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 クリスマスを間近に迎えた街は煌びやかで賑やかだったが、この青山の霊園は常と変わらない静寂に包まれていた。前日までの寒さも緩み、暖かな陽射しが墓前にしゃがんでいる男の背を温めていた。  微かに草を踏む音を立てながら、二人の男がその背に近づく。一人は背の高い黒いコートの男、もう一人は華やかな容貌の茶のファーのジャケットを着た男。 「秋穂……」  ファーのジャケットの男が、墓前の背をふんわりと抱き、耳許で囁いた。 「詩雨くん」  秋穂は少し頭を傾け微笑んだ。  詩雨たちが可哀想な母娘の墓前を訪れたのは、タチバナの春夏コレクションが終わった後だった。  葬儀からひと月が経った頃、冬馬はやっと秋穂の自宅のドアを開けることができた。それまでに何度も訪れ、躊躇い、開けられずにいた。その後は、コレクションの準備で忙しいなかでも、毎日のように彼の様子を見に行っていた。 (そうして、再び、ふたりは寄り添うようになった……か)  この男が、ずっと嫌いだった。憎んでいるといってもいい。あとから現れて冬馬の心を一瞬で捉え、奪っていったこの男が憎かった。  しかし、それと同時にこの痩せた身体を温めてあげるだけの友愛もあり、それが余計に詩雨の心を苦しめる。 「詩雨くん、この間は来てくれてありがとう──」  そう言って微笑う秋穂の顔は、常の彼とは違って、ひどく幼く見えた。 「──僕の誕生日」  その言葉に詩雨は大きく眼を見開いたが、すぐに何事もなかったように頷いた。 「うん」 「アキ、紗香さんと沙穂ちゃんにお線香あげさせて貰ってもいいか?」  詩雨の横に並び、冬馬が言った。 「え……」  冬馬を見上げ、秋穂が不思議そうな顔をする。それから眼の前の墓石を見る。 「誰のお墓?……ああ、そうだ。紗香と沙穂のだ……」  二人が参り終わるまで、秋穂はぼんやりとしていた。  ──車の中で冬馬は言った。  もし、秋穂が可笑しなことを言ったとしても、そのままにしておいてくれないか、と。記憶が混乱しているらしい。  そんな曖昧な言葉の意味は、秋穂との会話ですぐにわかった。  実の母親からの虐待や異常な束縛。引き取られた先での孤独。暴力。そんな家族との縁の薄い彼が、やっと得た幸せ。それがこんな簡単に消えてしまっては、無理からぬことか。  だけど、それだけか?その縁自体をなかったことにしてやしないか? (秋穂が真実(ほんとう)に取り戻したい時間(とき)ってのは……)  秋穂のぼんやりとした顔を見ながら思い巡らしていたが、そこで思考を無理やり途切れさせた。  それから、殊更、明るい声を出した。 「オレ、しばらく撮影旅行でいないから」 「ああ、ハルの写真集の?」  と、冬馬が口を挟む。 「そう」  詩雨は、自分より背の低い秋穂の頭を、まるで小さな子どもにするようにぽんぽんと撫でた。 「だから、クリスマスは冬馬とふたりで……な」  優しげな微笑を浮かべた。

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