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「あら小さな子」  その声にシエラは完全に固まった。  久しぶりの湯浴みが気持ちよくて一人異国の地で知らない王子に嫁げと迫られ、散々な目に遭ったことを大きな鼻歌で誤魔化している最中だったからだ。  真っ裸を今、知らない女性に見られている。  客間には誰も近付かないとカリトンに告げられすっかり安心しきっていたのに、この状況をなんというのか。シエラは遠くなる意識を必死に掴んで冷静になることに励んだ。    急いでローブを引っ張り寄せ大事な部分だけでも必死に隠した。 「ど、どちら様で……?」  来訪者は明らかに異国人である自分側なのにシエラは彼女に慌てて尋ねる。 「私? 私はヴァシレフスの姉のアレクシア。この国の第一王女よ」  言われてみれば彼女の髪の色も瞳の色もヴァシレフスと全く同じだった。彼女のが瞳の色が薄く感じたが、鼻の形も大きな瞳もよく似ている。  すらりとした彼女の全身は高価な布に包まれていた。床に着きそうな白い布の裾元には金色の刺繍がくるりと施され、その上からはシルクだろうか、光沢のある濃い生成り色の長い布が肩口から斜めに掛けられ白く細い腕へと続いていた。  ヴァシレフスよりずっと長い髪は窓をすり抜けた風にふわりと揺れ、太陽に反射して艶やかに光って見えた。  眩しくて思わずシエラは目を細める。  だが、そんな余韻は一瞬にして壊された。突然荒々しくドアが開いたかと思うと、赤い顔をしたヴァシレフスがアレクシアを睨みつけている。  眼力の強い二人の視線がぶつかり合うのを見て、なんて神々しいんだろうかとシエラはますます貧相な体を仰け反らして慄く。 「何してる。ここは俺の客間だぞ」 「あら。狭量な男ね。ここはそもそもお父様の城。あなただけのものなんてこの城の中のどこにもないのよ」  アレクシアはヴァシレフスを更に不機嫌させる。だが、当の本人は全くの余裕なのか、さっきからずっと微笑んだままだ。 「ある。シエラは俺の伴侶だ。俺だけのものだ」 「彼は星見が連れてきた。あなたは言われてそこでただ待っていただけ。何の努力もしていないじゃない」  マグマのようにヴァシレフスの怒りが熱くなるのを肌で感じ、シエラは気が気でなかった。姉弟喧嘩は村でも幾度となく見てきたが、こんな迫力のあるのは初めてで、シエラは部屋から一人逃げ出したい思いでいっぱいだった。  そんな二人の間に割って入ったのはヴァシレフスの従者、カリトンだった。  必死にヴァシレフスを宥めると、アレクシアは「それじゃあまたね」とシエラに微笑みを残して部屋を後にした。  残された空気のあまりの重さにシエラは彼女と一緒に自分も部屋から消えたいと心底願った。 「シエラ。そのままでいたら風邪を引きますよ」  二人の並々ならぬオーラに魂を抜かれかけたのか、疲れきったシエラを唯一カリトンだけが心配してくれた。差し出された全身を拭く為のペシテマルを受け取ると、無防備な体をようやく覆い隠すことが出来た。  シエラはぺたんとその場に座り込み、目を閉じながら大きな溜息をついて体から一気に力を抜いた。       ・       ・       ・       ・       ・ 「蛇の睨みあいですか、ハハ。うまい事をいいますね」 「怖かった。俺がカエルだったらもう見ているだけで目を回したに違いない」  カリトンが用意してくれた温かいお茶に癒されながらシエラは「ハアー」と再度肩の荷をおろす。 「おい、聞こえているぞ。わざとだったら大した神経だ」  対面に座るヴァシレフスは肘置きに手を掛けながら平和ボケしているシエラを睨んだ。 「仲悪いの? 実の姉さんなんだろ?」  ここまでくると大海を知らぬカエルの方が実は強いのかもしれないなとカリトンは勝手に納得しながら静かに席を外した。 「実の姉だから腹が立つんだ。同じ土俵で戦えないからな」 「はあ?」 「アレクシアに剣で挑めと言うのか?」 「いや、言わないけど。いや、そうじゃなくて」  呆れ返ったシエラが気に入らないのか、ヴァシレフスは口を一文字に閉じたまま鋭い目だけをこちらへやった。  王族であるヴァシレフスも姉の前では一介の弟。弟と言うだけで手も足も出ないのだとシエラは妙な親近感を覚える。  何よりそんな彼が余りにも子供っぽくてやけにくすぐったい。 「ふ、ははは! おかしいの!」  我慢出来なくてシエラはとうとう肩を揺らして笑い出した。ヴァシレフスは頭にきたのか立ち上がってシエラを必死に諌めるがシエラはますます腹を抱えて笑うだけだった。  しばらく二人の痴話喧嘩のような攻防が続くが、そのうち諦めたのかヴァシレフスが拗ねたようにカップに残った茶を一気に飲み干し、わざと乱暴に音を立てソーサーに戻すと、シエラに強く告げる。 「──決めた。今夜はお前が泣こうが喚こうが最後まで抱く。どれだけ暴れようが俺はもう絶対にお前を逃がすものか」  全身の血液が音を立てて引くのをシエラはハッキリと感じた。  シエラはあまりにも執拗に藪をつつき過ぎてしまったことを猛省するが手遅れであることも同時に悟った。

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