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第29話

カチャカチャと沢が押すワゴンの音が遠ざかって行く。 それが突如ピタッと止まり、しばらくしてまた音が聞こえてきたがすぐに消え、その代わりのようにイライラしていると分かる足音が近付いてくる。 バタンと大きな音を立てて扉が開き、一が中に入ってくると後ろ手にバタンと開けた時よりも大きな音を立たせて扉を閉めた。 「あんの、クソ親父っ!!」 まるで品の欠片もない一の言葉に眉をひそめる。 そんな俺を見て、一が俺に背中を向けて悪りぃと呟いた。 「だがな!!だが、俺は許せねぇ!!父さんに全に子供ができたと報告したら…あいつ…産まれたら養子に出すって言いやがった…俺と全の、運命の俺達の子供を養子に出すって…ぜってぇにさせねぇ!全、お前だって自分の子を訳のわからない奴にくれてやるなんてイヤだろう?」 正直、ああやって一の話を聞いた今でも、やはりこの子を下ろしたいという気持ちはある。特に、沢の俺を諦めないという話を聞いた後では、やはりこの子を下ろして、次のヒートの時にはどんなに怖がろうが沢に抱かれて、この腹に新しく愛おしい命を宿したい! そう切望している。 しかし、もし何事もなくこの子が生まれてきたならば、俺は一との子を愛せるのだろうか?いや、この子は一の子である前に俺の子だ…それを俺の手から取り上げて、見ず知らずの人間に託す。例えばそれがこの家と同じ位の家名と富を持つ家ならば…いや、それでもきっと俺はこの子を養子に出したことを一生後悔し、一生気にして過ごすだろう… 「…だ、ひやだ…」 俺の拒否の言葉を聞いて一がこちらに向き直り、ベッドに駆け上がり俺を抱きしめた。 「そうだよな!イヤだよな?俺とお前の子を養子になんて絶対にイヤだよな?」 「あぁ。」 頷く俺に一は輝くような笑顔で俺にかかっている布を投げ捨てると、俺の腹に耳を付けて腰を抱き寄せた。 「まだ、聞こえないよな…でもさ、もうお前の中で微かな鼓動が始まっているんだ…俺たちにはまだ聞こえないけれど…いつになったら聞こえるんだろうな?全、ありがとうな。俺達の子供を産んでくれるんだろ?俺、すごく嬉しいよ。全、俺の全!!」 そうじゃないと言えなくなるくらいの一の喜びように圧倒され、俺は無意識に頷いていた。 「全!俺、お前と子供を絶対に手放しはしないからっ!!俺がお前と子供を絶対に守るからっ!!全、全!!全っ!!!」 キツく抱きしめられ、おれの腹が温かいもので濡れていく。 「ひち…」 気付かぬ内に呼んだ一の名。 そこに込められたいつもとは違う何かを感じながら、二人の間に流れる暖かい時間に向かって伸ばそうとする手を、止められずにいた。

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