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第38話

「捕まらなかったか…まぁ、いい。それで、沖。お前はこの事についてどう釈明をするつもりだ?」 覚醒し始めた耳に聞こえて来た一の声は淡々としていて、まるでいつもの一とは別人のよう。 「い…ち…?」 ひっつく喉を無理やりこじ開けるようにして掠れた声を出す。 すぐにその声に気が付いた一が、ベッドに駆け寄って来た。 「全、大丈夫か?どこも辛いところはないか?」 一の手が俺の顔を撫で、辛そうな顔で俺に尋ねた。 「大丈夫…でも俺のお腹の子が…一との子が…」 知らぬ間に涙があふれ、嗚咽が漏れる。 「もういい、全は何も悪くない。俺の人を見る目がなかっただけだ。すまなかった、全。」 抱きしめられ、耳元でごめんなと囁かれるたびに辛くて苦しくて、俺は一の胸で泣き続けた。 暫くそのままでいた一がそっと俺の身体をベッドに寝かせ、沖に向き直る。 「お前は、あの医者の息子…なんだろ?なんとなく嫌な感じがして、さっき調べて来た。多分、あの灰になった家にいた…」 「えぇ、そうです。私はあなた方の家の主治医の息子です。父があなたのお父様から色々と相談を受け、その話を聞いている中であなた方がいつか命のやりとりをするのではと危惧し、私にその事を相談していました。私は親子でそのような事と笑って真面目に聞きもしませんでしたが、今ではそのことが本当に悔やまれます。その頃、ちょうど見つけたあなたの求人を読み、まさかと思いあなたに近付く為に執事として面接に伺い、あなたが本当にあの家から全様と出るようだと知って、私は父にその事を伝える為にあなた方の家に向かいましたが、その時には家は炎に巻かれ、あなたと全様が外に出て来たところでした。」 静かに近付いてくる沖に、一がベッドを下りて俺を守るように立った。 「そうだったな。あの時は特に何も思わずに医者だと言うお前にその場で執事を頼んだ。だが考えてみれば、お前が俺達の家を知っているわけがないんだ。おれもかなり焦っていたんだな。あの時は俺も全も、相当な重傷だったから、すぐにでも治療してくれる奴が欲しかった。」 沖が一のすぐ手前で立ち止まり、2人がキッと睨み合う。 「それで、お前はあの医者の息子として俺達に復讐でもしたいのか?」 ふっと沖が笑う。まるで今にも泣き出しそうなその微笑みに俺の心がちくっと痛んだ。 「今更、そのような事をしても父は帰っては来ません。それに、父の話を真面目に聞こうとしなかった私の後悔の方が大きく、むしろ自分への罪の償いの為に、父に代わってあなた方を私が守ります。父はいつも言っておりました。あなた方の家の主治医として私は私のできる限りのことをして、あの家族を守ると。しかし、一つだけどうしても自分の意に反することがある…それが全様のお腹に宿った一様との禁忌の子…ですから私は父の代わりにその憂いだけは取り除こうと…私も医師の端くれ。思いは父と一緒ですので。」 申し訳ありませんと沖が一に頭を下げた。 「それで、なんで沢がここに来られた?」 一が先程と同じく、感情の揺らぎのない声で聞く。 「私が燃え盛る家から離れようとした時、家から離れる影を見ました。その時は一様達の治療の為にその場を離れましたが、翌日、あの家の先にある森の中で沢さんが倒れられているのを見つけ、私の実家で治療をしておりました。その時に全様とのお話を聞き、私の中で今回の計画を思いついたのです。全様には申し訳なくも薬で子を流し、沢さんとの子をそのお腹に宿す。全様を眠らせてとも思ったのですが…申し訳ありません。私の中の父への想い、その復讐心が顔を出し、全様に恐怖を与える方法を選んでしまいました。」 一が顔は沖に向けたままで俺の肩をさする。その手を握り大丈夫と呟くと一が頷いて沖に尋ねた。 