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 ユキオの母がノックもなしに扉を開けた。結婚式場の親族控室に、鍵などあるわけがない。  まずい!!変なところを親に見られてしまった。  ユキオの左腕に、高校生には似つかわしくなく光るのは……   高級腕時計。  試しに身に付けさせてもらったまま外せなくなってしまった重厚な腕時計のバックルに、先程から悪戦苦闘しているところだ。  結婚式の当日、新郎新婦の兄弟というは本当に役に立たない。  親族一同が慌ただしく式の準備に駆け回る間、別段する事もなく取り残された者同士がソファに隣り合う。  試しに付けてみたら?と軽いノリで腕を通した金色の腕時計。ユキオの腕には緩いけれど、留め金を閉じたまま抜けるほど華奢でも無い。 「まあ! お兄さん! ユキオが面倒かけてすみません、あら? あんたそんな高価なものお借りしたの? あらー! ホンモノ初めて見たわ!! ほら、壊さない内にお返ししなさいよ? うわぁ、〇レックスだわ。王冠のツノ、5本だわねぇ! まあ本当に本物だわぁ」 「母さん!やめてよ恥ずかしい」  緊張していても母はいつものごとくマシンガンのように言葉を打ち放つ。ユキオが制しても簡単には止まらない。  どうしてこんな母さんの娘で、中流のド真ん中の一般家庭に育った姉が、玉の輿に乗れたのだろう。ユキオには分からない。  お相手は旧家の御子息。四男で、跡継ぎだの相続だの、ややこしい問題は無いから大丈夫だと両親に説明していた。  男は新郎の兄。弟に先を越され、独身のまま三十路に乗ってしまった身では、チョロチョロすれば余計な詮索と見合い話に出くわしてしまう。ここで篭っていられるのは渡りに船だった。  話し相手は今日から義理の弟になる高校生。海軍式のボタンが見えない詰襟はS高だろうか? 真新しい制服を着ているので、高1だろう。暇つぶしのつもりで話しかけてみた。大人ぶっているけれども端々が幼い。かつて自分がそうだったように、ユキオもきっと、みんなのヒーローで居続けたくて気を張っているタイプだ。  今日が初対面だとは思えないほど、お互いに親しみを感じた。同士特有の信頼に近いかも知れない。  いつの頃からか、集団に居ると引っ張る役目になっている。品行方正、成績優秀、大人達からの評判の良い優等生だけど、気さく。それを演じ続ける。維持するのはそれなりに大変だけれども、集まる視線には代え難い。自らが望んでやっているのだから、別段苦でもない。目に入った些細な変化を無視しなければいい。それだけのこと……  少し背伸びをしたユキオの立ち居振舞いは、まるで自身の十代の頃を見ているようで、庇護欲を掻き立てる。  この年頃は粋がって虚勢も張るし、目も肥える。良い映画や本に触れておく必要がある。身に着けるものも、上質を知っておきたい。粗悪品を見極めるためには本物を知らないと駄目だ。  男はユキオが腕時計をしていないことに気付き、自分が今日の為に選んだ有名ブランドのものを試しに付けさせた。  カチリと軽い音を立て、重みのあるリングは若者の腕に嵌る。その途端、遠慮がちにしていたユキオの瞳がわくわくと輝いた。正直、サイズは合っていないし、特にシックなものを選んできたので、学生服に併せるデザインではない。  長年使って、金具に違和感はあったのだが、まさかユキオの腕に嵌めたまま外せなくなるとは思わなかった。  揶揄うつもりは無いのだが、必死になってバックルを開けようと顔を赤らめる姿はとても可愛らしくて、男の頬が緩む。つい手を伸ばしてその髪を軽く撫でてしまった。  出来心で腕に嵌めた金色のリング。ユキオなら、この時計に似合う男になれるに違いない。このままこの子に譲ってしまおう。自然と浮かんだ常識外れな思いつきに心が躍った。 「このまま、お前のものにしてしまえばいい。今日からは他人じゃないんだから、遠慮は要らないよ」  高校生が自力で手に入れる筈もない物だから、母親に承諾を得る。 「そんな!こんな高価なもの、頂くわけには……っ!」 「そんなつもりではないんです、お兄さん!」  親子揃って慌てふためく。しかし、学生時代に起業し、会社を動かす代表取締役に就いているこの男には、金額のことよりも突飛な思い付きに身を任せたい気持ちが強い。 「これだけ強情にユキオ君にしがみ付くんだから、きっと相性が合ったんだな。俺としては、君がこの時計の似合う素敵なオトコになってくれたら本望だよ!  末長くよろしくお願いします、弟君」  まだ腑に落ちない表情のユキオ。  隣の母親も、どうやってお礼したら……と、目を回している。 「じゃあこうしよう。ちゃんとお代を貰います。  ただし、出世払いで。君が大物になったら、その時に払って? 待っているから」  こんな、無いも同然の口約束で、金色の腕時計はユキオの物になった。  男は、昔から結婚に興味がない。  常に比較対象だった出来の良い弟が、どんな女性を連れてこようが関心もなかった。  今日だって、結婚を祝う気持ちはあれど、集まる親類縁者をどのように避けるか考えると、出席するのを躊躇われたのだが、今は来てよかったと思える。  おかげでこんなにかわいい弟が増えたのだ。まだ高校生。将来が楽しみだ。新たな縁で、愉しみがまた一つ増えた。 「結婚式も悪くないな……」  男のつぶやきを聞いてしまった守役の栗原は、喜び勇んで花嫁候補を探し出すのだが、それはまた別のお話。

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