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「行くぞ」
壱也から庇うように、秋穂を先に歩かせる。冬馬はテーブルの上にある秋穂の鞄を持ち、ポールスタンドにかかっているコートを手に取る。コートは前を歩く秋穂の背にかけた。
足早に玄関に向かう背を冬馬は追う。しかし、数歩歩いて何かしらの気配を感じ取り、立ち止まった。振り返ってハッする。暫く立ち上がれないだろうと思っていた壱也が、突進して来る。
「あきほっ」
冬馬は咄嗟に秋穂を突き飛ばし、自分は身を翻した。しかし完全に避けきることができず、脇にぶつかられバランスを崩した。膝を突いた一瞬の隙に、飛びかかられる。その手には何処かに隠し持っていたらしい、折り畳み式のナイフが握られていた。
突き飛ばされた秋穂が起き上がった時、冬馬は仰向けで壱也に乗られている状態だった。その体勢で、ナイフを振り下ろそうとする相手の手首を掴んで止めようとしている。
揉み合いながら、少しずつ床を這う。それに沿って、ホワイトオークの廊下に赤いものが付着していった。
(血……?)
どちらかが怪我をしているようだ。考えたくはないが、冬馬が刺されたのではないか?心なしか顔色も悪い。
「義兄さん、やめてっ」
引き離そうするが、秋穂の力ではびくともしない。それどころか、激しく揉み合う背に当たって、吹き飛ばされてしまう。
「邪魔をするなっ」
冬馬と秋穂、どちらに言っているのか。
「こいつは、俺のだ。お前になんか、渡さない。石蕗 に来た時から、こいつは俺のものなんだっ」
言葉も行動も常軌を逸している。もし本当に冬馬が怪我をしているのなら、このままではいずれ力尽きてしまう。
吹き飛ばされた秋穂はリビングの扉の前にいた。扉は開いたままで、そこからポールスタンドが見えた。その瞬間、迷うことなくそれを掴んで、壱也めがけて振り下ろした。
ガツンという音と、ぎゃっに近い言葉に表せない叫びが上がった。長いポールスタンドは壱也の頭や肩を強打した。弾みでナイフが落ちる。
自分の行動に驚いた秋穂は、ポールスタンドを落とし立ち尽くす。
「秋穂、逃げろっ」
その声にハッとしたが、すぐ反応できない。眼の前に、もう既に立ち上がり血を滴らせた壱也の顔があった。仰向けに倒され、再び首を絞められる。ゆっくり力を増していった先程とは違い、いきなり強く締めつけられた。
「渡さないっ。誰にも」
その眼は狂気でぎらついている。
秋穂自身はその手を外そうと懸命になっているつもりが、実際には弱々しく足掻いているだけで、傷すらできない。気が遠くなっていくなかで、何かが壱也にぶつかる衝撃が秋穂にも伝わってきた。
ふっと、首の圧迫感も身体の上の重みもなくなった。すぐ横から呻き声が聞こえてくる。仰向けのまま視線だけ巡らすと、自分の両手を凝視している冬馬がいた。
「冬馬……?」
彼は何も答えない。
呼吸を整え、ゆっくりと上体を起こすと、床に転がっている壱也が見えた。彼は身体をくの字に曲げ、苦しげに呻いている。その背には先程彼が落としたナイフが刺さっている。
「と……うまぁーっっ!!」
茫然としたままの彼の足に縋りつく。
「アキ……?」
やっと眼が合う。我に返って壱也を見遣る。彼に近寄ろうとするような素振りを見せたが、そのまま留まった。
「行こう」
秋穂を立ち上がらせ、玄関に向かう。
「えっ、冬馬」
壱也をこのままにして行くのか──冬馬の行動に困惑し何度も立ち止まりながらも、彼に押し出されるような形で部屋を出て行った。
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