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第10話 始まり
おれは仕事を終え、キッチンダイニングでぐったり座りながら呟いた。
「つ……疲れた……」
ここしばらく仕事が忙しくなって、朝早くに出て夜は深夜まで仕事ばかりだったのだ。
今日も終電ギリギリまで仕事をして、今帰ってきたところだ。
「ごはん……食べなくちゃ」
そう言って、一応買ってきたコンビニ弁当を開ける。しかし、疲れ過ぎているのか食欲がない。座ったまましばらくぼんやりしてしまう。
仕事は朝からみっちり仕事が入っていて、その上さらに後から後から仕事が入る。その上、上司からはもっと急げ遅いとプレッシャーをかけられてもうへとへとだ。
食事をして風呂に入って眠りたい。しかし、それをするエネルギーがないのだ。
その時、不意にスマホが震えた。
「ん?メッセージ?……」
見ると冬夜からだった。
「なんだろう……えっと『お帰りなさい、お疲れ様。忙しいみたいだけど、次の休みはいつになりそう?』って……なんでおれが帰って来た事を把握してるんだよ、怖いよ」
まあ、シェアハウスなのでこんなに夜遅くだと音が響く、誰かが帰って来ると、結構わかるのだ。
それでもなんでおれが帰って来たのかが分かったのかは分からないが。
苦笑しつつ返事を返す。
実はこんな内容のメッセージは最近よく来る。しかし、忙しいのもあって最近は無理だと断っている。
「『今週は休みなし、しばらく休みないです』っと……」
脅されてはいるが無理なものは無理と断っている。冬夜もそれ以上は言ってこない。まあ、脅すこと自体を止めて欲しいが助かる。
「あ、もう返事きた」
メッセージには泣いた絵文字と『ひどい!俺と仕事どっちが大事なの!』と書かれていた。
おれは、その返事に思わず笑ってしまう。
「なんでだよ……えっと『仕事に決まってるだろ!』っと」
そう返事してお弁当を食べ始める。思わず笑ってしまったが少し気分が晴れた。
また、すぐに返事が来た。そこには『寂しい……会いたい』と書かれていた。
「おれも……」
ぼんやりしていたら、思わず変な言葉がこぼれた。ハッと気が付いて慌てて訂正する。
「ち、違う!そうじゃない……女装、そう最近女装出来てないから。女装したいだけ」
女装を最後にしたのは、冬夜とジムにい行く前だ。最近は女装する時は冬夜が来る時なのでそんなに楽しくはないのだが、やはり女装すること自体はストレス発散になる。
それすらも最近出来ていないから、余計に仕事で疲れてしまうのだ。
「冬夜抜きで女装したい……って言いたかったんだよ……っていうか冬夜も何送ってくるんだよ、からかうのもいい加減にして欲しい……ダメだ相当疲れてるみたいだ。早く寝よう」
おれは自分に言い聞かせるようにそう言ってお弁当をかきこんで食べ終わる。
「『なに、馬鹿みたいなこと言ってるんだ。おれはもう寝るから』っとよし、お風呂入って寝よう」
すぐさまそう返事を返して、弁当のゴミを捨てるとお風呂に向かう。
「まあ、女装したいって思ってるおれも相当おかしいけど……」
冷静になって考えてみると、自分も相当変だ。
「そういえば、女装始めたのもこれくらい忙しかった時だったな……」
お風呂で頭を洗いながら、ふと思い出してそう呟く。
——おれが女装をし始めたのは、隣人の引っ越しがきっかけだった。
その日もおれは仕事で失敗して、上司に怒られ何日も残業が続いた後やっと部屋に帰って来れた。
その時おれは、コンビニのおにぎりと寝れそうにないと思って買った酎ハイを持っていた。
これで、やっと休めると部屋に入ろうとしたところで、隣人に話しかけられた。
その隣人は20代くらいの女性で、とても明るく大柄なせいかおおらかでよくしゃべる人だった。あまり話したことは無かったがすれ違えば普通に挨拶する程度には知っていた。
ただ、夜遅くまで部屋で電話していることが多く、そのせいで眠れないこともあったので、引っ越しをするという話をきいて少しホッとしてしまった。
「どこに引っ越されるんですか?」
「アメリカに留学するの。これから深夜バスに乗って飛行場に行くつもり」
「そうなんですね……」
今からバスに乗るなんて大変だな、と思っていたら相手がついでのように言った。
「それで、お願いがあるんだけど」
「え?」
「この、ゴミ。明日出しておいてくれないかしら。重いし、時間が無いから……じゃあ、よろしくね」
隣人はそう言うと大きなゴミ袋4つをおれの目の前に置いた。
「え?あの……」
おれが唖然としている間に隣人は重そうなスーツケースを転がしながら出て行った。
取り残されたおれはあっけのとられて彼女の背中を見送るしか出来ない。残されたのは、疲れてボロボロのおれと大きなゴミ袋。
