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Ⅱ
男の名前はヴァシレフス。
この国の第一王子だと言った。
召使が持ってきた薬のお陰でシエラの骨折の痛みはかなり和らいでいたが、それとともに理解できない現状に頭がやや朦朧としていた。
自分は確かに村の果てにある切り立った崖に辿り着いた。そこまでは覚えていた。そこで風に足を持っていかれたのか、竜が現れて自分を跳ね除けたのかは思い出せない。ただ足に激痛が走り、それ以上進むことが出来なかった。体力も限界を向かえ、そこへ崩れ落ち。そのまま意識を失った。
「俺は言われた通りあの川の傍で待った。星見が予言したあの夜。あの川に俺の知らない肌と瞳の色をした者が現れると」
ヴァシレフスはシエラが横になっている大きなベッドに腰掛けながらシエラを眺めた。
「ほし……み?」
「未来を予知する者のことだ。そしてその通りになった。半信半疑だったが事実お前が現れた。まあ、なんとも言えない登場ではあったがな」
何かを思い出しているのかヴァシレフスは小さく笑った。
聞かなくともなんとなくシエラには分かっていた。待ち人は一晩走り続けた末、怪我だらけの小汚い痩せ男だったのだ。現れるというより、落ちているに近かったはずだ。
それよりもシエラはヴァシレフスの言葉に引っかかった。
意識を手放したとき、水のせせらぎなどは一切聞こえなかった。一体どこに川があったというのか。もしあったとして、その川はカーラが渇望していたあの川のことなのか。
「俺は川なんて知らない。俺のいた場所に川があったのか? その川は、その川には宝石の原石があったのか?!」
興奮気味にシエラは目を開いてヴァシレフスに問う。少し落ち着いていたはずのシエラの勢いに驚きながらもヴァシレフスは冷静に首を横に振った。
「あの川は少し前に干上がった」
その言葉にシエラは一瞬絶句した。
「──川が……干上がる……? どうして……」
畑の不作が続くシエラの村ですら川はまだ水を失くしてはいなかった。そんなことはシエラの知る人生で一度も経験のないことだ。
「──宝石の話は誰に聞いた」
少し低くなったヴァシレフスの声にドキリとしながらシエラはこども同士の戯言だと返した。視線を外したシエラを深追いせず、ヴァシレフスは続けた。
「あの川は確かに宝石が採れた。干上がる前までは」
──あの話は本当だった。本当にそんな川が存在していた。
シエラは心臓が激しく鳴るのを感じた。
「だが、そのせいで血が流れた。欲を掻いた人間たちであの川はいつの間にかその血で赤く濁り、ある時激しい嵐がこの国を襲い、大きな落雷と共に川は一夜にして枯れた。雷の正体は神が竜に化けた姿だという人間もいる」
どこかの御伽噺のような話をヴァシレフスは静かに真剣な声で語った。
嘘ではないのだと、シエラは理解した。
「報いを受けたんだ……俺たちは」
「あんたも欲を掻いたってこと……?」
恐る恐る窺うシエラの声が届いていないのか、ヴァシレフスは無反応だった。黙って立ち上がるともう少し休んだほうが良いと告げると部屋を後にした。
大きい寝室にぽつりと一人残されたシエラは真っ白な天井をぼんやり眺め、深呼吸すると薬のせいが再び襲ってきた睡魔に抗うことなく瞼を閉じた。
──そして少しだけ昔の夢を見た。
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