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2 ☆

 梅雨の晴れ間。  夏のような強い陽射しが降り注ぐ。秋穂は片手を高く翳し、濃い緑の葉から見え隠れする陽を見ていた。ふたりがいる木陰には涼しい風が吹いて、心地よい。 (……穏やか……)  秋穂の顔には自然と笑みが浮かんできた。  聖愛学園に編入と同時に敷地内の寮に入れられた。しかし、母子での暮らしやあの居心地の悪い石蕗家での数か月に比べ、今はなんと穏やかな日々を送っているのだろう。  やっと……自由に呼吸ができる。そんな気がした。  広い敷地内で、どの建物からも遠く、木々に埋もれた先にぽっかりと空いた空間。ここに辿り着くまでは薄暗い、道らしい道もない場所を歩くが、この空間だけはたっぷりと陽射しが降り注ぐ。  ここに訪れる者を今までに見たことがないという、冬馬が初等部の頃に見つけた“秘密基地”だ。昼休みや放課後、時には授業を抜けだして、ふたりはここで過ごしていた。  梅雨に入って雨の日が続き、久しぶりに訪れたのは昨日の放課後。昨日はまだ地面が湿っていたが、今日はもう乾いていた。秋穂は太い木の幹に背を凭せかけ読書をし、冬馬は投げだされた秋穂の足に頭を載せて昼寝をしている。  ──カシャッ。  小さなシャッター音が、穏やかな空気を一瞬で崩す。秋穂は身体を強張らせ、寝ていたはずの冬馬は跳ね起きる。 「いい構図()、いただきっ」  少し離れた草の上に腹這いになり、少年がファインダーを覗いていた。学園では余り見ない派手な色の髪を、紅い組紐でハーフアップに結っている。彼は構えを解くと悪戯っぽく笑いながら近づいて来た。  秋穂を守るように背で隠していた冬馬は、小さく息を吐く。 「驚かすなよ、詩雨(しう)」  詩雨──と呼ばれた少年はにやりと笑った。 「驚いたのはこっちだ。秘密基地(ここ)に、他のヤツ連れ込むなんて。オレのいない間に浮気かぁー?」 「馬鹿言うな」  軽く頭を小突く。 「誰ぇー?この可愛いコちゃん。見たことない顔だけど?」  冬馬の後ろを覗き込む。色素の薄い髪と瞳が、木々の間から降り注ぐ陽に煌めいている。  秋穂は、じっと自分を見つめている、何もかも見透かすような瞳がなんだか怖かった。微かに震える肩は冬馬に抱き寄せられた。 「怖い奴じゃない。大丈夫だよ。俺の幼馴染みの柑柰(かんな)詩雨」  一度言葉を切り、詩雨を見る。詩雨も秋穂から視線を外し、冬馬を見た。 「詩雨、こっちは石蕗秋穂。お前がヨーロッパを回っている間に編入してきた」  ふうん……軽く鼻を鳴らして、秋穂をもう一度見る。 「オレの()……怖い?うち、両親共ヨーロッパ圏の血が混じっているから。でもはオレだけなんだよねー」  眼を細めて笑うと、人懐こさが出る。 「よろしくね、秋穂。オレ、あんまりガッコにはいないけど」  瞳の印象が薄くなると、口許に眼が奪われる。白い肌にピンク色の唇。そして、その下のほくろ。 (……綺麗なコ……)  秋穂は胸に軽い痛みを感じた。 「詩雨は、音楽院に籍を置く音楽家だよ。写真を撮るのが趣味なんだ」  冬馬がそう説明すると、詩雨は少し苦い表情になった。 「オレは音楽家じゃないよ──兄貴たちとは違う」 「あ……カンナって……」  ふと気づく。聖愛学園の隣にあるのは音楽院だ。  十年前に創立した音楽院は、聖愛と提携していて、音楽院の生徒は一般の授業を聖愛で受けている。 「そうなんだ、こいつ。音楽院(カンナ)の創立者の息子」 「かんけーない」  詩雨が口を尖らす。何か含むところがあるらしい。 「でも俺は、お前のピアノ好きだけど?」 「うるさいっ」 「照れるなよ」  冬馬が大きな声で笑う。自分に向けるのとは違う、年齢(とし)相応の表情(かお)。 (……仲いいんだ……)  小さくため息が漏れたのを、じゃれ合うふたりが気づくことはなかった。

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