「それでこの後、お前はどうするつもりだ?」 そうですねと沖が一の顔を見つめる。 「先ほども言いましたように、私は父の思いを継ぎたいと思っております。」 「お前のような危険人物をそばに置けと?」 一が蔑むように言うが、その奥にある面白がる声。 「一様にも、全様にも医者が必要。しかも、何があっても周囲に漏らさぬ医者とそして執事が。全ての状況を知っている私以外に誰がそれを務められますか?」 「はっ!よく言う!…だが、お前が言うことは全くもってその通りだ。俺達には、特にこれから子を産む全には医者が必要だ。しかも俺の仕置きを黙って手当てして何も言わぬ医者がな。そして俺達の身の回りの世話をする執事も必要だ…だが、今この瞬間から俺達を裏切ったら、俺はお前をどこまでも追いかけてその罪を償わせる。それでもいいか?それだけの覚悟を持ってこの場に残るか?」 沖は目を伏せて一礼すると顔を上げた。 「私は一様と全様に尽くし、忠誠を誓いましょう。もしこの先、私にとってどんな意に反することがあろうと、それを全て受け入れます。もし、裏切るような事があれば、私はどんな罰も甘んじて受け入れます。これでよろしいですか?」 分かったと頷いた一が、ベッドに腰掛けて俺の腹に手を置いた。 「なぁ、全。俺に教えてくれ…子は出来たか?」 一の手の上から俺の手を被せてそっと目を閉じる。 聞こえる赤子の声。一つだった声にハモるように声が重なり、俺は二つの命の鼓動を感じた。 「双子だ…二つの声が聞こえる。」 「ははは、そうか。おい、沖。聞いたか?沢の子か俺の子か、それとも二人の子か…運命の番との子と、運命の俺との子。さて、この子達はどう言う子達なんだろうな?産まれて来る子が俺の子だとしても、お前はその全てを受け入れると言った。今更、撤回はしないよな?」 ゲラゲラと笑う一に、はぁとため息を吐いて沖が参りましたとでも言うように、肩をすぼめる。 「番というもの、αの、いや運命という一様の強さを私は甘く見ておりました。えぇ、今更撤回など致しません。どんな意に反することも受け入れると言ったのは私です。産まれていらっしゃるお子様はこの家の後継者。父同様に私はその命を、命達を守ります。」 その言葉に一が満足そうに頷くと、沖に向かって俺の治療をしろと命じた。 「え?俺、どこも悪くはないよ?」 そう言ってキョトンとしている俺に微笑みながら一の手が足首に触れた。びくんと弾む身体。沖が一礼して扉から治療道具を取りに出て行く。 「やだ…痛いの嫌だよ…俺、何もして…ない…許してよ…許して、一。」 涙ながらに訴える俺に一の指が頬を伝う涙を拭いそれを舐める。 「お前、また沢に心移しただろう?沢との子を欲しいと願っただろう?」 青ざめる顔。確かに沢に会った瞬間、心は沢に向かっていった。だが、ヒートの中ずっと呼び続けていたのは一の名前…自分の心に自信が持てず黙る俺に一の手が力を込めていく。 「くぅうっ!やだ…やめて…ごめんなさい…一!」 「今日は少しゆっくり力を入れていこうな?お前の心が沢に向かう時にこの痛みを思い出せるように、しっかりとその身体に刻み付けるんだ。俺だって辛いんだよ?愛しいお前にこうやって泣かれるような事をしないといけないんだから。でもな、それも全てお前を沢から、運命の番から守る為なんだ。分かってくれるだろう?」 ぐぐぐっと力が入り、じわじわと痛みが体を駆け巡っていく。 「もう、心動かさないから!だからやだよぉ!一、やめてくれぇ!」 俺の叫びを唇で塞ぎ、ダメだよと呟いた瞬間、バキッという聞き慣れた音と激痛に俺は身体をのけぞらせて痙攣しながら、一の手がもう片方の足に触れるのを感じていた。

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