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第41話

千分の一秒で、人は他人を好きか嫌いか、無意識に判断する。そういう話をユーイは以前聞いたことがある。 一目惚れをするという可能性も、そこには含まれている。 千分の一秒で相手に恋をする。 そんな短い時間で何かを感じ取れたなら、それこそ運命だとユーイは思う。 もしかして自分達がそうだったのだろうか。 絨毯が敷き詰められた床に倒れ込んで、互いの口唇を舐めて咬んで吸いながら、服の釦を外し、ベルトを解いた。寝台はすぐそこなのに、お互い、あまりに性急だったため、玄関から入ってすぐの床でしばらく絡み合っていた。 「こんな風にしたことない」 「床でってことか?」 ユーイは笑った。ワインの所為で少し酔っていた。 「ううん、こんな風に我慢できずに誰かを押し倒したこと」 この男は体の中にいくつ殺し文句を持っているのだろう。ユーイが涙を押し殺すために、酔ってくすぐったがるふりをして必要以上に低く笑っていると、舌が入り込むキスを落とされて、背中の力が抜けた。元々無理に上をとるつもりはなかったが、この経験値の高い男には敵わないと改めて思う。 寝台の上に移る際に、サリュは抽斗からローションを取り出してきた。それを使ってユーイの体への愛撫もそこそこに、秘所への挿入の下準備を始めた。 早くこの体を自分のものにしたい。 こんなことには慣れているはずのサリュが(はや)る気持ちを必死で抑えている姿もユーイにとっては愛の証そのものだった。 些か性急な気もしたが、サリュに余裕がないのは見ていれば分かったので、ユーイは何も云わなかった。 嫌だったり痛かったら我慢しないで欲しいとサリュには云われたが、たとえそうだとしてもユーイは彼を途中で押し止める気などなかった。 再び傷口が開いてもいい。壊されても構わないから、この男と繋がりたかった。決して一人にしないという未来を約束してくれた代わりに、自分もこの男に何かを明け渡したいと強く思っていた。 挿入直前、サリュに頬を触れられて、ユーイの心臓は跳ねた。 同時に体の奥から這い出てきて、背中にしがみついてきた真っ黒な生き物がいる。 忘れていたわけではない。覚悟はしていた。 その影のような生き物は狂暴な牙を研ぎながら、ユーイの耳の奥で代われ、代われ、と云っている。正確には声ではない。冷たい空気に引きずり込まれる感覚に抗えない。気をもっていかれそうになる。雨の音が砂嵐に変わって耳を塞ごうとしている。視界が濃霧に閉ざされる。 ユーイはサリュの手を掴んで軽く押し戻した。 「もし、俺がおかしくなったら、その時は」 サリュは全てを心得ているという様子で微笑んだ。 「うん、分かってる。大丈夫だよ。俺、ユーイのためだったら死ねるから。だから大丈夫」 サリュの肉体は薄闇の中でも冴え冴えと白さを際立たせていた。彼は伸ばしてきた手でユーイの体だけでなく心も抱きとめてくれた。 「俺はお前を殺したくない」 「分かった。じゃあ止められないと思ったら、その時は君を殺して、俺も死ぬから。一人にはしない。君にはいつだって俺がついてるから」 それはユーイが聞いた中での最上の愛情表現だった。 まだ自分にはサリュの顔が見える。声も聞こえる。自分はまだここにいる。 土砂降りの雨に視界が閉ざされ、叩きつけるような水音に呑まれそうになっても、もうこの身を暗闇に任せたりはしない。たとえ激流に突き落とされても、サリュの手を放さない。これほど強く結びついたものを絶対、誰にも、運命にさえも、放させはしない。 雨なのか汗なのか涙なのか分からないものがユーイの頬を伝った。 サリュはユーイが痛がっていないのを確かめながら唾液で濡らした中指を挿し入れ、やがて内側を掻き混ぜるようにゆっくりと動かし始めた。異物感と違和感で息が止まりそうになった。 あれほど覚悟していたのに、あのおぞましい夜の記憶をユーイは完全に脳内から消し去ることはできなかった。痛みはないのに、あの時の熱塊を挿し込まれた瞬間の苦痛が呼び起こされる。記憶の闇に落ちる寸前、サリュに名前を呼びかけられなければ、彼のことが半分も見えなくなっていたと思う。サリュはユーイの強張った体をしっかりと抱き締め、何度か撫で擦った。 「ゆっくりするからね」 直後に耳許で、 「愛してる」 と囁かれ、恍惚がじわりと湧き上がってきた。 愛してる。 こうして聞くと、この言葉の神聖さに気づかされる。そしてこの言葉の本当の価値が分かった気がした。 今ここで行われているのは、あの悪魔の棲み処で行われたものとは全く違う。 動作を続けながらサリュは再び口唇に触れてきた。優しくではなく、まるでそこから情欲を引き出すかのごとく舌を入れ込んできて、ユーイの理性を綯い交ぜにした。 この男も最初からこのぐらい強引だったら良かったのに、そうしたら少なくとも、(けが)れていないうちに、与えることができたかも知れないのに。 再び闇に心が囚われそうになる前に、サリュの中指と薬指に貫かれながらユーイは相手を中に受け入れることを望んだ。 