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冬の遅い夜明け。部屋が薄明るくなった頃、冬馬はふと眼を覚ました。隣ではまだ秋穂が眠っている。その寝顔を見ながら、彼は柔らかな髪を軽く梳く。
何度か繰り返された行為の途中で、秋穂は気を失った。
我ながら、ガキくさい、と冬馬は思った。最初はゴムをする余裕すらなかったし、一度では気が済まず何度も抱いた。
この年齢 になって、まるでやりたい盛りの少年 みたいだ。その時期にさえ、こんなに堪え性のなさはなかった。どんな女に対しても、肉体の熱はあっても、心の中は何処か冷めているのを自覚していた。
「ん……冬馬……」
何度も髪や頬に触れていると、やがて秋穂が眼を覚ました。柔らかな羽毛の内の秋穂は、寝やすい服装に替えられていた。事後、意識を飛ばした彼の身体を清め、着替えさせたのは冬馬だ。
「勝手したよ。拭いたけど、あとでシャワー浴びて……な」
優しく声をかけられるが、ふいっと秋穂は彼から顔を背向けた。
照れているのか、それとも怒っているのか判じかねながら、秋穂の背に身を寄せる。
「身体、辛いよな。ごめん、俺余裕なくて……」
常にはない不安げな色を滲ませて耳許で囁く。恐る恐る抱き寄せた背は微かに震えていて、顔を背けた理由が、思い浮かんだどちらとも違うのだろうと感じた。その胸の内を探ろうと、彼の顔を覗き込んだ。
何かを思いつめたような表情をしている。どう見ても、お互いに長い間秘めていた想いが通じ合い、一晩中愛し合った後とは思えない表情 。叶うことが奇跡に近いような想いだったというのに。
実際叶ってみたらやはり思い違いだったとか、一晩だけの情事にしたかったとか──不安は次第に広がっていくが、今はただ秋穂の言葉を待った。
秋穂はゆっくりと身体を起こし、背をベッドに凭せかける。
「壱也さんの言ったことは、本当なんだ」
ぽつりと言う。なんのことだか判らず、更に先を待つ。
「義父 からはもう話があった。喪が明けたら再婚する──ほんとに、人をなんだと思っているんだろうね」
秋穂はまったくこちらを見ない。その横顔にはまるで表情がない。
「再婚……」
彼の言うことがすぐに理解できず、我知らず口の中で呟いていた。
「最後に……」
やっと秋穂が顔を向ける。
「冬馬に……愛して貰えて良かった……」
儚く微笑み、そして、すっと一筋涙を流した。
ああ、そうか、と理解する。先程考えたことは間違えではなかった── 一夜の情事にしたかったのだと。
「それで、アキは、今度こそ幸せになれるのか?」
激しい憤りに怒鳴り散らしたいのをぐっと堪え、出てくる声はひどく低い。
「今度こそ、幸せな家庭を持てるんだな?」
念を押すようなその言葉は、鋭い声と重なって搔き消された。
「幸せな家庭なんて、いらないよ」
秋穂の瞳の中に怒りが揺らめいていた。彼がそんな眼で自分を見るのは初めてだ。
「冬馬は昔もそう言った。僕の婚約が決まった時。これで幸せになれる?って。──家族に恵まれなかったからって、幸せな家庭を望んでいるなんて、なんで決めつけるの?冬馬にだけは言われたくないよ。そんなこと、今までに一度だって望んだことなんてなかったよ」
そこまで一気に捲し立て、ふっと息をつき、「確かに……」と少しトーンを落とす。
「ふたりのことは愛おしかった。こんな幸せもいい……と思った。でも、結局失くした。だから、もう、いい。もう、いらないんだ。僕が欲しいのは──」
じっと、冬馬の瞳を間近で見つめる。
「もう、ずっと、欲しいと想い続けていたのは──冬馬だけなんだっ」
押し殺した声。でも、全身で叫んでいるようだ。瞳の中に、焼き切れそうな熱を感じる。
いつも儚く微笑み、静かに話す。自分のこと程、他人事のように淡々となる── 十五年、そんな彼を見続けてきた。秋穂の、こんな熱も涙も激しさも、そして、その想いも、自分は何も知らなかった。この一晩で、十五年のすべてが砕かれた。しかし、裏切られた哀しみも嫌悪感もない。
透明だったものが、鮮やかに彩られる──そんな感覚。より、愛おしさが増す。
(もう、手離せない)
冬馬は秋穂の両肩を強く掴んだ。秋穂が痛さに顔をしかめるが、冬馬の手には更に力が籠る。
「だったら……」
瞳の奥に何かを決意したような色が見える。
「だったら、俺をくれてやる。俺のすべてを、お前にくれてやる。だから──秋穂の、全部、俺にくれ……っ」
ぎゅっと抱き竦められ、耳許で聞こえる声は、熱く切ない。
「冬馬……なに、言って……」
彼のその言葉に心を焦がしながらも、秋穂は頷けない。さっきあれ程激しく想いをぶちまけた自分をも、恥じた。あれは、言ってはいけないことだった。
「僕の再婚は、決まっている」
自分にも言い聞かせるように、もう一度言う。しかし、冬馬は抱き締める腕を緩めない。
「アキ、俺と一緒に何処かへ行こう」
その言葉に迷いはない。
「もう、充分だろ。生かして貰った分の恩は返したはずだ。生かして貰ったというだけで、酷い扱いを受け続けたんだ。もう、これ以上は、必要ないっ。それに──あの頃とは違う。今だったら、自分たちで生きていける。そうだろう?」
一瞬、冬馬の胸に縋りつく。すべてを委ねてしまいそうになったが、すぐに秋穂は両の手で彼の身体を押し返した。
「だめだよ、冬馬」
「何が、駄目なんだ」
「僕はいい……元々何も持っていなかったんだから。でも冬馬はたくさんのものを持っている。全部捨てていくの?」
「お前と一緒にいられるなら、全部捨てる」
秋穂の問いにまったく躊躇なく答える。自分を押し返した彼の両の腕を、逃がさないとばかりにきつく握る。
「家族も親族も、何を言っても従わない俺のことは、疾うの昔に諦めてるよ。だから、タチバナは弟が継ぐし、縁談も持ってこなくなった」
「でも!! Citrusは、冬馬の遣りたかったことだよね?! それも、捨てられるの?」
Citrus──学生の時から準備して、自分で作り上げてきた大事な店。だが──。
「お前が手に入るなら!Citrusは姉とトップデザイナーに任せる」
きっぱりと言い切った。
「冬馬……ばかだよ、ほんとに……」
声が震えていている。涙を隠すように、秋穂は冬馬の胸に寄り添った。
「俺と一緒に、来てくれるか?」
もう一度尋ねたその問いには、うん……と小さい返事が返ってきた。
冬馬はきつく握っていた彼の両腕から手を離し、その身体を抱き寄せた。大切な宝物を誰の眼にも触れさせたくないかのように、大事そうに覆い隠した。
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