマスっていうのは家族と過ごすものだろ」
「俺と一緒にいたくないの?」
サリュの携帯電話が鳴っている。電話の着信だった。サリュが出ようとしないので、ユーイが画面を操作して通話にし、強引に本人を電話口に出した。どうやら今夜も出かけなければならないようだ。見も知らぬ女の甲高い声が受話口から聞こえてくる。女からの電話を愛想良く切ると、サリュはユーイを不思議そうに見てきた。
「ユーイは嫉妬しないよね」
「する必要がない」
「それは痩せ我慢?余裕?」
「どっちでもない。お前が本気で他の奴を好きになったら仕方ない。あの部屋を出て行けって云われれば出て行くし、云われなければずっといる。それだけだよ。お前が他の誰かを好きになったら仕方ない」
「ねえ、俺って一応君に好かれてるんだよね?何でそんなにあっさりしてるの?怖いぐらいなんだけど」
サリュは遊びを全て外で済ませ、一切持ち帰って来ることはなかった。必ず誰と何処にいるかユーイに連絡を入れて来たし、基本的に夜九時を目途に帰って来た。部屋に誰かを連れ込むなどして、ユーイを追い出すような真似はしなかったし、ユーイと何かしている最中は電話がかかってきたとしてもほぼ出ず、出たとしても長引かせることはなかった。実に巧く話を切り上げて、見事に短時間で電話を切るその手際の良さには、感心せざるを得なかった。
「お前は俺の悪い癖を許してくれてる。だから俺もそうしたい。それだけだよ」
少し離れたところからラキがこちらを見ている。正確にはサリュだけを見ているのだ。
「行ってやれば?」
拘りのない声でユーイがそう云うと、今度ははっきりと気分を害した様子をサリュは見せた。
「行ったきり戻って来なくなるかも知れないって少しは思わないの?」
「嫉妬して怒り狂って泣き叫ぶような相手がいいのか?」
「好かれてる自信がない。一度くらい君の方から好きだって云って欲しいんだよ」
ユーイは意表を突かれて、改めてサリュの方を見た。彼の眼差しは不安で揺らいでいた。
だが一瞬眼を伏せた後、すぐに人当たりのいい笑顔をその美しい顔に浮かべて、さっとラキの方を振り返った。その切り替えの鮮やかさに見惚れ、言葉を失ったままユーイはサリュの背中を見送った。
確かにサリュの云う通り、ユーイの方から彼に対して好きだと云ったことはなかったかも知れない。その言葉を避けていたわけではなく、今まで云う必要がなかっただけだ。けれど、云う必要がないから云わなくていいのかと問われれば、そうではない気もする。
帰省することに関しては、ユーイは意見を変えなかった。サリュに対し、帰るように強く勧めた。サリュの屈託のなさや自己肯定感の強さは、きっと愛情深い家庭における育ちの良さからくるものだろうとユーイは考えていた。サリュの家族からメッセージはよくきていたし、たまに電話もかかってくる。そういう家族がいる家庭には、ちゃんと帰った方がいい。八十を過ぎた祖父さんがいるんだろ、顔を見せてやれ、一緒に食事をしてやれと云うと、サリュも少し考え込む様子を見せた。
「ユーイはどうするの?」
「親父の顔ぐらいは見に行くよ。でも長居はしない。多分すぐにここに戻って来ると思う」
「それだけ?他の誰にも会わない?」
「俺に声をかけてくる奴なんかいないだろ」
そう云ってもサリュは何となく落ち着かない様子で服を探り、煙草を取り出した。
「ユーイは眼を離すと、どこかへ逃げて行っちゃいそうな気がするんだよ。知らないうちに、よその家に出入りして、そこで餌をもらってそうな気がする」
「何だそれ、俺は猫か」
「違うでしょ。犬だよ」
冗談であったと信じたい。時々サリュは、冗談なのか本気なのか分からないようなことを、どちらともとれるような顔で云ってくる。
「ノアの代わりになってくれるんでしょ?」
そう云って縋るような眼で見つめてくる。
「年が明けたらすぐに帰って来るから。その時は部屋にいてよ。ユーイに出迎えて欲しいんだ」
「分かった。実家以外は何処にも行かない。何かあったら連絡するから」
サリュは俯き、少し間を置いてから自分を納得させるように頷いた。高速鉄道の切符 はもう取れなかったが、バスにはまだ空きがあった。ネットで予約を済ませてから、サリュはユーイの方を振り返ってにこっと笑った。
「あとは君にクリスマスプレゼントを用意しなきゃね」
即座にユーイは何も要らないと伝えた。
物なんか要らない。もうサリュからもらったものを汚すのも失くすのも嫌だった。それに、いつかサリュに嫌われたら、自分は何も持って出て行きたくはないし、何も残して行きたくはない。逆を云えば自分があげたものをどう扱われるかも、見たくはなかった。
「お前には充分世話になってる。この上何か欲しいなんて思ってない」
「何かアクセサリーみたいなものを買ってあげるって。指輪とかピアスとか。あ、ネックレスがいいかな。首輪代わりに」
もうユーイは何も云わなかった。
何度かこの話はしたが、何も受け取る気がないというユーイの気持ちは変わらなかった。
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