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「カーラお前本気で言ってんのか?」  乾燥させておいたプランテンの実を石臼で力強く碾くカーラの慣れた手元眺めていたシエラは喫驚し、彼女の顔に視線を一気にスイッチさせた。  この春に16歳を迎えたカーラの顔は大きく出した丸い額のせいかどことなくまだ幼く、5人姉弟の年長者としてはまだ少し頼りなく、一つ年上であるというだけでシエラは常に兄貴風を吹かせていた。  焼けた細い肩を揺らしながらカーラはならされていくプランテンの粉をじっと目で追い、シエラにそれを向けることなく再び口を開いた。 「ええ、本気。今年は雨も少なくて畑は不作が続いた。このまま雨が降るのをじっと待っていたら村は死んでしまう。つまり、私も──あんたもね」  その時ようやくカーラはシエラを真っ直ぐに見た。  濃い蒼色の瞳がじっとシエラを捉え、シエラは代わり映えの無い日常や冗談ばかり繰り返しあっていた幼馴染みの本気を理解した。  シエラはその瞳に今まで真面目に見据えてこなかった未来に恐怖を覚えた。頭のどこかでは分かっていたけど考えたら怖くて、シエラはわざとそれを無視していた。 「だからって……」  すぐに視線を他へと外したシエラは眉間に皺を寄せて足元に落ちるプランテンの葉を眺めた。 「この山の向こう、竜が守る崖を越えたらそこには沢山の宝石の原石が眠る美しい川が流れてる。その宝石をいくつか売れば村は生きていける。みんな飢餓に苦しむことなく幸せに暮らせるの。私は行く。どんなに危険でも、絶対行きついてみせる。行って、必ずこの村に帰る。帰ったらもう……誰もこの村から売りに出されずに済むの!」  カーラの言葉は半ば悲鳴のようだった。 ──何年か前、今と同じ村が日照りに襲われた年。カーラの妹もシエラの妹も10歳になる前に突然いなくなった。だけど両親も村の誰も何もそのことを一切口にしない。 ──だが二人は知っていた。妹達はある闇深い夜どこからともなく迎えが来て、そしてそのままふっと消えたのだ。  闇空に響く母親の咽び泣く声に幼いながらも二人は妹達がどうなったのかを悟った。 「でもカーラ。あの川の話は誰かの作り話だって聞いた。こどもに聞かせる夢物語だって……。この村の誰もあの崖の向こうへ行った事はない。あそこは風も強くて天候も変わりやすくて……とてもじゃないけど人間が行けるようなところじゃない。ましてや女のお前なんかじゃもっと無理だ」 「私は諦めたくないの!」  シエラが全てを言い終わる前にカーラは叫んだ。真剣な瞳は少し涙で潤んでいるようにも見えた。 「カーラ……」 ──絶対に無理だ。大人が何人行ってたとしてもあの切り立った崖を越えてその向こうの存在するかどうかもわからない川に下りて、そしてまた村に戻って来るなんて……出来るわけない。こんな話、雲を掴むくらい無茶であまりにも無謀な話だ。  でもそれくらいにカーラは追い詰められいる。  一番末の妹がもうすぐ10歳になろうとしているから──。  シエラの言葉はもう決まっていた。  そうするしか目の前の大切な幼馴染みを失わない方法がないからだ。 「だったら──俺が行く」        ・        ・        ・        ・        ・        ・  何かの香りがシエラの鼻腔を蕩かす。  今まで嗅いだことのない甘い匂い。花でも果実でなもい。知らない香り。  その正体を知りたくてシエラは重い瞼を動かして薄く瞳を開いた。 「驚いた。生きてた」  突然耳に割って入ってきた知らない男の声に驚き、一気に瞼を開いたせいで窓から差し込む太陽の光に目が眩んだ。シエラは小さく呻いてもう一度ゆっくり瞼を開き、今度は香りでなく、その声の方へ目を動かした。 「……だれ?」  何重にも滲んでなかなか視点の合わなかったその姿がようやくはっきり認識出来た。  男は大きく開かれた窓の傍に立っており、背はシエラよりずっと高く、年もやや上に思えた。シエラと違って肌はうんと白く、太陽の熱を浴びたら熱さで簡単に解けてしまいそうだとシエラは思った。髪の色は獅子のたてがみの様に艶やかで美しかった。同じ色をした睫毛の下からは澄んだ深い海の色をした瞳が優しくこちらを覗いていた。  すごく綺麗だ──  こどもの頃、曾祖母から聞いた御伽噺がシエラの脳裏をよぎった。  あれは曽祖父が天に召された時。曽祖父は神様の元に旅立ったんだと聞かされた。肉体(からだ)から離れた魂は空の一番高いところに辿り着くと、生きていた時の痛みや苦しみや何もかもから解放されて、穏やかに暮らしていけるんだと。  神様は太陽のように眩しいお方で、それは生きている間に感じることは出来ても決して目で見ることは出来ないと。  幼い時、想像していた神様の姿にこの男は近いとシエラは思った。そして悟った。 ──自分は失敗したのだと。  死んでいるはずの肉体(からだ)から突然涙が溢れた。  黙って置いて行った家族の顔や、カーラの顔が次々と浮かんでくる。  申し訳ない気持ちでいっぱいだった。自分がカーラの変わりに村を幸せにすると約束したのに。叶わなかった。  必死に走り続けたあの闇夜、少しでも信じた先にある未来。 ──諦めたらあの闇に喰われてしまいそうで怖かった。  だけどもう終わったのだ。  シエラは悔しさの最後にそっと安堵した。自分が戻らなければカーラはもう無茶をすることはないだろう。村の人も竜が守る崖が本当でも嘘でも生きては帰れないことを知り、もう二度と自分のような愚か者も現れないだろう。 「なあお前、泣いているところ申し訳ないが。折れた足はなんともないのか?」  シエラはその言葉で感慨に耽るのを止め、これ以上は無いくらいに絶叫した。 「──泣いたり叫んだり、忙しいヤツだ」  獅子のたてがみを持つ美しい男は大きく笑った。

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