「はぁ……」
おれはため息を吐くと、仕方なくゴミを一旦避難させるために自分の部屋に入れておく。ゴミは朝、所定の場所に出す決まりになっている。
お風呂で簡単にシャワーを浴びたら、おにぎりと買い置きしておいたカップ麺を食べる。仕事で落ち込んでいて、残業で疲れていたこともあって、やけくそ気味に酎ハイをあおるように飲む。
アルコールにはあまり強くないので、すぐに頭がふわふわしてくる。
「何で、おれがこんな事……」
そして、時間が経つにつれさっきのことを思い出して腹が立ってきてしまった。
なんで、おれがほぼ関係ない人のゴミを出さないといけないのか、今日も仕事で嫌なことがあったばかりなのもあったのか、気持ちがおさまらなくなってきた。
それでももうどうしようもないこの状況に、咄嗟に断れなかった自分にも腹が立ってくる。
酎ハイがなくなった。
「もう無くなっちゃった……」
おれはもう少し飲みたいと思って、追加でコンビニに買いに行くことにした。
「おっと……うわ!」
コンビニで数本追加で買って、部屋に帰って来た時には歩いた所為でアルコールが回ったのか、足がフラフラになっていた。
足がふらついていた所為か、部屋に入った時ゴミ袋につまずいて転んだ。
「っ……本っ当、最悪」
いい事がなさ過ぎて泣きたくなってくる。
「はぁ……なんでこんな……しかも中身が出てきてるし」
上手く結べていなかったのかゴミ袋は、倒れて中身がこぼれてしまった。幸いだったのは中身はゴミというよりいらなくなった衣類だったことだ。
持っていけなかったからなのか、もう着ないからなのか分からないが女性物も服が数点中に入っていた。
「面倒臭い……明日にしよう」
もう一度結び直そうかと思ったが気力もなくなったので、適当に隅に寄せて立ち上がると買ってきた缶を開けて飲む始める。
「なんでこんなことばっかり起こるんだ……」
ため息を吐いてそう言った。この運の悪さは何か悪霊でも憑いているんじゃないかと思う。
アルコールで嫌な事を考えないようにしたのに、さらに腹が立ってきた。
さらに煽るように飲む。酔いがさらに回ってくる。
「あーー本当になんで、おれ、こんななんだろ……」
怒りが通り過ぎてくると何だか自暴自棄な気分になってきた。自分でも酔ってるなとぼんやり思う。
その時、ふと押し付けられたゴミ袋が目に入った。
「引っ越しした人、結構がたいがよかったから、おれでも着れそうだよな……」
そうなのだ隣の人は女性ながらに背が高く、少しふくよかだった。そのせいで声も大きくよく響いていた。
復讐とまではいかないが、捨てた服をよく知らない男に服を着られたら、気持ち悪いだろうなとふと思い付いて着てみようかと思った。
気持ち悪いと言っても本人が知らなければ意味も何もないが、気持ち的に何かしたくて、おれは立ち上がってゴミ袋を探ってみる。
「あ、マジで着れそう……」
取り出してみると、その服は思った以上に大きくて余裕で着れそうだった。適当な上着とスカートを取り出して着てみる。
「うわ……やば……」
服はあっさり着れてしまった。立ち上がって自分の体を見下げると、自分じゃないみたいで変な気分になる。
「あ、そうだスマホで写真撮ったら全身が見れるかも」
思い付いてスマホを取り出す。
インカメラにして精一杯手を伸ばして写真をとってみる。
「おお……」
流石に写真で撮ったらあからさまに男が女装した姿が映っているだろうなと思ったが、ぱっと見ため女の子に見える。
しかも、最近仕事が忙しくて髪が伸び気味だったので、遠目で見たら少し髪の短い女の子に見える。
「凄い……」
ぼんやり映ったその姿を眺める。何だか変な気持ちになった。
スマホに映っているのは確実に自分なはずなのに、違う人を見ているみたいだ。
「面白……」
そうだと思いついて写真を加工してみた。肌を白くしたり目を大きくして少しぼかしたりしてみる。
「もうちょっと、角度を変えて撮ったらどうなるかな……そうだ、ニットキャップかぶったらもうちょっと誤魔化せるかも……」
ちょっとした出来心だったのに、一度やり始めたら止まらなくなってきた。他の服を試してみたり、写真加工アプリを新しくダウンロードした辺りで少しやばいなと思ったが、酔っていたのもあったのか止まれなった。可愛く写真を撮る方法を検索していた辺りで記憶が無くなって、気が付いたら眠っていた。
次の日、自分の女装姿を見て流石に我に返った。
服はゴミ袋に戻して直ぐに捨てに行き、スマホに撮った写真も消した。
「お酒を飲み過ぎるのは、気を付けないと……」
そうして、酔って女装してしまったことは忘れることにしたのだ。
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