「いいの?つらくない?」 大分余裕のない声でサリュは訊き返してきた。先程から時折足に当たる彼の性器は、激しく勃起して、欲望で張り詰めていた。 「平気、いいから早く」 「ほんとに?」 「いいって云ってる。お前を信用してる。・・・お前が・・・好きだ、から」 そう云って縋るように腕に触れた。 ユーイのその言葉が許しの合図であるかのように、サリュの手つきが変わった。ただ確かめるように触れ、安心を与えようとしていただけだったのが、今度は確実に自分のものにしようという、若干強引な動きに変化した。後ろを向くように手で促されて、ユーイが背を向けたその途端、彼は性器を押し当ててきた。先端が緊張状態の陰嚢に当たり、思わず呼吸を忘れた。あまり時間をかけずにサリュは入り込んできた。一瞬、相手の持つ熱に恐れを感じ、ユーイは腰を退こうとしたが、それまでの気遣いはどこへいったのか、逃げようとする動物を確実に捉える時のような容赦のない動作でサリュはその体を捕らえ、そのままいきなり最奥まで挿し貫いてきた。 痛みがないと云えば嘘になる。サリュの性器は並みより大きい。 ゆっくりしてくれるんじゃなかったのか、と抗議しようと思ったところ、性器が引き抜かれ、その感覚にまた声を呑む。再び穿たれ、苦痛の声を漏らしてしまうことのないよう、ユーイは自分の腕の皮膚を咬んだ。 「・・・ぅ、あ」 自分の口から漏れ出た声に耳を疑った。女みたいな声を出している。恥ずかしい。受け入れたその熱が、ユーイの体の中心になった。 声を出したからなのか、サリュは性器を先端まで引き抜いた。痛がっていると思われたのだろうか。けれど、少し余裕を取り戻してくれた方がユーイとしても助かる。 完全に抜け出るかと思ったその瞬間、サリュはユーイの腰の肉を掴んで再び一気に性器を押し込んできた。ユーイは短くではあるが、今度ははっきりと悲鳴を上げた。 「ちょっと、だめ・・・ぁ・・・」 けれど、もうサリュには何も聞こえていないようだった。挿入後の彼は我慢が利かない初体験の若者のようだった。いつか口淫をした時に見せていた、あの余裕綽々の表情が嘘のようだった。 切迫した動きでユーイの腰を掴んだまま激しく揺さぶり、ものの数分でいってしまった。 ユーイは相手の熱に自分の下半身の内側は溶かされ、液化したのではないかと思う。まだ快感とまではいかないし、締めつける加減もうまく調整できない。中に出された感覚でユーイが身震いしていると、射精の余韻もそこそこにサリュはユーイのペニスに触れてきた。ユーイが達しなかったのを責めるような激しい動きだった。同じように後ろから挿し貫かれて、あらゆる角度から押し広げられ、何度も何度も奥を穿たれながら、同時になぶるように前の性器をいじり倒される。喉の奥から声が漏れ出るのを我慢することはできなかった。自分では聞くに堪えないほどの甘い声だった。 何とか声を押し殺さなければと枕に顔を埋めていると、 「声を我慢しないでよ」 とサリュに髪を引っ張られて起こされた。その手荒な動きがユーイの被虐精神を刺激した。何かが体の中でほどけて、決壊したのを感じた。自分の内側にこれほどの性欲が内包されているなんて今まで知らなかった。少し前まで怖気づいていたくせに、ユーイの体は欲しがっていたものを与えられたように、淫靡な昂奮に満ち溢れていった。 内側から相手に支配されているような感覚が堪らなかった。自分の中をひっきりなしに穿つ質量に夢中になった。 「ぃ・・・あ・・・あ」 サリュが声を漏らすことはなかったが、その代わり、時々思いきったように手つきや律動が乱暴になることがある。皮膚を咬まれ、髪が絡んだままの手で頭を押さえつけられ、先走りの蜜を塗り込んだペニスをぐちゃぐちゃに扱かれて、ユーイは吐精した。しばらく自慰もしていなかった所為で、放たれたものは勢いよく敷布の上に飛び散った。 サリュは相手が達したことが分かっているはずなのに、ユーイが絶頂の最中にいる間も、律動を止めることはしなかった。 「だ、め・・・死ぬ、し・・・ぁ・・・」 涎が滴り、敷布の上に別の新たな染みをつくった。もう呂律がまわらない。 「いいよ。死ぬなら、ここで死んで」 既に腰が立たなくなっていたために、それを支えているサリュに好き勝手に角度を変えられ、都度深く差し着かれた。気がおかしくなるほど激しく揺さぶられ、もう下半身が自分のものではないみたいだった。 快感が背筋を走り、胸を狂熱で()き焦がし、脳髄に達して眼の前が真っ白になる様を思い描いた。いつもそうだ。この男を前にすると何も見えなくなる。彼はいつも眩しい。彼と出会ったのは秋のはずなのに、夏の、眼の眩むような陽射しがいつもユーイの心を貫く。 少しして、サリュが再び射精するのを腹の中で感じた。温かかった。油断しかけた刹那、駄目押しのように内壁に強く性器を擦りつけられ、信じられないほどみっともない声が漏れ出た。それでも体の中から何かが奪われたとは微塵も思わなかった。

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